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有希に問われるままに名前を名乗ったパーシーは、その直後に慌てふためいていた。王子であることを隠したかったらしい。
それに更に笑って、王子であることを知っていたと答えた。
「あたし、貴方の事見たことあるもの」
「――そうだったのか」
一安心したように胸を撫で下ろしたかと思うと、キッと有希を睨みつけて「チビ共には言うなよ」と真剣に言ったので、吹き出した。
「……アンタ、ヘンな女だな」
「そお?」
笑いすぎて目じりに涙が浮かぶ。ブランケットを持って呆れている姿を見て、更に笑う。
「真顔で面白いのは、血筋なのかなぁ。兄弟そっくりね」
「――兄貴を知ってんのか?」
頷くと、パーシーがどこか不機嫌そうになる。
(あれ)
「もしかして、パティの事嫌いなの?」
どんどん表情が曇ってゆく。
「パティ……ねぇ」
「あぁ、ごめん。お兄さん」
呼び捨てたのがダメだったのかと思ったが違ったようで、苦渋に満ちた顔になる。
「兄貴は何もしようとしてねぇんだよ。戦争も、親父も、伯母様も止めようとしねぇ。何もしねぇでただぼんやりと見てる」
逃げてんだよ。どこか蔑むように言う。
「あの魔女に何言われたのか知らねぇけど、兄貴は人形みたいになっちまった」
「魔女?」
聞き返すと、逆に驚いたような顔をされる。
「知らねぇの? 有名な話だけど」
知らないと首を振ると、不思議なものを見るような目をされる。
「兄貴な、魔女の呪いに掛かってんだよ」
「呪い!?」
(そういえばヴィヴィに聞いたことある、けど。ホントにそんな事あるんだ……)
「ちなみに、どんな呪いなの?」
「兄貴もよくわかんねぇみてぇだけど、表情がなくなったんだよ」
(表情が、ない?)
あのガラス玉のような瞳を思い出す。
(確かに、あんまり表情豊かだとは思わなかったけど)
まさか、魔女の呪いだとは思わなかった。
「……なぁ、アンタ、貴族なのか?」
「へ?」
突然の問いかけに、素っ頓狂な声が出る。
「俺はともかく、兄貴はここ数年、まともに公式の場に出ていないんだ。なのに面識があるって」
(やばっ)
「あは、あははは。ちょーっとお世話になっただけ! そうそう」
(公式の場に出てなさいよ、パティめ!)
何もかもを見透かしてしまうような水色の瞳。とてもとても澄んでいて綺麗な瞳だった。
――彼との最後の思い出は、処刑場だった。
何か言い残すことはと事務的に問いかけたあの瞳。
有希が死ぬことで皆が幸せになるのかと問いかけた時、驚いたように数度瞬いていた。
「……おい?」
「別れ際、酷い事言っちゃったの」
思い出しただけで苦々しい気分になる。そんな罵詈雑言を言われた彼は、何を思ったのだろうか。
「もう、会うことないかもしれないなぁ」
謝りたかったのにと呟くと、ぽんと頭を撫でられる。
「なら、会わせてやるよ」
驚いて見上げると、どこか恥ずかしそうに笑っていた。
「俺もアンタに酷い事言ったからな。詫びと礼だ」
「礼? 別にあたし……」
「いいんだ。でないと俺の気がすまない」
結局、何に対しての礼なのかわからなかったけれど、問い詰めるのはどこか野暮な気がして、そのまま黙り込んだ。
「悪かったな。怖がらせて」
「ううん、あたしこそ、突然抱きついたりして、ゴメン」
突然可愛いと叫んで抱きつかれて、迷惑だったろうと上目遣いに伺う。
「べ、別に。あんなのはチビ共にじゃれ付かれたのと一緒だろ」
「それもそうだね」
クスクスと笑うと、ヘンな女とまた言われた。
「なぁ、アンタ、これからどこ行くんだ?」
「え? あぁ、ここを出たら、こんな風にあちこち回ってアドルンドに行くの」
「アドルンドに?」
ぴくりと眉をひそめられる。
「――あ」
(言わないほうが良かったかな)
有希の居る場所は元はリビドムといえど、今はアドルンドと戦争をしているマルキーなのだ。
気まずく思ったのが伝わったのか、かまわねぇよとパーシーは笑って見せた。
「ただ、今のアドルンドは物騒だ。――町中とかそういう場所じゃない。アンタがもし貴族なんだとしたら、あんまり深入りすんなよ」
「どうして?」
「気付かないのか? アドルンドの王子が十日熱で死んだ」
「それは、知ってる」
「なら何故、感染したかわかるか? 王宮に居れば少なからずとも家臣達が危険を遠ざける」
(それは、そうかも)
「故意に、感染させられた可能性も強い。病死なら仕方がないって嘆く事ができるもんなぁ」
考えていなかった事を告げられて瞠目する。
「誰かが、第三王子をよく思っていなかった。ってこと?」
「そういうようにも考えられるだろ? まぁ、事実はどうなのか知らねぇけど」
(……もしかして、とんでもない事なんじゃないのかなぁ)
ぺろっと言ってのけるその横顔に感心し、そして同時に畏怖もする。
(わけわかんないよ。なんでこんなにいろんな物事がごちゃごちゃしてるの? 情報もどれが本当に正しいのかわかんない。――あぁ、だからリフェは情報屋なんてやってるのかぁ)
ひょっとしたら、今こうして有希の隣に立っている少年も、誰かに良く思われなくて身の危険を感じたこともあったのだろうか。
(絶対あるよね)
凄い人だと感心してしまう。
「……難しいんだね」
「そうだな。俺はここの生活みたいに、チビ共と遊んで、畑耕してその日のメシにありつけて、生活するために働けりゃそれでいいんだけどな」
(そっか、だからこうやって、何度も何度も足を運ぶんだ)
「アンタも気をつけろよ。十日熱はアドルンドが一番蔓延してるんだから」
「うん。でもパーシーちゃんも、いいの? チルカが発症してるわけだし、同じ建物に居るのってダメなんじゃないの?」
「……チルカは、そんなに悪いのか?」
「今夜が、峠だって」
「そうか」
そうして、また静寂が訪れる。
どれほど出ていたのだろうか。少しだけ肌寒い。
空を仰ぐと、青白い月が雲を照らしている。星々が所々に見える。
「お星様になるっていう通説も、あたしの国にはあったよ」
「……星?」
「人が死ぬとどこへ行くのか。っていう話」
「あぁ」
「お星様になって、みんなを見守ってくれるんだって」
言って、夜空をもう一度見上げる。パーシーも倣って空を仰ぐ。
「……たいそうな人数に見守られてるな」
「悪い事できそうにないでしょ?」
「まったくだ」
二人でひっそりと笑いあった瞬間「いくな」という叫び声が聞こえた。
それは孤児院の二階――チルカの寝ている部屋からだ。
いくな。それは、逝くなということなのか。
「――っ」
突然パーシーが駆け出す。
「あっちょっと待って!」
(行っちゃいけない)
パーシーはこの孤児院に来てから、一度もチルカの顔を見ていない。
(感染っちゃうよ!)
有希もパーシーを追いかけて走った。
庭に、はらりとブランケットが舞った。