63
翌朝、チルカの部屋に行っても良いという許可が出て、子供達は一日中チルカの部屋に入り浸っていた。
食事もチルカと一緒、昼寝もチルカの部屋で。
せめてニ三日は安静にしていなければならないということで、ベッドに横になっているチルカに、子供達は嬉しそうに次々に話し掛けていた。
チルカは身体のあちこちからかさぶたが剥がれ、所々健康的な白い肌が見え隠れしていた。
「でも、本当に良かった」
チルカの部屋でセレナと並んで立って、子供達と遊ぶチルカを見ていた。
「瀕死の状態から、奇跡の生還。そして脅威の回復だものねぇ」
「うん、ホント、すごい……みんなの想いのお陰かなぁ」
「そうかもしれないわねぇ」
ほのぼのと見ていると、ふと、ヴィーゴの姿が見えない事に気付いた。
「あれ、ヴィーゴさんは?」
「まだ寝ていると思うけど……」
そう言った途端、扉が開く。そこには、更に無精髭の濃くなったヴィーゴが居る。まだ眠そうな目をしている。
「あら、おはよう」
ヴィーゴはおざなりに返事をして、チルカに歩み寄る。
いくつか質問をして、熱を見て、そして扉脇に立っていた有希たちのところにやってくる。
「この近くにある家に、どうやら感染した人間が居るらしい。ちょっと行ってくる。夜には戻る」
簡潔に言う。セレナも簡潔に返事をする。すると、ヴィーゴは有希の顔を覗き込んでくる。
「ユーキ、お前さんは何とも無いか?」
「え?」
「少し顔色が悪いな」
そう言うと、目の下に親指をあてて、目の裏側を見られる。
(やっぱり、お医者様なんだなぁ)
本当は、昨晩から少し体調が悪かった。身体が重たくて、貧血気味だった。
「うん、ちょっと」
「そうか。――今日はあまり動き回るなよ」
頷いた有希を見て、ヴィーゴは手の平ほどの大きさの薬入れを渡す。
「……何? これ」
「ユーキ、体調の悪い所にすまないが、そいつに早く治るようにって祈ってやってくれ。お前さんの祈りはご利益がありそうだからな」
「え? う、ウン」
(祈るって、こうでいいのかな……)
薬入れを両手で包んで、懺悔をするように胸元で抱きしめる。
(どこの誰だかわからないけど、早く治って元気になりますように)
念を込めて、ヴィーゴに戻す。
「ありがとな」
そう言ってぽんぽんと有希の頭を撫でて、ヴィーゴは出て行ってしまった。
「……ユーキちゃんって、凄いのねぇ」
「え? 何が?」
「ううん、何でもないわ。そういえば、明日の朝には出発するみたいだから、荷造りちゃんとしておくのよ。体調が悪いなら、荷造り終えたら寝ちゃいなさい」
「う、うん」
(荷造り……)
頑張ろう。と、ぎゅっと拳を握った。
セレナとヴィーゴにはあまり無理をするなと言われたけれど、明日出立だと思うと名残惜しくて、荷造りを終えた後、子供達と遊んでしまった。
子供達が孤児院に居ると、チルカの部屋にばかり行ってしまうので、皆で近くの森で昼食を摂ることになった。
さわさわと梢が聞こえる中、子供達はすっかり寝入ってしまった。
梢の音など意識できないほど騒がしかった。
子供達はそれぞれに違う遊びをし、有希とパーシーはあちらこちらに呼ばれて引っ張られて、たらいまわしにされた。
馬車馬のように遊んだかと思えば、ぷっつりと充電が切れてしまったかのように、皆眠っている。
孤児院から持ってきた遊び道具があちこちに散らばっている。それをいそいそと拾いながら、子供達の寝顔を盗み見る。
「いやー、遊んだねぇ」
パーシーも有希と同じように、遊具を鞄にしまっている。パーシーは顔を上げると苦笑して「あぁ、久しぶりにこんなに動いた」と言った。
「あれ? 王子様って運動しないものなの? やっぱり勉強ばっかりしてるんだ」
「違う違う。剣も習うぜ。誰も連れていない状況に陥った時には自分で身を守らなければならないってな。だけどこっちに来てからは、身体動かしてないなぁ」
(やっぱり大変そうだなぁ)
「嫌だった?」
「いや? むしろ好きだったな」
そう言って微笑む。つられて有希も微笑んでいると、パーシーの笑顔が濁る。
「あぁ。王子だっつぅ事で表向きにへつらって、裏で俺の事クソみたいに言ってる貴族を堂々とヤれたからな」
その言葉に、思わずきょとんとしてしまう。貴族は皆王家を大切に思うものではないのかと思った。
(あぁでも、パーシーは貴族嫌いみたいだし)
塔で言われた事を思い出す。お互いに相容れないのだろうか。闘技場で貴族をのして笑っているパーシーを想像して、吹いた。
