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パーシーは有希が見つけたときから動いていないのか、全く同じ体勢で立っていた。
月明かりに照らされた森は神秘的で、どこか近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
すぐ傍にある大きな木は、風に揺れておおきくさざめいている。
「――何を見ているの?」
ゆっくりと近づいて、そっと声を掛ける。すると驚いたのか、目を瞠って振り返る。そして有希の姿を確認して、ほうっと息を吐いた。
「あ、驚かせちゃってゴメン」
「いや、いい」
お互い黙り込み、沈黙が訪れる。
(何を話せばいいんだろう)
正直、まだ少し怖いという思いもあった。憎悪を込めて睨まれて、何度も何度も耳の痛い皮肉を言われた。
なのに今、こうして隣に立っている。
「……どこに行くのかと思ってたんだ」
「え?」
突然発せられた言葉に驚いて顔をあげる。
「人は死ぬと、どこに行くのか考えてたんだ」
バカみたいだろうと苦笑いされる。
「そんな事考えたとしても、死んだ奴が俺に何が出来るって訳でもないんだけどな」
そう言って有希を見つめて、似てるんだと言う。
「つい最近死んだ――いや、俺が殺した子供に、アンタよく似てるんだ」
苦しそうに顔を歪めている。その子供というのは、有希の事だとすぐわかった。
(でも、殺したって)
有希はパーシーに殺されたわけではない。なのに何故パーシーはそんな事を言うのだろうか。
どきどきと心臓が脈打つ。もしかしたらバレるのではないかと思うと、掌にじっとりと汗が浮かぶ。
「本当にガキだったんだ。ココのガキ達と一緒で、何も知らなくて、そのくせ生意気で意固地な奴だった」
なら何故。
「じゃぁ、何で殺したの」
思わず口をついて出てしまった。パーシーは跳ねるように顔を有希に向ける。とても怒った表情で有希を見て、そして力なくうなだれた。
「アイツが死ねば、戦争が終わるはずだったんだ」
(まただ)
国の為に死ね。民の為に死ね。彼は有希にそう言った。
けれど、有希が死ぬ事でどう救われるのか、どれだけ考えてもわからなかった。
「どうして、そんな子供が死ぬ事で戦争が終わるの?」
日本がもし戦争を行ったとして、誰かが死ぬ事で戦争は終結するのだろうか。もしそれが天皇や首相だったらいざ知らず、何も関係のない一般人だ。
(死んだのは、伝説の魔女としてだったけど)
魔女が死ぬことで、戦争は本当に終わったのだろうか。
パーシーはしばらく有希を見つめて、ふいと顔をそむける。
「ソイツを殺せば、攻め込まないと言われたんだ」
(誰に)
真っ先に思い浮かんだのは、アドルンドに居る、彼だ。
有希を捕らえ、胸に鏝を押し付けそしてマルキーに引き渡した。
(オルガ……)
胸がぎゅっと痛み、持っていたブランケットを思い切り抱きしめる。
「アンタを見たとき、アイツが生き返って復讐に来たんじゃないかと思った」
「え?」
痛みを凌ぐのに必死で、よく聞き取れなかった。
ふと目を合わせたその顔は思いつめていて、殺気にも似た激しさがある。
(なに?)
