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孤児院を出てしばらくすると、ヴィーゴは馬から降りて木陰に座る。
懐から手の平にすっぽり収まる大きさの琥珀色の水晶を出して、手を翳す。瞬く間にそれは淡く光り、水晶の中に人の姿を映す。深緑の豊かな髪の毛がゆらゆらと揺れている。ヴィーゴの呼びかけに気付いたのか、リフェノーティスは振り返り、歩み寄ってくる。
「あらヴィーゴ、どうしたの?」
「どういう事だ?」
「どういうことってどういう事? ちゃんと端折らないで説明してくれない?」
ヴィーゴは髭面の顎を撫ぜて、ため息を吐いた。
「あの嬢ちゃんは、何者だ?」
水晶の中で微笑んでいた顔が、ふと真顔になる。
「それは……どういうことかしら」
「どういうことも無い。孤児院に十日熱に感染した子供が居た。絶望的だった。そこにあの子がやってきて、子供の手を取って祈っていたら発光した」
リフェノーティスは驚いて目を瞠る。
「その直後だ。子供は完治した。疱瘡も何もかも全てだ。何日もかけて治るものを一瞬で。これはもう奇跡としか言えない。そしてあの子がやったとしか思えない」
「――そう」
驚いて見せたのは一瞬で、何か納得するように頷いている。
「お前、何か知っているんだろう。お前に頼まれて仕方なく連れてやってるんだ、とっとと言え」
「あら、快諾したのはヴィーゴでしょ。――私もユーキにそんな力があるとは知らなかったわ」
(快諾した覚えはない)
知らなかったと告げる水晶の中に居るリフェノーティスは、しかしどこか冷静だ。
「けど……そうね。不思議じゃないと思うわ」
「どういうことだ」
「私もユーキに詳しく聞いていないわ」
すべて私の憶測なんだけど。そう前置きをして、リフェノーティスは言葉を続ける。
「ユーキはカーン様の娘よ。……そしてカーン様はもう居ない」
さらりと言われた事実に、ヴィーゴは大口を開ける。
「はぁ!? おま、お前、なんでそんな大事な事を言わないんだ!」
有希を十日熱の患者の居る部屋に入れてしまったことを思い出し、激しく後悔した。
「だって、ヴィーゴは嘘をつけないじゃない。あの純粋な目で見つめられてごらんなさい? 何もかも白状しちゃうわよ。――ユーキは自分の身分を知らないようだったし」
茶目っ気たっぷりに言われ、大仰にため息を吐く。
「……どうしてカーン様の娘だとわかったんだ?」
「臣下の勘かしら」
おどけて笑うリフェノーティスを睨みつける。
「っざけんな。それだけで娘ってわかっ」
「『自分が信じるから、相手は自分を信じてくれる』それが父親の教育方針だったんですって」
(……久しぶりに聞いたな)
自分の君主が常々言っていた言葉を久しぶりに聞いて、目を眇める。そんなめでたい言葉を言う人間を君主以外に想像ができない。
(そういうことか)
リフェノーティスの放った言葉に、ヴィーゴも妙に納得してしまった。
「実の娘かどうかはわからなかったけど、ヴィーゴの話を聞いて色々納得したわ」
「……色々納得?」
「ユーキね、私に会う前に、薔薇の魔女に会ってるのよ」
「はぁ? 薔薇の魔女って、あの魔女か? だってソイツは」
「そう、先だってマルキーに処刑された。という事になっている。――その魔女はまだ生きていると言った。そもそも、処刑されたのは魔女じゃない。そうユーキは言ってた」
リフェノーティスはニッコリと笑みを浮かべて告げた。
「どういうことかわかるかしら? つまり、誰かが薔薇の魔女を偽って。もしくは薔薇の魔女に仕立て上げられて、処刑された。でもその誰かは実は生きている。その誰かはどうして薔薇の魔女と呼ばれたのかしらね」
言外に、リフェノーティスの言わんとすることが取れる。
「そしてユーキは、薔薇の魔女に会っているの」
薔薇の魔女。伝説の魔女とも呼ばれる紫の瞳を持つその魔女は、気まぐれに人の前に現れ、造形や見目を変えて遊ぶ事で有名だ。
「……ユーキが紫の瞳だったから、処刑されそうになり薔薇の魔女と接触した。そういう事か?」
「私はそう思ったけど」
(確かに、そうでなければおかしい)
