55
気が付くと、有希はセレナと同じベッドで眠っていた。
二人で暮らすのに丁度いい大きさの家に、五人も寝泊りしている為に、寝床がないからだ。
(また早く目が覚めちゃったなぁ)
朝日が少しだけ出ているのだろう。まだ暗い中、窓の下辺りが白んでいる。
もぞもぞと動いて、ベッドから出る。
大きなあくびを一つして、リフェノーティスの部屋を出る。
暗い扉を開けると、居間とは反対の戸口がうっすらと明るい――リフェノーティスの小部屋だ。
「リフェ、起きてる?」
ノックをすると返事が返って来る。扉を開けると、むわっと草の匂いがたちこめる。
そこでリフェノーティスは、例の十日熱の薬を作っていた。
「リフェ!?」
「あぁユーキ、おはよう」
作業をしながらちらりと視線が有希に来る。リフェノーティスの綺麗な顔に、隈がしっかり出来ている。
「何やってるの……?」
見ればわかる事だ。薬を作っている。それでも、聞かずにはいられない。
「ホラ、セレナが今日出発するって言ってたじゃない? 少しでも多く作っておこうと思って」
有希の親指の爪ほどの大きさの薬が、有希が手伝っていた時の数倍の量になっている。
(すごい……)
「これ、どうやって飲むの?」
「水かお湯で戻して、それを飲むの。デロデロになるから見た目が結構えぐいんだけど、まぁ治ればえぐいも何もないわよね」
リフェノーティスが指先で丸い薬をもてあそぶ。深緑と青緑が混ざったような薬が、水に戻された姿を想像するだけで口がすっぱくなった。
「これってさ、とっても凄い発見なんじゃないのかなぁ」
昔この世界の人口の過半数を減らした病の特効薬を作った。それは、もしかしなくてもとてもとても凄いことなのではないだろうか。
「どうかしら。これで致死率が下がったらまずは成功でしょうね。でも、必ず治るっていうわけじゃないから変に期待は持たせられないわ」
「? どうして?」
「飲めば必ず治るってものじゃないもの。たとえ薬を売って、患者さんが治らずに亡くなっても責任は持てないわ」
「そっか……」
(薬一つ作るのにも、大変なんだなぁ)
「それに、十日熱の薬はもう何十年も前から研究されているわ」
「そうなの?」
「えぇ。それに更に別の物を加えたのがコレよ」
有希は手伝いで材料を見たが、色々な緑が混ざったこの薬を、疑わずにはいられないだろう。
「そういえば、ヴィーゴさんが持ってきたものも加えたんだよね。どんな薬草だったの?」
「ん?」
リフェノーティスはニッコリ笑って、どこかから紫色の鉱石を取り出した。
「これよ」
(い、いし?)
「びっくりした? 私も驚いたわ。ヴィーゴの考える事はやっぱり吹っ飛んでるわねぇ」
(ほ、ほら、地球の医学も、確かカビとかから発見したとか言うしね……)
きらきらした紫色の鉱石を眺めて頷いた。
そらからしばらくして、皆が起きてエストの作った朝食を食べ、荷物を詰めて出立の準備をした。
有希はヴィヴィから渡された麻袋に、エストのお下がりの着替え数着と、十日熱の薬、そして乾物とドライフルーツを入れた。
エストがあれもこれもと用意してくれて、有希は少しほっとした。
日も昇り、あまり遅い時間になってはいけないということで、昼食を食べてすぐに出立となった。
ヴィーゴは「またやられた」と二日酔いで辛そうだったが、やけに明るいセレナに急き立てられて、すごすごと馬に乗った。
有希もセレナに呼ばれ、荷物を肩に掛ける。
リフェノーティスとエストがそれを見守っている。有希は肩から麻袋をかけなおして、頭を下げる。
「数日間、本当にお世話になりました。右も左もわかんないあたしに良くしてくれて、本当にありがとう」
ニッコリと笑うと、リフェノーティスは笑み返し、エストがぷいとそっぽを向く。エストのそれが照れ隠しだとわかってしまうほど、仲良くなれたと思う。
「リフェも。沢山話をしてくれてありがとう。お陰でやりたいことがわかった気がする」
「そう? なら良かったわ」
あぁそうだ。そう言って、リフェノーティスは後ろ手から黒い麻袋を差し出す。
「餞別」
「え、ありがとう。見てもいい?」
頷くリフェノーティスを見て、細身の麻袋を開ける。
「――え」
そこには、弓と矢。そして皮手袋が入っていた。
「どうして……?」
「手を握ったときにね、指の皮が厚かったから」
その笑顔は、雨の中で会った時と何も変わらない。
(……リフェは面の皮が厚いと思う)
「ユーキ。私たちと彼等はまぁ、一応信頼が置けると思うわ」
そう前置きをして、有希の目線に屈む。