「その目が、アイツと一緒なんだ」
突然、パーシーが有希の手を思い切り引いた。引かれた手からブランケットがずるりと落ちる。
「――った」
そのまま有希は大きな木に肩をぶつける。痛いと思ってすぐ、パーシーを責めようと睨みつけると、捕らえるように手が伸びてくる。逃げようと後ずさると、ざらりとした木の幹に背中が当たる。
(まずい)
どうにか逃げようと身をよじろうとすると、顔の両脇に手が置かれる。必然的に、有希はパーシーと向かい合う形になる。
「その目だよ。俺を責めるようなその顔。――なぁ、お前、誰だ?」
「……ユーキよ」
(怖がらせようったって、無駄なんだから)
一生懸命自分を奮い立たせて、睨みつける。
獣のように眼光を光らせた目が、舌なめずりするように有希を見ている。
「俺の殺したガキもそういう名前だったんだよ」
「あらそう、それなら他人の空似なんじゃない?」
「っざけんな! オマエ俺を殺しに来たんだろ、お前に散々国の為に死ねと言って、そしてお前は死んだ! なのに何も変わらない! 俺が憎いんだろ! オマエを殺した俺が憎いんだろう!」
怒声に身がすくむ。苦しそうに叫ぶパーシーを見つめることしかできなかった。
パーシーは有希を憎んでいる筈。何度も死ねと、言った。なのに言葉の端々に悔恨が浮かんでいる。
(どうして?)
「ココに何をしに来た。お前は俺を憎いんだろうが!」
そう雑言を浴びせ掛ける顔が、言葉とかみ合っていない。有希の胸がえぐられそうなほど、悲壮な顔をしている。
「何をしに来た……」
その顔には、もう獣のような獰猛さはどこかに消え、むしろ懇願するようにも見える。
「お前は俺を殺しに来たんだろう。殺すなら、俺を殺せ……チビ共は連れて行くな。もう、誰の死ぬところも見たくない」
その言葉が有希の胸に突き刺さる。驚きに瞠った目から、涙が出そうだった。
(そっか)
わかってしまった。
あの塔での不可解な出来事も、何も知らないという事が幸せだと言った彼の言葉の意味も、国の為に死ねと言った意味も、そして――自分を殺せと言った意味も。
(大切なんだ)
マルキーも、リビドムも、孤児院のみんなも。
(そして、見ず知らずのあたしが死んでしまった事も、悲しんでくれている)
気付いてしまうと、一気に目の前の青年がいとおしく見えてしまう。
嬉しくて嬉しくて、何かからじっと堪えるような顔をしているパーシーに両手を伸ばし、思いっきり抱きしめた。
「ありがとうっ」
「――なっ!」
剥ぐように背中に手が回されるが、知るもんかと腕に力を込める。首が絞まっているだろうと思ったけれど、力を緩める事はしなかった。
「優しいね、パーシーちゃん!」
皆がそう呼ぶ理由もわかってしまったような気がする。うめき声が聞こえるが、かまわず続ける。
「大丈夫、あたし死神じゃないから誰も殺さないよ! でも嬉しいなぁ」
この喜びをどう伝えていいのかわからず、行き場のない嬉しさは顔のにやけに現れる。
「――っだぁ! んだよいきなり!」
一瞬力が緩んだ隙に、有希から両手を剥いだパーシーはどこか呆れ顔だ。
「死んでないよ」
「はぁ?」
「だから、その女の子。死んでないよ。生きてる。生きてて、ちゃんとパーシーちゃんのことわかってるから」
すっかり有希に毒気を抜かれてしまったパ―シーは、真面目な顔で言う有希を鼻で笑う。
「下手な慰めはいらねぇよ」
「慰めじゃなくて事実。ちゃんと、パーシーちゃんが国の事を考えて言った事だってわかったから、憎くもないし殺したいとも思わない」
貴族は何も知らない。知らないから幸せだ。
そう言ったのは、目の前に居る彼と、どこか懐かしい深緑の美しい青年だった。
(あたしは今、知ることができて良かったよ、リフェ)
ニッコリと笑うと、二の句が告げないのか、眉間に皺を寄せたまま有希を見ている。その顔は、有希の言っている事を一片も信じていない。
「あ、信じてないでしょ。――ならいつか、ちゃんとした姿で会いに行くよ」
(そう、元の姿に戻ったら、ちゃんと言おう。あたしは生きてるよって)
「だから、今度こそ名前を教えて?」
ニコニコと笑う有希に根負けしたのか、パーシーはため息を一つ吐いて答えた。
「マノ・パースウィル・マルキーだ」