51
リフェノーティスは目が覚めると、一連の動作を思い出させない程に軽快に喋っていた。
二人はポンポンと会話しながら、どんどんと食事を平らげてゆく。
「んでそんな隈作ってんだよ」
「あ、それはあたしが遅くまで……」
「ホラ、私夜行性だから」
有希の言葉をさえぎるようにリフェノーティスが言う。見ると、目が合ってちらりとウインクされる。
「っ年なんだからいい加減に早く寝るようにしろよ!」
「だから年齢のことは言わないでちょーだい。エストがお昼まで寝かせてくれたなら隈も消えるしお肌も荒れないわ」
「朝日浴びなきゃカビ生えるぞ」
「生えないわよ」
そこまで言うと、突然しんと静まり返る。
「どうせ、また無駄な人探ししてたんだろ」
「…………」
突然訪れた静寂に、疎外感を感じる。
(人さがし……?)
ふと、昨晩リフェノーティスの机の上の水晶に映った人影を思い出した。
(あぁ、あの人を探していたんだ)
妙な納得をして、うんうんと頷く。
(でも、なんだろ、この空気の悪さ)
ぴりぴりとしている。――正確には、エストが。リフェノーティスは何事もないように食事を続けている。
「エスト、お客様の前よ」
「……オレは、怒ってるんだからな」
聞き覚えのある言葉にうっかりエストを見てしまう。視線に気付いたのか、ばつの悪そうな顔をしたエストは無理やりかき込んで立ち上がる。
「……食器はそのままにしてていいから」
有希にそう言うと、エストは立って入り口に向けて歩く。
「エスト」
「頭、冷やしてくる」
入り口のすぐ傍に立てかけてある道具箱のようなものを担いで、エストは出て行ってしまった。
扉の閉まる音がしても、二人は扉を見つめていた。
やがて、ふぅとりフェがため息を吐いた。その一息が、とても空気を軽くする。
「ごめんなさいね」
「うぅん」
喧嘩をしていた。と、リフェノーティスから聞いていた。
(人探しのことで、喧嘩してたのかな)
「難しい年頃ね」
「え?」
リフェノーティスが目を眇めて有希を見ている。
「ユーキはエストの年下なの?」
「ううん、あたしが一つ上」
「そう……」
そのどこか懐かしそうな、穏やかな顔をどこかで見たことがあった。
(パパの笑顔と似てる)
マンションの十四階から有希を放り投げた、あの優しい人。
(そっか、リフェはパパと同年代かぁ……あ、でも二つの差って大きいのかな)
ちらりと見遣ると、リフェノーティスは黙々と粥を食べている。
(喧嘩かぁ……)
「そもそも、喧嘩の原因って何なの?」
つと、リフェノーティスが顔を上げる。
(あ、失言かも)
立ち入った内容だったかもしれないと、口に出してから気付く。
(馬鹿)
内心毒づきながら、伺うようにリフェノーティスを見る。リフェノーティスは、苦笑していた。
「それがね、私にもよくわからないの」
「わからない?」
「エストも言ってたけど、私、ある人を探していてね」
ある人。その言葉を聞いて、昨晩のあの朧な人影を思い出す。
「そしたら突然、エストがそれ誰。って聞いてきて」
「うん」
「答えられないでいたら、怒っちゃって……」
正直困っているの。そう告げるリフェノーティスは、本当に困っているようだった。
謂れもなく腹を立てられて、逆にリフェノーティスが怒ってもいいんだろうに、そこで怒らないのは人柄だろうか、それとも大人だからなのだろうか。
「……どうして、答えられなかったの?」
この質問こそ立ち入ってるかもしれないと思ったが、乗りかけた相談はちゃんと聞かねばならないと思った。
「私、探してるって思ったことなかったの」
言って、ううんと首を振る。
「探してるって言葉を使いたくなかったんだと思うの」
(? よくわかんない)
有希の考えてる事が筒抜けなのか、リフェノーティスが笑う。
「探してるって言うと、その人は居ないことになるじゃない。見つからない、居ないから探す。でも、あの人が居ないっていうことを、私はただ認めたくなかったの。それは今も。あの人居ないって認めてしまうのが嫌なの」
(……哀しい笑顔)
リフェノーティスは見たくないものに蓋をしている。蓋をしているとわかっていても、ずっと見ないフリをしていたという。
痛々しいほど傷ついた物を見たくないと思うのは、仕方のないようなことだと思う。
(でもなんか、違和感……。エストが現実を見ろって言うんだったらわかる。でも『無駄な人探し』っていう事自体には怒っていない気がする)
エストとろくに会話をしたのなんて今朝が初めてだったが、彼の優しさは昨日今日で少しは知っているはずだ。
リフェノーティスにあれこれと文句を言って、それでも面倒を見てしまう。二人の過ごしてきた日々は、きっとずっとそうだったんだろう。
穏やかで、やわらかな生活。外界とほとんど交わらないとリフェノーティスも言っていた。
二人だけの、孤立したような世界。
そんな中で、リフェノーティスは苦しい思い出にとらわれている。有希がこんなにもたやすく気付いてしまったのだ。エストも知っているのだろう。
二人しか居ない中、リフェノーティスが苦しんでる。それも、他の誰かの事で。
(……もしかして、独占欲?)
ちくりと、胸元が痛む。
「やだ、私ったらまた変な話して。――ユーキは本当に不思議だわ」
リフェノーティスが水を飲み干す。ごまかすようなその笑顔も、綺麗だ。
「……たぶん、たぶんだよ?」
真摯にリフェノーティスを見ると、リフェノーティスの顔から笑顔が消える。
「心配、してるんじゃないかなぁ?」
「心配? ……それでどうして、エストが怒るの?」
「それは、んー……どれだけ心配しても、リフェが変わらないから。っていうのと、多分エストは自分が出来る事がないからやきもきしてる、のかも」
「やきもき……」
そう言ったまま、リフェノーティスは黙り込む。
五年も二人で暮らしてきたのに、昨日今日乗り込んできた小娘が、そんな仲違いを正せるとは思っていない。
(でも、少しは役立てるかもしれない)
「私、エストに心配させてたのかしら」
「たぶん」
自信ないけど。そう付け加えたが、リフェノーティスは考え込んだままで、有希の言葉なんて届いていないようだった。
「……こんなに、長い間?」
(わかんないけど)
リフェノーティスがいつからその探し人をしているのか、そのことにエストがいつ気付いたのか。それは有希にはわからないほど昔の話だ。
突然、がたんとリフェノーティスが立ち上がる。その思いつめたような顔が、痛々しい。
「私、謝ってくる」
「え?」
そう言うと、エストが出て行った道をたどるように、リフェノーティスも出て行ってしまった。
有希は状況がよく飲み込めずに、黙って見送る事しかできなかった。
(……これで、良かったのかなぁ)
扉の閉まる音がしてしばらく。有希は一つ息を吐いた。
「……それにしても」
(二人とも、無防備すぎるんじゃないのかなぁ)
家主は両方とも出て行ってしまった。家に残されたのは、突然現れて家人に拾われた有希一人だ。
「いや、別に何かしようって訳じゃないんだけどさ。二人が仲直りしてくれたんだったら、それでいいんだけどさぁ……」
誰に言うでもなく、有希は一人で言い訳をして、冷めた粥をすすり始めた。