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見事な食事が出来上がり、器に移して居間のテーブルに移す。
太陽も気が付けば少し上昇したようで、日差しが朝日とは呼べないものになっている。
「……リフェ、起きないね」
「朝はダメなんだよ、リフェは」
エストは有希に水差しに水を汲んでくるように言うと、奥の部屋へと消えていった。
言われるがままに井戸に行き、水を汲んで戻っても、まだ二人の姿はないままだった。
どうにも居場所がなかったので、とりあえず食器を漁ってコップを三つ取り出す。取り出してしまったら今度は食器を整頓させる。それも済んでしまうと本当にやる事がない。
(それにしても、これは無防備なんじゃないの?)
考えてみれば、有希は自分の事を何も話していない。リフェノーティスはルカとヴィヴィの知人だという事は知っているが、エストは何も知らない。
(ルカとヴィヴィの知人っていうだけで、かなりうさんくさいんじゃないかなぁ)
伝説の魔女と幽閉されている王子。聞いただけで凄い響きだと思う。
(……幽閉)
自分はこんなにも穏やかな場所に居る。有希の騎士は、今何をしているのだろうか。
(拷問とか……されてないよね? だってあんなにひねくれ者でも、一応王子様だし)
できれば、無体をされていないと信じたい。でないと、自分の心がもたないような気がする。
本当なら、こうして朝日を浴びて朝食を楽しむ。そんな時間すら惜しいはずなのに。
(早く、アドルンドに行かないと)
きっと、この世界の人たちはこういう生活をしているんだろう。それがわかっただけ、この家にいたのはいいじゃないかと言い訳して、目を閉じる。
「ホラ、アイツ客だろ? 待たせてどうすんだよ」
エストの声が聞こえる。ふと目を開けて奥の扉を見て、有希はぎょっとした。
「……リフェ、大丈夫なの?」
そこには、エストにおぶられるように両腕をエストの肩にだらりと掛けている。エストがその腕を持って引っ張っている。
エストよりも大きいリフェノーティスは、地に付いている足をよたよたさせながら歩いている。
「いつもの事」
慌てて立ち上がり、リフェノーティスが座る椅子を引く。
「どーも」
器用に立ち回り、エストはリフェノーティスを椅子に座らせる。
「水、くれる?」
「あぁ、うん」
言われるまま、水差しから注ぐ。エストはそれをリフェノーティスの手に無理やり握らせる。
「ホラ、割るなよ」
(割るって……)
揃いで作られたであろうコップは、土焼のもので結構分厚く作ってある。
リフェノーティスの髪の毛は寝癖でとてつもないことになっている。後頭部から天に向かって飛び跳ね、左右にも飛び跳ねている。ウェーブのかかっている綺麗な髪はどこへ行ったのか、見るも無残なボサボサ頭だ。
「んー……」
のっそりと動いたのはコップを持った右手だ。はらはらしながら見つめていると、特に何事もなくコップが口元に運ばれる。
そのままぐびぐびと飲み干し、コップはテーブルの上に置かれる。
エストはリフェノーティスの向かい。有希の隣に座り、食べ始めた。
「だ、大丈夫なの?」
まだ目が覚めていなさそうなのにと、エストを見ると、エストはスプーンで向かいを指した。
そちらを見ると、のろのろとではあるが、リフェノーティスがスプーンを持って動かしている。
「おぉ……」
なぜか少しだけ感動を覚える。
「リフェは朝弱いんだ」
(弱いっていうレベルでいいのかな……)
「メシ食ってる間に治る」
「はぁ……」
その言葉をとりあえずは飲み込んで、有希もスプーンを手にとる。
「頂きます」
ちらと視線を寄越したエストは、そのまま無言で食事を続ける。
しっかりした大人のように見えるのに、この有様に有希は戸惑っていた。
(な、なんか、今のこの状況で出て行くとも言えないし……)
とりあえず無言で食事をしていると、気を使ってくれたのか、エストが口を開いた。
「俺が初めてこの家にやってきたとき」
「え?」
「この家は、魔窟だった」
「ま……くつ?」
(魔窟って、ナニ?)
目をぱちぱちとさせていると、エストと目が合う。綺麗な灰色の目が、冷たい印象を残す。
「オレがリフェに拾われたって言う話は」
確認するように問う。
「あぁうん。昨晩リフェに少し……」
「そうか。――見つけられたのが真夜中だった。深夜に散歩していたリフェに見つかって、そのままこの家に連れてこられた。そのまま暗い部屋に通されて、寝かされた」
エストはどこか無表情で、粥の入った皿をずっと見ている。
「当時オレの特技なんてメシ作る事くらいだったから、翌朝一宿一飯の礼にと飯を作ろうと思ったんだよ」
「……うん」
「したらこの部屋がよぉ。魔窟だったんだ」
(だから魔窟って)
少しずつ饒舌になっているエストを見遣り、詳しく問う。
「……どういうこと?」
「どういうこともこういうことも、とにかく汚ねぇんだよ。台所になんて入れもしなかったんだからな!」
「は!? なんで?」
「台所で火器を使う実験して、それを片付けないからどんどん物が増えて、増えまくって山みたいになって。触って崩れたら嫌だからってそのまま放置してそれ繰り返してたら入れなくなったんだと」
「……それは」
(片付けられない男……あ、いや女か)
有希の居たところも、そういう特集番組があったなぁと思うと、乾いた笑いが漏れる。
「はは、ははは」
笑ったことが不服だったのか、それともただ単に聞いて欲しいだけなのか、エストが更にまくしたてる。
「笑い事じゃねぇんだって。台所だけじゃない。この居間だって、酷かったんだぞ! 誇りまみれだし、カビ生えてるし。フツーの人間ならぜってー病気になってるレベルだったなあれは」
「それは……」
ちょっと想像しがたい。盗み見るようにリフェノーティスを見ると、もそもそと粥を食べている。前髪がもっさりと目元までかぶっていて、どんな表情なのかいまいちわからない。
「料理作ったと思えば黒焦げだし。よくそれで三十年も生きてこれたよなぁ」
「は!? え、ちょっ誰が?」
「リフェが。――オレと会った時が三十だから、今年三十五だぜ」
「年の話はしないでよ……」
ぽそりと声が聞こえて、はっと向かい側を見る。
「事実じゃん」
「私は見た目の年齢が若いからいいの」
そこにはまだ眠そうにしているが、はっきりと目を覚ましたであろうリフェノーティスが居た。左手で前髪をかきあげると、目の下にうっすらと隈ができていた。
「お、おはよう」
どうしたらいいのかわからなくて、咄嗟に挨拶をしてしまう。
「おはよう」
にっこりと美しい笑みだった。メデューサのように爆発している頭さえなければ、顔はとても美しかった。




