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十日熱。それは、百五十年前にアリドル大陸で大流行した病気らしい。
掛かった人間は十日以内に確実に死んでしまうという病気。
奇跡的に回復した人間は、以降、病気に苦しむことがないという迷信があることから「魔女の祝福」とも呼ばれているらしい。
効果的な治療法は未だ無い(というか、研究機関があったリビドムが崩壊した)ので、危険な病気として恐れられている。
治療の方法がわからないということは、予防もどのようにするべきかはわからないとリフェノーティスは言った。
「……そっか」
「なぁに。本当にアドルンドに行くつもりなの?」
「うん」
「行かないほうが良いって勧めても?」
「うん」
「……強情ね」
「リフェは、世話焼きだね」
笑いかける有希に、リフェノーティスは面食らう。そして、ふと柔らかな笑みを浮かべる。
「そりゃぁ、依頼関係以外でお客さんが来るのなんて、五年ぶりだもの」
「五年? そんな前なの?」
「えぇ、ユーキより小さな男の子だったわ。私の事を変態だの男女だの色々言ってくれたわ」
何かを思い出すように、リフェノーティスはくつくつと笑う。
「ほんと、大きくなったわ」
(え、大きくなったって)
今も身近にいるという事。それは、有希が知りうる限りでは一人しかいない。
「え、エストなの!??」
「えぇ。身寄りが無くて保護したら、そのまま居着いちゃって」
「居着いちゃってって、リフェの家族は?」
言った直後にしまったと思った。
(戦争が絶えず続いているんだから、身寄りがなくなるのも仕方ないか)
ばつの悪そうな有希を不思議そうに見つめて、そしてくすりと笑った。
「もしかして、エストに何か聞いた?」
「え、ううん」
ぶんぶんと首を振る。
「リフェが情報屋で有名だっていう話くらいしか」
「そう……私にはね、母がいたの」
(いたの)
過去形、ということは。
「もう大分前に亡くなったわ」
「あ、ごめんなさい」
リフェノーティスが微笑む。
「謝る事なんてないわ。母さまの年齢が年齢だったし」
(年齢……遅いときにできた子供なのかな)
有希自身がとても早い子供だったので、あまり触れないようにしようと違う話題を探す。
「ねぇユーキ、ユーキは魔女のこと知ってる?」
「え? うん。ある程度なら」
「私ね、魔女に育てられたの」
「え」
(魔女に、育てられた)
「私、魔女の子供なのよ」
「え、だって、魔女は子供を産んで、それが男の子だったら」
「ええ、置き去りにするのが通例ね。でも私の母は私を連れてここへ来た」
それは普通、ありえる事なのだろうかと逡巡していると、有希の考えていた事が手に取るようにわかるのか、リフェノーティスが言葉を続ける。
「異例よ。私以外で似たような話は聞いたこと無いわ。――私の母ね、五百年以上生きていたらしいの。その中で子供を産んだのが二回。二回とも男の子が生まれた」
リフェノーティスが手元に視線を落とす。
「三人目の子供を身篭って、母さまは『これが最後かもしれない』って思ったんですって。そして、生まれたのが男だった」
ふふっと笑う。
「母さまったら『子供を育ててみたかった』なんていうのよ。今までずっと遠くから見ていることしかできなかったからって。――それで、私は母さまとずっとここで暮らしてた。結構出来の良い子供だったのよ」
(お母さんの事、好きだったんだな)
思い出話を、とてもとても楽しげに話している。
「ユーキは知ってる? 魔女の息子はね、魔術士の才能があるのよ」
「そうなんだ!??」
