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リフェノーティスとエストの家から一番近い聞いていた孤児院は、馬で三時間ほど走ったところにあった。
どうやら孤児院の方々と二人は顔見知りのようで、何のためらいもなく通された。
孤児院といっても、そんなに大きくなく、幾度となく見てきた宿屋に良く似ていた。
有希達は孤児院の院長と挨拶をして、少し世間話をする。
初老の院長は柔和に微笑む人だと思った。
ほどなくして、子供達がわらわらとやってきた。やっと歩き始めたような子から、小学生くらいの子まで大小様々な子達だ。
客人が珍しいのか、部屋から顔だけ覗かせている子供も居る。
「ねぇおねえちゃん、どこからきたのー?」
「遊ぼう!! あたしね、こないだせんせぇにあたらしいにんぎょうつくってもらったの!」
「え、えぇ? えっと……」
我先に我先にと子供達がまくしたてて話す。どの子を相手にしたらいいのかわからずに戸惑っていると、セレナが近くにいた幼子を抱き上げる。
「はいはい、みんな遊んであげるから! あっちの部屋に移動しよっか」
「うん!」
「はやく!!」
セレナが有希にウインクする。
「ユーキちゃんはそこでヴィーゴのお手伝いしてちょーだい」
そう告げると、子供達と奥の部屋に入っていった。
また静かな空気が流れる。ヴィーゴは大きなあくびをした。
「んで? 院長、特に具合の悪い子供は居ないんだな?」
「それが……一人、ここ数日悪そうにしている子が居ます」
ヴィーゴの目の色が変わる。
「その子はどこに?」
「たいした事無いと言って、今あの部屋で子供の世話をしています」
「何だって? 体調が悪いのに?」
院長は申し訳なさそうに口を開く。
「ここは幼子が多いので、数少ない年長の子には、小さい子を見てもらっているんですよ」
「その子が十日熱で、チビに感染したらどうするんだよ! ックソ」
ずんずんと歩き出す。慌てて有希もそれについていく。
「院長、小さな部屋で良い。誰も入れなくできる部屋を用意してくれ」
「は、はい!」
顔を出していた子供達が、首を引っ込める。それと入れ替わるように部屋に入ると、先ほどの子供達が一人の少女にべったりとくっ付いている。
数人に囲まれて座っている少女の年の頃は十四、五くらいだろう。赤黒い髪の毛がとても印象的な少女だった。
少女は乳飲み子を抱いて、きょとんとヴィーゴを見ている。
(なんだ、普通じゃん)
「この子だな」
決め付けたように、ずんずんと少女に向かう。ヴィーゴの気迫が怖いのか、子供達が少女の後ろに隠れようと皆でぎゅうぎゅうと押し合っている。
「な、なんですか? 今やっと寝入った所なので――」
聞く耳を持たず、ヴィーゴは少女の額に手を当てる。
「――大分高いな。相当無理してるだろう。いつからだ?」
少女が驚き、次にむっとした表情を浮かべる。
「別に、平気です」
「いつからだ?」
さらに追い詰めるように聞くと、少女は小さく「三日くらい前」と呟いた。
「三日前……ックソ」
少女の手からひったくるように赤子を取ると、有希に押し付ける。そしてヴィーゴは少女を横抱きして、部屋から出て行った。
(お姫様抱っこだ……)
泣き出してしまった赤ん坊と、あまりの気迫におののいた子供達を宥めながら、有希は凄いと思っていた。
「お医者様って、凄いね」
きっと、有希も子供達も、少女が行ってしまった場所にはいけないだろうということで、少女の代わりに有希がなろうと思った。
その小さな孤児院には、院長以外は孤児しかいなかった。
子供の人数は二十人。内十歳以下の子供が十五人もいた。
高熱で倒れてしまった少女、チルカが最年長の十五歳。チルカの次の年長は十三歳の男の子だった。
孤児院は全てチルカが仕切っていたらしい。食事のことも、子供達のことも。
幸い、セレナが居てくれたので、有希とセレナは倒れたチルカの代わりに子供達をあやし、夕食を作った。
「それにしても、あの子すごいわねー」
「ね、一人で全部やってるだなんて、本当に凄い」
「そうじゃないわよぉ。ここの子達、みんな上の子が下の子の面倒見てるの。そういう風に教育するの、大変だったと思うわぁ」
わいわいとにぎやかな食堂は、とても活気が溢れている。
有希がスープを入れると、十歳前後の子供がトレイに置いて持っていってくれる。その光景が微笑ましくて、顔がほころぶ。
セレナが隣で麦の粥をすくっている。
「でも、何で子供達しかいないんだろう。セレナ、前もココに来た事あるんだよね? 前からこんな感じだったの?」
「前はもっと年上の子が居たわよ?」
「じゃぁなんで――」
「戦争があったからに決まってるじゃない」
驚いて、スープが手に掛かる。不思議と熱さは感じなかったが、左手がチリリと痛んだ。
「あぁ、もう。大丈夫?」
セレナがタオルを差し出す。受け取ったはいいが、その場に立ち尽くす。
(戦争があった)
そう。リビドム兵が、アドルンドとマルキーの戦争の一番の犠牲者だった。
(リビドム兵って言っても、普通の人も居たはずなのに)
彼らも、この場所で、今の有希と同じように子供達に食事を与えていたのだろうか。
そう考えると、酷く切ない。悲しいのだと思っても、それを表に出してはいけないような気がした。
「お姉ちゃん、どうしたの? 手ぇいたい?」
小さな男の子が、有希を覗き込んでいる。
その仕草が可愛らしいなぁと暖かい気持ちになると、それと同時に、同じ頃の少年が目の前で切り捨てられた瞬間が蘇る。
自分の無力さ、非力さが、とても悔しかった。
「お姉ちゃん?」
小さな男の子が有希を覗き込んでいる。
「大丈夫だよ。ありがとうね」
(なに、小さい子に心配掛けさせているんだろう)
そもそも、お手伝いをするために居るというのに。
ニッコリと笑って頭を撫でると、男の子は満足気に笑ってくれた。
「もしお姉ちゃんを泣かせるやつがいたら、ボクがやっつけてあげるからね! ちるか姉ちゃんが、おんなのこにはやさしくしなさいっていっつも言ってるんだ!」
男の子が拳を握って得意に言ってみせる。
「ホント? なら、ここの女の子のことも守ってあげてね」
「モチロン! ちるか姉ちゃんもボクが守るんだよ!」
(本当に凄い)
チルカという少女は、こんなにも子供達に慕われている。
そんな彼女は、熱にうなされている。
「チルカ姉ちゃん、早く治ると良いね」
(早く、治って欲しい)
この子供達の笑顔を守るためにも、この孤児院を守るためにも。
そんな儚い思いも虚しく、その夜チルカは発疹した。