カーンの娘で、何かしらの力が発現したということは、それは間違いなく、王家の力。
「でもユーキは何も知らないのよ。それに、ユーキはアドルンドに行くって言ったし。私がカーン様の言う事断れないの知ってるでしょ?」
「そりゃ娘でも有効なのか?」
「当然よ」
「そりゃご苦労なこった」
「とにかく、ユーキの自由にさせてあげて。それから、何かあったら手伝ってあげて。あと、ユーキは自分の身分を知らないから、仰々しくしないであげて」
(激甘だな)
その世話焼きぶりに懐かしさを覚える。思わず頬が緩んでしまう。
「あぁ、出来る限りは手伝ってやるよ」
「頼んだわよ。私は私で準備をすすめるから」
「準備? 何の準備だ?」
リフェノーティスが氷の微笑を称える。それが何も聞くなという合図だという事を知っている。
「後々のお楽しみ。ヴィーゴはとにかくリビドムを回って十日熱の人たちを治して頂戴」
「わぁったよ」
リフェノーティスの奥から、リフェノーティスの名前を呼ぶ声が小さく聞こえる。
「今行くわ。――ヴィーゴ、それからあなたに言う事があったわ」
「何だ?」
「ガリアン様がケーレの牢から脱走しているわ。今も見つからないままよ」
その言葉に、ヴィーゴの目が丸くなる。
「それ、どういう事だ」
「詳しくは私も知らない。だから気をつけて」
もう一度、リフェノーティスを呼ぶエストの声が聞こえる。
「じゃぁ、そういう事で。ユーキの事くれぐれもよろしくね」
リフェノーティスがそう告げると、水晶の光が消える。
(めまいがしそうだ)
目頭を指先でつまんで、息を吐く。
「リフェノーティスめ、まったくとんでもないモンを預けてくれたな」
内心毒づいて、よろよろと馬に跨った。
「カーン様の娘だって? あの能天気娘が?」
言われてみれば、その能天気さはとても父親と似ている。
ヴィーゴは再び大きくため息を吐いた。
「まぁ、なるようにしかならんか」
そう言って、馬の腹を蹴った。
それは突然の信号だった。
近くに居る誰かに、誰でもいいからという発信だった。
真夜中に水晶は光り、文字だけが飛んできた。
『十日熱に掛かった娘が居る。助けて欲しい』
とてもシンプルな文章だった。
返事を返すと、とても近場だということを知った。
孤児院はリビドムの集落からとても離れた所にあるというのに、すぐ近くからだった。
どこかの集落ならば、医者の居る所は把握しているだろうに、何か訳でもあるのではないかと思った。
そして告げられた場所に着いて、考えは的中したのだった。
家というよりもあばら家に近かった。
多分戦争の時に焼けた村にでも滞在しているのだろう。その集落は死んだようにひっそりとしている。
蹴爪の音が聞こえたのだろう、数人の男が不安そうな顔をして立っていた。
「お医者様でいらっしゃいますか?」
「あぁ。患者はどこに」
馬から降りると、一人の男に手綱を預ける。
こちらへ。と別の男が手を挙げる。
村の中を歩くと、ちらちらと視線を投げかけられる。その姿を見ると、どれも全て男で、眉をひそめる。
(……どういうことだ)
歴史の中で消え去った村に滞在し、そこには男しか居ない。
まるで亡霊の村のようだ。
男は村の一番奥――長の家の前で止まる。
「こちらです」
「中には患者だけか?」
他に感染した可能性のある人間は居るだろうかと探ると、男は首を振る。
「いえ、契約騎士が数名おります」
契約騎士。それならば感染の恐れはないと安堵する。
「案内感謝する。後は大丈夫だ」
「――ティータ様を、どうかよろしくお願いします」
そう言って男は頭を下げて、村に戻った。
(ティータ様……貴族か?)
ならば何故こんなところに。そう思いつつ扉に手を掛ける。
扉を開けて、視界に飛び込んできた人物に、ヴィーゴは呼吸が一瞬止まった。
「!?」
「貴方が、医者様かね?」
目の前に、壮年の男性と、褐色の肌の青年。そして、先ほどリフェノーティスと話題に出た人物がそこに立っていた。
ヴィーゴの記憶にある人物とは大分異なっている。やせ細って、大分老けてしまっているが、あの鋭い眼光は鮮明なほどに変わらない。
(……ガリアン様)
思わず、鞄を取り落としそうになった。