「歴史に残る高名な魔術士たちは皆、魔女の息子だって言われているほどにね。少なからずとも、魔女の子だっていうのが影響しているみたい」
(へぇー)
感歎の声をあげる。リフェノーティスは楽しそうに続ける。
「私も魔術士として母さまに厳しく教育されたわ。魔女しか知らない薬の調合とか、沢山教わった。――厳しかったけど、楽しかったわ」
ほんとうに、楽しかった。かみ締めるように繰り返すリフェノーティスに、有希も暖かい気分になる。
「でも十歳の時、母さまが死んだわ。寿命で」
魔女は不老不死だと思ったのに、ある日ぽっくりとね。
「……それで、リフェはどうしたの?」
「母さまにリビドムの魔術士養成寄宿舎に行くように言われてね、そこに通ったわ」
十歳の少年……目の前のリフェノーティスの幼い頃を想像してみる。この綺麗な男の人は、やっぱり子供の頃から綺麗だったのだろうか。
「初めての連続だった。この口調がおかしい事も知らなかったし、母さま以外の人と接するのも初めてだった」
「いじめられたりしなかった?」
「それはなかったわ。なにせ魔女の教育を受けていたお陰で優秀だったから。それに、私こう見えても力持ちなのよ? ……だから、卒業を前に君主が決まったわ」
「へぇ」
普通は卒業して更に鍛錬して、そして君主が着くのによ。と、リフェノーティスはどこか興奮気味だ。
「それ、誰だったの?」
「――リビドム王よ」
途端に、リフェノーティスの顔から表情が抜け落ちた。
(リビドム王……それって、行方不明の)
ふと、自嘲するような笑みを有希に向ける。
「やだ、私ったら何話してるのかしら。ユーキったら聞き上手ね」
どこか無理をするような笑みを見せ、リフェノーティスは立ち上がる。
「もうこんな時間だわ、もうそろそろ寝ないと……」
「リフェ」
「ユーキも、病み上がりなんだから寝なさいな」
てきぱきと、机の上のものを片付けているリフェノーティスの背中に声を掛ける。
(そんな、あからさまに隠さないでよ)
何を聞かれたくないのだろう。そんな必死に隠すような事なら、無理に聞こうとしないのに。
立ち去ろうと立ち上がると、ふと、一番最初にリフェノーティスが言った条件を思い出した。
「あ、待って。あたしリフェに何も話してない」
「いいわよ別に。たいした機密を話したわけでもないし。半分は私の昔話だったし」
「でも……」
なんだか甘やかされている気分だと思っていると、饒舌になったリフェノーティスがつらつらと喋る。
「今聞いた昔話を黙っていてくれるんだったら、明日にでもあなたの探し人の手がかりを探してあげるわ」
(探し人)
はっと目が開く。探し人。その人は今、十日熱の蔓延している場所の渦中にいるではないか。
(どうして気付かなかったの! あたしの馬鹿!)
きゅっと拳を握る。聞くだけなのに、とても緊張する。
「リフェ! あ、あのさ、アドルンドの第三王子が十日熱に掛かったって言ったじゃない」
「えぇ、言ったわ」
「他の王子は、大丈夫なの……?」
「あぁ、第一王子は平気みたいだし、第二王子は西の神殿だから被害は無いでしょ。末の双子も無事みたい」
(その間は!)
屈んで何かを片付けていたリフェノーティスの動きがぴたりと止まる。
「第四王子は……そうね、十日熱に掛かったっていう話は聞いてないわ」
「……なんか、十日熱には掛かってないけど何かある。っていう言い方だね」
「ユーキ、どうしたの? ルカート王子なんてあなたには関係ないんじゃないの? ――あぁ、もしかして、彼のファンなの?」
「違う」
明らかに何かを隠そうとするリフェノーティスを見つめると、リフェノーティスが困ったように微笑む。
「彼については、機密だから言えないわ」
「教えて!」
(機密って、ルカ、何かやったの?)
