5
馬車は大きな音を立てて揺れている。
城が遠くなってどのくらいたったのだろうか。
昇りかけていた太陽は大きな弧を描き、ゆるやかに下降してゆく。
有希は馬車に乗りながら、アインに色々と話を聞いていた。
そして聞けば聞くほど、この世界が有希の知らないところだということ、そして、自分がたいそうな地位にいることを聞かされた。
あの城は、アドルンド城だった。もちろん王宮であり、有希が「底意地の悪そうな兄」とのたまったあのオルガは、第一王子な上に王位第一継承者だそうで、王宮を牛耳っているらしい。
そしてその弟のルカもまた、第四王子だという。
有希は、その第四王子の主になったんだとアインは言った。
(っていうか、騎士制度っていうのがおかしいのよ)
この世界には、万国共通で騎士制度というものがあるという。聞いたところによると、資格のようなもので、騎士にも階級があるらしい。
国家でその試験を行い、合格者には騎士称というものを与える。そして、騎士は一人の主に仕えることができるらしい。
また、主のない騎士は軍人として働くことが多く、恩恵も与えられないらしい。
(なによ、恩恵って。ファンタジーの世界じゃあるまいし)
主を決めた騎士には、恩恵が与えられるらしい。その恩恵というのも、治癒能力の発達、力が強固になる。というもので、その話を聞いたときに思わず「魔法か!」といったほどだった。
そして契約の証に、騎士と主人の両人に、契約の指輪がはめられる。
(……実感、わかないよ)
突如知らない場所に出て、保護されたかと思うと訳のわからない契約をされて、実はその人は王子で、偉い人で、泊めてもらったのが実は王宮です。なんていわれても、ありがたみも何も感じない。
そして、今はもう外に出てしまったアインの去り際の言葉が、頭をぐるぐると回っている。
――まぁ、あんまり気にしなくて良いと思いますよ。多分あの人のことだから、契約もオルガ様へのあてつけでしょう。オルガ様がユーキの事を『リビドムの喪い子』って言ってたじゃないですか。新しい玩具です。それをみすみす渡すようなことはしたくないって事ですよ。
「玩具……ってなによ」
皆騎馬で移動している中、乗馬できない有希は、荷物と一緒に馬車に乗り込んでいる。そこに居るのは有希一人で、アインは馬引きの隣に行ってしまった。
肩に斜め掛けしていたアーチェリーケースを外してぎゅっと抱き込み、ため息を一つ吐いた。
「わけわかんない」
あの仲の悪い不思議な兄弟も、この世界も、これから行くであろう戦場というものも。何も想像がつかない。
「あたし、これからどうなるんだろう」
ぽすんと荷物の上に倒れこみ、目を閉じる。
考えすぎて疲れたのか、すぅっと意識を失った。
アドルンド城からフォルまで、普通に行って一週間弱という道のりだ。
アインは頭を抱えていた。
「あぁもうどうして、偉い人は道楽が好きなんだ! 僕には理解ができない」
馬引きは困ったように笑う。
「これから激戦地に行くって言うのに物資は必要最低限のみ。現地調達ないしは供給を待て。って……オルガ様が供給する気分にならなきゃ僕達犬死にじゃないか」
あぁ、どれだけ計算しても足りない。と、メモを見ながら頭を抱える。
ルカ付きの文官であるアインは、もう一人の武官のお付きと三人で、幼い頃から一緒に過ごしている。
一緒に過ごした時間は、とてもとても長いものだ。けれど。
「未だに何考えているのかわからない……」
そもそも、あの紫の瞳の少女――有希をどこで見つけて、どうしてここまで連れてきたのだろう。
「世話は全部僕に任せっきりだしさぁ」
幸い、聞き分けの良い聡い子だったから良いものの、それにしても有希は無知すぎる。何も知らないのを装っていたとしても、アインにとっては当然のことすらわからないという有希を、確信をもって疑うことができない。
だが、彼女がもし魔女だとしたら、話は変わってくる。
「ああもう、僕自身のこともわからなくなってくるじゃないか」
ぐらぐらと煮える頭に、そしてその悩みを作った原因の王子を、非難して罵倒したい気持ちになる。
まぁまぁとなだめる馬引きの元に、伝令が入る。
「ルカ様が、しばし休憩を取るとの事なので、各々休んでくれ」
伝令がアインに向かって「それと」と付け加える。
「アインさん、ルカ様がお呼びです」
これ以上、面倒くさいことを言ってくれるなよ。と、アインは神に主に祈った。
アインがルカの元につく頃、ルカはぼんやりと中指の指輪を眺めていた。
「ルカ様、何用でしょうか?」
呼びかけると、仏頂面が面倒くさそうに答えた。
「フォルなんだがな……マルキー軍がすでに制圧して、大将が篭城してるという情報が入った」
その言葉を聞いて驚く。それは、先ほどアインが手に入れた情報だったからだ。
(また、この人はどこからそういうことを仕入れて来るんだか……)
「えぇ、僕もそのように伺っています」
平静を装って、厳かに頷く。
「きっと兄様の耳にも入っているだろう。兄様はきっとマルキーに落ちるのがわかっていただろう。そこへ俺を向かわせるとは、考えたことだ」
どう頑張っても手柄になることはない。むしろ失態だ。そして、一つ間違えれば死にもつながる。
「どうするかな――」
ぼんやりと宙を見据えているルカに、アインはあの、と口を開く。
「彼女、どうするつもりなんですか? やはりオルガ様へのあてつけですか?」
返事は、ない。
「だからといって、いくらなんでも契約までしちゃうのは、どうかと思いましたよ。彼女の素性だってわからないし、もしかしたら……」
言って、噤む。言っていいのだろうか。自分の主に。もしかしたらあなたの行いが愚行だったかもしれないと。
「魔女かもしれない。か?」
意地悪く微笑みかけるルカに、アインは押し黙る。
(だからどうしてこの人は、先にわかってしまうんだ)
「お前が顔に出やすいからだ。そんな調子じゃ、軍師になれんぞ」
「!?」
驚いて顔を上げると、ルカがくつくつと笑う。
「魔女ではない。――アニーが言っていた。刺青はなかったと」
アニー。ルカ達三人が、幼い頃から世話になっているメイド長の事だ。
「そう、なんですか」
ならよかった。と、安堵の息がこぼれる。
魔女には、その能力の度合いによって、身体に刺青が現れる。それは生まれ持ってのものなので、それがないということは、普通の人間だと思って良いだろう。
「――――魔女、か」
それもそれで、いいかもしれないな。と、ルカが言う。何が良いというのだろうか。アインにはまったく理解できない。
「もう、考えてる事があるんだったら、それとなく僕に言ってくださいね。ルカ様はもっと自身を重く考えるべきです」
「あぁ、悪いな――ユーキは?」
「疲れてしまったようで、寝てます」
緊張感もなく、荷物と一緒に寝こけている姿を見て、あきれ果ててしまった。
ルカは声を出して笑い、そして言った。
「寝た子は起こさぬ方が良いというな。――町に着いたら俺の所に」
かしこまりました。そう言うと、出立するぞ。と、付け加えた。