52
有希が朝食を食べ終える頃に、リフェノーティスはすっきりとした面持ちで戻ってきた。
そして大仰に礼を有希に告げると、一緒に来るように言われた。
言われるままにリフェノーティスの後に付いて歩くと、昨晩訪れた奥の部屋に通される。
リフェノーティスが有希の分の椅子も出し、そこに腰掛けるように言って、自身も椅子に座る。
椅子にすわると、リフェノーティスと向かい合うようになった。
「仲直りできたんだね」
ニッコリと笑うと、極上の笑みが返って来る。
「えぇ、ありがとうねユーキ」
そう言うと振り返り、台に乗った水晶を台ごと間の机に移動させる。
「さてと。お礼にユーキの人探しでもしましょうか」
不思議な色合いの水晶だ。まるで水晶の中が液体のようにうねうねと動いている気がする。正確には、その光が。
「……不思議な水晶だね。綺麗」
「ありがとう。母さまからのもらい物なの」
へぇと息をついて見入る。
「人探しするのに、とても使い勝手がいいの」
身体を移動させてあらゆる方向から覗き見ると、リフェノーティスが面白そうに笑う。
「ユーキ、手を」
「え?」
斜め下から天を仰ぐように見ていると、リフェノーティスが左手を差し出している。
「私の手を取って」
身体を戻して佇まいを直し、右手でリフェノーティスの手の平に手を重ねる。
「目を閉じて」
「うん……」
ろくろく説明もされずに、言われるままに目を伏せる。
「探し人のこと、思い浮かべて」
そうねぇ、と、耳に優しい中低音が聞こえる。
閉じた目は、部屋のどこかの証明の光でちかちかとまぶしい。
「思い浮かべてってアバウトだなぁ。具体的にはどうしたらいい?」
「何でもいいわよ。一緒に過ごした日々を思い返したり、顔を思い浮かべてみたり」
(顔……)
閉じた目に、恐ろしく綺麗なルカの顔が浮かぶ。
次いで、一緒に見上げた夜空。馬に乗った時の暖かな背中。頼もしい背中。
騎士の正装をしている姿が浮かぶ。灰銀色の甲冑を纏って、有希の足元に跪いた。
泉に入った為にびしょ濡れになった姿。面倒くさそうに、とても不敵に笑う仕草。
――あそこから、全てが始まった。
「……もういいわ。目を開けて」
やわらかなのにどこか従わせる声色に従って目を開く。
「この水晶はね、人の願いを聞いてくれるの」
「願い?」
「そう、願い。限度もあるし、魔女のものだから機嫌が悪いときもあるの」
(機嫌って、人間みたいだなぁ)
「願いだから、直接見ると願望も混ざっちゃって、情報がごちゃごちゃしちゃうのよ。だから、ユーキの願いは私を通してこの水晶に映るの」
「でも、願いでしょ? あたしはルカが居る場所わからないよ」
リフェノーティスが綺麗な笑みを浮かべ言った。
「あら、私魔術士よ? ユーキは魔術士の能力は知ってる?」
「あ」
水晶を通して、いろんな人とコンタクトが取れる。
(なんて便利な……)
ある意味電話よりも便利。むしろ発信機並ではないかと内心で突っ込みを入れる。
水晶の中には、ルカの姿があった。ふわふわと揺れていて、ルカを知らない人にはきっとルカには見えないだろう。
不安定に揺れて、ずっと眺めていると酔いそうだと思った。
「ルカート王子は、アドルンド城にいるわね」
名前を言い当てたリフェノーティスを見ると、ふふ、と意味ありげな笑みを返される。
リフェノーティスはまた水晶をじっと見ている。
「アドルンド城だろうけど……自室じゃないわね。――牢かしら。暗くて冷たい場所だわ」
(牢。やっぱり幽閉されてるんだ)
「アドルンド城の牢は地下にあるの」
それは、見ているものではなくリフェノーティスの知識だろう。
(――ルカ)
水晶の中でゆらゆらと揺れる人影。
居てもたってもいられなくなって、有希は立ち上がる。
「――行く」
「行ってどうするの」
「わかんないけど、行かなきゃ!」
「正直、ユーキが行ったところでどうにかなると思えないんだけど」
繋がれた手はほどかれていない。ぎゅっとリフェノーティスが掴んだままだ。
「ユーキはルカート王子とどんな関係なの?」
(どんな?)
「ただ、ユーキが王子を好きなだけ? それとも、恋人なの?」
「違う」
エストにも聞かれた。家族、恋人。ルカはどっちでもない。
(どっちでもない。どっちでもないけど)
全てはあの日、あの場所で出会ったことから始まった。
「あたしも、拾われたから」
リフェノーティスが黙ったまま有希を見上げている。
「右も左もわからない場所で、ルカがあたしを拾って居場所を作ってくれた。ここに居ても良いって言ってくれた。一緒に来いって、言ってくれた! だから今度はあたしが助けたいの。それじゃぁダメ?」
じんと目頭に熱が篭るのがわかる。
(泣いちゃ、だめ)
ぶるぶると震えながら泣くのを堪えていると、強い力で手をぐいと引かれる。そのままバランスを崩し、有希はリフェノーティスの胸元に納まっていた。驚きで涙が引っ込んだ。
「嫌な事言わせちゃったわね……。ごめんね、意地悪言って」
宥めるように、頭を撫でられる。ふわりといい匂いがする。
ぐずぐずと鼻をすすると、背中をトントンと叩かれる。
「ユーキをいじめようと思って言ったんじゃないの。ただ、ルカート王子はあの美貌でしょ? 公に出ない分、ファンの子達が無茶するのよ」
だからちょっと試してみたの。至近距離で聞こえるやわらかな声が、とても心地良い。
「でもまさか、ユーキがねぇ……」
どこか含みのある声が聞こえるが、有希からは顔が見えない。
ややもすると、どちらからともなく離れる。リフェノーティスは幼子にでも言うように有希の両手を取ると、こう告げる。
「私の知人がね――医者なんだけど。薬草と新しい義足を持って来てくれる手はずなの。彼等はこの後あちこち歩きながらアドルンドまで行くそうなのよ。――ユーキ、彼等と一緒に行ったらどう?」
「え?」
突然の提案に目をぱちくりとさせてしまう。
「ちょっと遠回りしてしまうかもしれないけど、一人で行くよりも断然良いと思うわ」
(え、それは)
「行っても、いいの?」
「元々私の許可なんて関係ないじゃない。――でも、女の子の一人歩きは関心できないからね」
「っありがとう!」
嬉しくてぎゅっとリフェノーティスに抱きつくと、これみよがしにため息が聞こえた。
「……信じてくれるのは嬉しいけど、あんまり簡単に人を信用しちゃだめよ?」
身体を離して、リフェノーティスを見下ろす。困ったようなリフェノーティスが、どこかおかしい。
(それを、リフェが言う?)
見ず知らずの人間を拾って、家にあげてろくろく事情も聞かずに家人は家を空ける。それも数度。あまりの無用心さに面食らったのは有希の方だ。
(最初っから、疑う余裕すら与えてくれなかったくせに)
それは、有希の事を最初から信じていたからだとわかる。――そう、信じたい。
くつくつと笑えてくる。リフェノーティスが気付いていない手前、笑ったら失礼だとも思ったけれども、堪えようと思えば思うほどに笑えてくる。
「いい? 年寄りのぼやきにはちゃんと耳を貸しなさいよ?」
ますます墓穴を掘るリフェノーティスに、有希は堪えきれずに噴きだした。
リフェノーティスは複雑そうな顔をしていた。
「なによ、私の顔、そんなに面白い?」