「そんな私が言うと説得力ないかもしれないけど、あんまり初対面の人を信じない方がいいわ。ユーキは無防備すぎるわ」
これから危険な所に行くんだから。そう告げられる。
(それは、そうかもしれないけど)
自分が今までどれだけ出会う人に恵まれてきたか。いろんなものを見て、沢山知った。
「リフェの言う事は正しいと思う」
そう、リフェノーティスの言うことはいつでも正しかった。
(でも)
「あたしみたいなちょっと変わってる人間は、先に人を疑っちゃいけないの。信じてあげなきゃいけないの。だってあたしから先に疑ってかかったら、相手はあたしのことをもっと疑っちゃう。信じてもらえなくなっちゃうよ。――『自分が信じるから、相手は自分を信じてくれる』」
セレナが有希を呼ぶ声が聞こえる。
「それが、パ……お父さんの教育方針なの! あたしはどんな人でも、信じる事をやめないよ」
言ってて恥ずかしくなって笑ってごまかす。どうにか話を逸らそうと考えていると、水晶に映った人影を思い出した。
「そ、そういえば、前リフェの水晶でチラッとみた人、お父さんに似てるかも」
笑いかけると、リフェノーティスの目がどこか真剣だった。
「その……お父さんは今、どこにいるの?」
「え」
心に、あの日が蘇る。憎らしいほどに晴れ渡った空。くるりと反転した世界。
「……遠いとこ」
セレナの声が響く。
「ユーキちゃん! 行くわよ!」
「あ、はぁい! じゃぁ、行くね。弓と矢、ありがとう!」
手を振って、小走りに駆けて行く。
「ユーキ!」
振り返る。そこには、新しい義足をつけたリフェノーティスが跪いている。
「……どうか、健やかに……」
「うん、ありがとう!」
大きく頷いて、再び手を振る。
そして、セレナの長い腕にしがみついて乗馬した。
馬は手綱を引かれて、くるりと反転する。
有希は振り替えずに、しっかりと前を見据えた。
「まずはここから一番近い場所にある孤児院に行くわ」
「わかった」
「舌を噛むから、喋らないようにね」
こくりと頷くと、セレナが馬の腹を蹴った。
あの少女と君主が似ていると、数度思った。
こんなにも天真爛漫な人間が、あの人以外にも居たのかという驚きと、あの人だけでもかまわないのにという虚脱と、そして、懐かしい温かな気持ちがあった。
『自分が信じるから、相手は自分を信じてくれる』
常に自身に言い含めて、誰にでも献身的に尽くしていた君主。感謝されることよりも、唆される事の方が圧倒的に多かったのに、それでも家臣を、民を信じ続けた。
――そんな人だからこそ、全力で守りたいと思った。
「カーン様……」
守ることの出来なかった、たからもの。
『……遠いとこ』
きっと彼女の言う場所に、リフェノーティスは行けないのだろう。否、行こうと思えば行ける場所だが、会えるとは限らない。
「――それ、リフェの探してる人?」
はっと我に返ると、どのくらい立ち尽くしていたのだろうか。蹴爪の音すら聞こえなくなっていた。
(ずっと、そこにいたの?)
口を開いても、何と声を掛けていいのかわからない。
エストは、ずっと彼を嫌っていた。見たこともない彼を。自分がずっと探していることを心配して。
(心配……)
灰色の目が、まるで反応を見るかのようにじっと見つめている。
(心配、してくれてるの?)
困惑していると、わざとらしいほどの溜息が聞こえた。
「もぉいいよ。別にソイツの事探してるのを怒ってるんじゃないから。む、むしろ今まで手伝わなくて悪かったな。今度からオレも一緒に手伝うよ」
きゅうっと心臓が痛む。わかっていた君主の喪失よりも、小さかった少年が大きくなっていること、あまつさえ心配してくれていることが、沁みるほどに痛い。
(こんなに、長い間)
いつから気付いていたのだろう。いつからこうやって、見守っていてくれていたのだろう。あの小さな体で。
そうしようと思う前に、体が動く。
「で? ソイツの名前、なんていうんだ?」
両手がエストの肩に回る。自分よりもふた周りも小さなその体を抱きしめる。
「え、あ、リフェ……?」
「もういいの」
「もういって」
「いいの。――あの人は、もう居ないから」
そんなの、もうずっとずっと前から知っていた。
ただ認めるのが嫌だと意固地になっていた。
それがどれだけこの子を苦しめたのだろう。
(ごめんね、ありがとう)
力を入れたら折れてしまいそうで、それでも、リフェノーティスを必死に支えようとしてくれた。いつもいつも傍らに居てくれた。
(あの人は、もういない。でも、私にはこの子がいる)
今度こそ、全力で守らなければならないと、思った。