立ち上がって、リフェノーティスに詰め寄る。有希の剣幕に驚いたリフェノーティスが、眼を見開く。
「この情報、高いのよ」
「それは、何かの情報と交換なら、話してくれるってこと?」
リフェノーティスは微笑んでいる。
(情報、何か、誰も知らないような機密……)
自分が紫の瞳の所持者であること。それは今のこの姿じゃ何も説得力が無い。
(何か、なにか――)
目を泳がせて必死に頭の中をめぐらせる。そんな有希の必死さに何を感じたのか、リフェノーティスが再び椅子に座る。
キリリとした顔は、先ほどまでのやわらかな笑みはどこにも無く、情報屋の顔になっている。
(国家機密レベルとか……何か、思い出して)
知らぬ間に右手の中指を掴む。何度も指輪のあった辺りを撫でる。
『騎士と主は繋がってるの』
ヴィヴィの楽しげな顔を思い出す。彼女は、ルカを見てみたいと何度となく言っていた。
「! そうだ、ヴィヴィ!」
はっと思い出す。処刑されたはずの伝説の魔女は、今もこうしてどこかに生きている。それを、目の前の彼は知っているのだろうか。
(本当は、言っちゃいけないのかもしれない)
自分がそうやって口に出す事で、こうやってまた、リフェノーティスから聞き出そうとする人がいるかもしれない。
(でも)
どのくらいの時間、悩んだだろう。顔を上げると相変わらずきりりとした顔が有希を見ていた。
ゆっくりと、口を開く。
「処刑された、伝説の魔女なんだけど」
「……えぇ。彼女のことで、何か?」
こくりと頷く。
「彼女は名前すらも公開されなかったわ。私も彼女のことについては情報不足なの」
(名前……)
とても長ったらしい名前だった。どうしてこう、この世界の人間は名前が長いんだと悪態をついた。
(思い出せ、思い出せ)
「名前は、ヴィーズィー・ヴィリー・ディヴィドゥム。何歳かは知らない。濃灰色の髪と、赤味がかった紫の瞳。見た目は十歳くらい……」
リフェノーティスは黙ったまま、有希を見つめている。
(ごめん、ヴィヴィ)
「マルキーで処刑されたのは、彼女じゃない。っ彼女じゃないっていうのも違うんだけど、だからといってリビドム王女でもないんだけど、とにかく、伝説の魔女は生きてる」
「……どういうこと?」
「処刑されそうだったのは、ただの少女で、えっと、伝説の魔女が処刑されるっていうのが不服だったみたいで、その少女を助けたの。でも、マルキーとしては外聞が悪いからって、魔女を処刑したことにしたの」
しどろもどろになりつつ説明すると、リフェノーティスはしばらく髪の毛をふわふわといじりながら有希を見つめた。そして長いため息を吐いて、言った。
「……元々、何か理由があってココに来たんだろうとは思ってたけど、まさか、伝説の魔女にルカート王子の関係者だったなんてね」
(また、謀ったのね)
有希は自分がルカとヴィヴィに面識があることがリフェノーティスに知られてしまった。
キッと睨むと、朗らかに笑われて一蹴されてしまった。リフェノーティスは髪の毛を指先でくるくるとさせながら、口を開く。
「ルカート王子には今、魔女と契約したという疑惑が掛かってるの。魔女と契約して、王位継承権第一位のオルガー王子を失脚させようとしているっていうね」
(魔女と、契約?)
それは、フォルでの出来事だろうかと考える。
(でもルカは、王位なんて興味なさそうだったのに……)
「おかしな話なのはね、ルカート王子が契約したのはリビドムの王女だと言っているの。言い逃れにしか聞こえないし、そんな事、ありえないからって貴族達は大もめ。王子が狂ったとか、逃げ口上だとか、実は真実なのでは。とか。挙句の果てにはリビドム王女が魔女だったなんていう話も浮き上がってきたわ。それで貴族の立ち位置の問題もあって、ルカート王子は幽閉されたって訳」
(リビドム王女)
それは、オルガがこじつけに作った話だ。
「そんな嘘、信じるなんて……」
(貴族って何? みんな頭おかしいんじゃないの?)
「何も、知らないのに」
「知らないっていうのは、そういうことなのよ。無知は言い訳にならないの。もっとも、自分が無知だなんて思ってないわよ。国を牛耳っているのは自分達だなんて勘違いしているような人たちだもの」
そう言うリフェノーティスは、どこか諦めたような顔をしていた。