(きっと凄く楽しそうに笑ってるんだろうなぁ)
「楽しいぜ。俺の事舐めくさってたのに、俺にやられた時のあの顔を見るのは」
「あはは、性格悪ぅ」
「当たり前じゃねぇか。アンタみたいなめでたい性格してたら、王宮ん中生きていけねぇって」
「そうかなぁ……」
別にそんなにおめでたくないけど。ぶつぶつといいながらナプキンを畳む。
「アンタ、本当にヘンな女だよな」
えぇ、と声を上げてパーシーを見やる。
「王宮の貴族みたいにヘコヘコしないし、リビドムの人間みたいに頭も下げない。ホント、ヘンな女」
「だって、別にパーシーにヘコヘコする必要ないし、頭も下げる義理ないもん」
言って、ふと今こうして有希の片付けを手伝ってもらっているという事に気付く。
「あ、片付け手伝ってくれてありがとう」
言って頭を下げると、パーシーはどこか楽しそうに笑った。
「そこかよ」
「だって今のところそこしか思い浮かばないし」
そう言って、有希も鞄に食器を詰める。
食器鞄を仕舞い終えたところで、リタが小さくくしゃみをした。見ると、寒そうに身体を丸めている。
「――風が冷たいかな」
持ってきた鞄からブランケットを引っ張り出して、リタにふわりと掛ける。風で飛ばないようにとリタの腕をブランケットに乗せて、寒そうに眉をひそめていたのがなくなるのを見て、立ち上がる。
(――あ)
頭からさぁっと血が引いていく感覚が巡る。ギーギーと耳鳴りが聞こえて視界が白く濁る。
貧血だと思った時にはもう平衡感覚を失っていて、足元がおぼつかない。
全身に力が入らなくなって、崩れ落ちそうになった所で、右腕を引っ張り上げられた。
視界がぐらぐらと揺れる目で見ると、パーシーの顔が揺れている。その景色に酔ってしまいそうで目を閉じる。
「ど、どうしたんだよ」
「ぁー、ごめん、貧血」
うろたえる声に、何も考えられない頭でかろうじてそれだけ吐き出す。引っ張ってくれる腕に甘え、ずるずると膝は崩れてゆく。
(バカだ)
ヴィーゴに顔色が悪いと言われていた。セレナにも休めと言われていたのに。
(ばかだぁ)
膝が地面に着く。頭が地面に向かわないのは、パーシーが腕を持っていてくれているからだ。
「ちょ、オ、オイ、俺はどうすりゃぁいい?」
「んー……」
なんとかやり過ごそうとしても、頭の奥がジーンと痺れている感覚が消えない。頭がぐらぐらと揺れる。
「寝かせて」
ポツリと言った言葉が聞こえたのか、わきの下に何かが触れる。背中にも暖かい何かが触れる。
「引っ張るぞ」
耳元でそう声が聞こえる。こくんと頷くと後ろに引っ張られ、踵ががずるずると地面を引っかいた。
どのくらい引っ張られたのだろうか。背中からぬくもりが消えたかと思うと、ゆっくりと体を横に倒される。ごつごつとひんやりしたものが背中に当たる。
「だ、大丈夫か?」
伺うように聞いてくるパーシーに、ありがとおと返事を返す。
身体が前後に揺らめく感覚は無くなったが、目を閉じていても世界がぐるぐると回っている感覚がする。
「だいじょうぶー。まだ頭ぐるぐるしてるけど、頭ははっきりしてきた」
そう告げると、ほっとした息が聞こえた。
「あ、頭。貧血ん時って頭上げておいた方がいんだろ?」
頭上からそう声が聞こえたかと思うと、そっと頭を持ち上げられる。ゆっくり戻されると、後頭部に柔らかくて暖かいものがある。
「こっちの方が少しは楽だろ」
緑の葉の間から、きらきらと日差しが瞼に落ちてくる。
(膝枕)
「うん、ありがとう」
頭の奥の痺れが少し和らいだような気がする。
頭上から聞こえる声も、どこか柔らかだ。
「ごめんね、頭重いでしょ」
「あ? あぁ、別に」
そっけない返事が返ってきて、思わずくつくつと笑ってしまう。
(優しいのになぁ)
優しいのに、この不器用さがくすぐったい。
「なに笑ってんだよ」
そう言って有希の頭を叩くてのひらも、優しい。
「優しいね、パーシーちゃん」
昔この孤児院にいた年長組がパーシーをそう呼んだという。今はもう、戦争に向かってしまった人たちだと、パーシーは言っていた。
「……その名前で呼ぶな。もうガキじゃねぇんだから」
「みんな呼んでるじゃない」
「チビ共にも呼ばせない」
(そんなの無理なのに)
その名前は孤児院の皆が呼んでいる。
「無謀ね」
「――もういいから寝とけよっ顔真っ青だぞ」
手の平が瞼に翳されたのがわかる。視界が一気に真っ暗になった。
「……うん」
そう呟いて、一つ深く呼吸をした。
「ありがとね、パーシー」
そう告げると、意識を失うように寝入った。