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アリドル大陸は、国同士の戦争は幾度となくあったが、三国ありつづけた。
史実の中で、一つの国がなくなるというのは、初めての事だった。
ヴィーゴは自分に何が出来るだろうかと考えた。
永く続いた国が終焉を迎え、その事実に押し流されるように生きてきた。流されるままに押し出され、それでも国への愛着は消えず、喪った国の研究を続けていた。
「で、俺は何をすれば?」
「我々は、アドルンドを味方につけたい」
マルキー領土であるリビドムが、マルキーと戦争しているアドルンドに支援を頼む。ということは、リビドムはアドルンド側に着くと、そういう事だと告げる。
「それに、確実性はあるんですか?」
「アドルンドの王子が協力してくださる」
(へぇ、王子様がね。いつの間にそんな算段付けたんだか)
ガリアンが逃亡してから、そう日は経っていない。ガリアンは何年も幽閉され続けていた。いつの間にと感心していると、考えている事が伝わったのか、ガリアンが苦笑する。
「私を助けてくれたのがリビドム王女様でな、その騎士がアドルンド王子だったんだ」
驚いてヴィーゴは立ち上がる。あまりの勢いで、椅子が倒れる。
「なんだって!? 王女!?」
王女。その言葉でリフェノーティスから預かった少女の顔が浮かぶ。だがあの少女には、証の指輪などなかった。
(あの子じゃないとしたら、誰だ)
「カーン様の娘は、まだ居るっていうのか?」
ヴィーゴの言葉に反応して、ガリアンとダンテが目を見開く。
「まだ、とはどういう事だ?」
「どういう事もこういう事も、リフェノーティスから今女の子を一人預かっているんですよ。年の頃は十五くらいの。まぁ確証はないんですがね、どうにもカーン様の娘みたいなんですよ」
「十五? 十歳ばかりの少女ではないのか? 紫の瞳の」
「いえ、十五ほどですね。瞳は黒です。――もっとも、リフェノーティスに会う前に薔薇の魔女の元に居たらしいので、本当の姿はわかりませんが」
「……その娘の名は?」
「ユーキです」
その名前を口にした途端、二人の目の色が変わる。
「……生きておいでだったか……」
「お二方とも、ユーキをご存知で?」
「私等が知っているのは、十歳ばかりの容貌で、紫の瞳をした十八歳の少女だがな。マルキーに処刑されたものとばかり思っていたが、そうか生きてらっしゃったか。容貌が違うということは、やはり薔薇の魔女の仕業だろう」
「はぁ……」
(十八なのに十くらいにしか見えないって、どういうことだ?)
耄碌してしまったのだろうかとも一瞬考えたが、二人の真剣なまなざしを見て、いうのをやめた。
「して、ユーキ様は?」
「あぁ、この辺りの孤児院に居ます。何でも、アドルンドに大事な人がいるから迎えに行くとかなんとか言ってました。連れてきましょうか?」
「いや、この場所に連れてしまったら、十日熱に掛かられるかもしれない。そうか、アドルンドか……」
ヴィーゴには話の全容がいまいち見えないままだ。
「あのー、色々あると思うんですが、彼女の好きなようにさせるようにって」
リフェノーティスからそう言われている。そう言おうと二人を見ると、何かを決め込んだのか、目線で黙殺されてしまう。
「きっと、ルカート君を助けに行かれるのでしょう」
ダンテが微笑む。
「ヴィーゴ、君は十日熱の薬を配って歩いていると、そう言ったな」
「あぁ、はい」
この二人の頭の中で、何がどう動いているのかもわからなかったが、もうそれでもいいかと思ってしまう。
「ならば、そのままアドルンドに向かってもらおう。そしてアドルンドにその恩恵をもたらしてくれ。こちらはこちらで仕事を進めておく。あぁそれと、その薬の精製法も教えてくれ」
その言葉の孕む意味に気付く。
「商談に使うのですか?」
「リビドムには今、財産も何もないからな。――強いて言えば、昔から研究されていた十日熱の特効薬くらいか?」
思わずため息がこぼれる。
「あぁはい、そうですね。――俺の努力と苦労を買ってくださってそうおっしゃってくださってるんですよね」
「まぁそう言うな。リビドム再建なれば、お前も労われるだろう」
そんな労いはいらないと思ったが、口に出すのも野暮だろうと黙る。
「そういう事で、ユーキ様を連れてアドルンドに行ってやりなさい。ユーキ様はルカ―ト王子を連れ出すと思うので協力してやってくれ。くれぐれもユーキ様を危険に晒す事のないようにな」
どいつもこいつも甘すぎじゃないだろうか。そう思ったが、それも野暮だろうと思って、押し黙った。
その直後、咆哮とも取れる喚起の声が隣室から聞こえた。
太陽がどんどんと傾いでゆき、昼寝の後に少し遊んだ子供達も帰路につく。
休んで体調の良くなった有希は、子供達と並んで歩く。
孤児院の入り口辺りで、今朝方家を出たヴィーゴに声を掛けられる。
「出ていたのか」
声に振り向くと、乗馬したヴィーゴが有希を見下ろしていた。
「身体はもう良いのか?」
もうすっかりと返事をしようとしたところで、視界にパーシーが入る。
「貧血を起こして倒れた。診てやってくれ」
するとヴィーゴは眉をひそめ、何か小さく呟いた。
「え?」
「いや、なんでもない。寝ていれば治る。そして悪いが、今晩出立する。荷物を片付けたら寝ていろ。――あぁ、くれぐれも枕を使うなよ。頭は低くしておけ」
そう告げると、馬首を翻して厩へと向かった。
「……貧血って、頭を低くするものなのか?」
衝撃を受けたように突っ立っているパーシーは、すまなさそうに頭を垂れた。
「悪い。逆だったみたいだ」
そのしゅんとした姿に、くすりと笑みがこぼれる。
「ううん、大丈夫。休ませて貰ったお陰でもうすっかり元気だよ。子供達ともまだまだ遊べる!」
元気元気と両腕の拳を握ってみせる。
パーシーは苦笑して、有希の頭をくしゃっと撫でる。
「バカ。まだ顔色が悪いぞ、寝とけ。――今晩、発つんだろう」
「…………うん」
その言葉に、思わず俯いてしまう。
笑顔が溢れていて、自給自足の生活をしながら皆支えあって生きている。
そんな穏やかな場所に居ると、忘れてしまいそうになる。
(あたしがやるべきこと)
少しずつ見えてきた、この世界の片鱗。今の自分に出来ること。
「あたしには、やらなきゃいけないことがあるから」
そう微笑むと、パーシーは苦笑して有希の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「お前みたいなお人好しには似合いだな。リビドムを回ってアドルンドに行くんだろう?」
「うん。……やっぱり、反対?」
「正直、アドルンドに行くのはな」
「それは、アドルンドが敵国だから?」
「だな。アドルンドは今混乱しているから、まだ争いは起きていない。――もし十日熱が沈静化したらどうなるかわからないからな」
言って、ふと自嘲気味に笑う。
「いっそ、このままでも良いんじゃないかって思うさ」
その言葉が、血の足りていない脳髄に響く。
信じられない言葉に、目を剥いてしまう。わなわなと開いた口から、低い声が漏れる。
「それは、皆に死ねっていうこと?」
視線を有希に向けたパーシーが、え、と呟く。
「それは、このまま十日熱の蔓延が広がればいいって、そういうこと」
「ちが……」
「違わない。十日熱が止まらなきゃ良いって今そう言ったよ。戦争では兵が死ぬ。――差別をするわけじゃないけど、十日熱は兵も一般人も殺すよ。無差別に大勢の人が。パーシーは自分の国の人たちが好きじゃないの? 死んだら嫌だって思わないの?」
その目で、その口で、国の為に民の為に死ねと有希に唆したのは目の前の彼だ。
「好きだから、戦争を止めたいって思ったんじゃなかったの? だから」
そこまで口にして、続きを飲み込む。
(だから、あたしに死ねって言ったんだよね)
未だじくじくと痛む胸に、顔をしかめる。
「悪い。俺がどうかしてた」
パーシーが頭を下げたのにはっとして、慌てて両手を振る。
「ううん、気にしないで」
「お前と居ると、調子が狂う」
胸の痛みをごまかして、取り繕うように笑う。
「あたしこそ、偉そうにゴメン。――でも、戦争も十日熱も、一緒だよ」
「え?」
「止めようと思えば、止められる。少なからずともあたしに戦争を止める事は無理だけど、十日熱を止めようとすることはできる」
できることなら戦争も止めたいと思うけどね。そう言って肩をすくめると、パーシーはきょとんと有希を見ていた。そしてややもするとくつくつと笑い出して、しまいには腹を抱えて笑い始めた。
「ちょ、ちょっと何よ! 人が折角真面目に言ったって言うのに!」
「いや、俺もアンタに諭されて気付くなんてアホだなぁと思ってさ」
「え、え、え? 何が?」
ひとしきり笑い終えたパーシーは、目じりの涙を拭ってきりりと有希を見る。
「俺には十日熱の蔓延は止められないが、戦争を止めようと努力する事はできるな」
一応王子だしな。そう言った顔はどこかすっきりしているようにも見える。
「戦争が始まったからって何も悲観する事はないな。和平を申し入れる事もできる」
「パーシー……」
「俺も今から城に戻るわ。んで、父様に掛け合ってみる」
「っうん!」
「お前も、気張って十日熱を止めろよ? 俺が戦争止めても民が死んだらかなわない」
「な、なによ! ちゃんとやるよ!」
はは、とパーシーが笑う。その笑顔は屈託がなく、少年のようだ。
「そして、会いに来い」
突然の真顔に身構えたが、真摯な瞳に射抜かれたように動けなくなる。
「……え」
いつの間にか、夕日は暮れて辺りが紺色に染まっていた。
初夏といえど肌寒い風が吹いている。
鳥肌が立ったのは、冷たい風が有希を包んだからなのだろうか。
「……わかった」
ようやっと口に出来たのはそれだけで、顔がぎこちなく歪む。
「城に来たときにすぐわかるように、名前を教えてくれないか?」
パーシーは相変わらず嬉しそうに微笑んでいる。色の白い肌と、群青色の瞳がとても綺麗だと思った。
「え、あ……っと、春日、有希」
「カスガ・ユーキだな。覚えておく。――お前にアリドルの祝福を」
そう言うと、パーシーが一歩踏み出す。腕を取られて引っ張られる。
反対の手がぬっと伸びてきて、身構えて目をぎゅっと瞑る。すると前髪がかきあげられて、額に柔らかいものが当たった。
「!?」
体温の離れる感覚がして目を開けると、微笑んだ綺麗な顔があった。
「院長に挨拶して、俺はすぐ行く。ゆっくり休んで出立しろ。――またな」
そう言って頭をぽんぽんと叩くと、走り去ってしまった。
額に当てられたものに気付いたのは、その後だった。