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空腹が満たされると、ようやっと周りに目が届くようになった。
二杯目をもぐもぐと食べている時に、はっと気付いて突然頭を下げた。
「あ、ありがとうございました。食事に着替えまで」
あまりの唐突さに驚いたのか、リフェノーティスもエストも面食らったように有希を見る。
やがて、ぷっと吹き出したリフェノーティスが、いいのよと告げた。
「食べ終わった? それなら、これを飲んで」
そう言うと、木の器を差し出す。そこには、先ほどゴリゴリと擂っていたものだ。
「解熱剤よ」
言われて、仕方なく受け取る。
(薬、嫌いなんだけどなぁ……)
しかも、錠剤やら飲み薬ではない。
(でも、折角作ってくれたわけだし)
えぇいと腹をくくって、どろりとしたものを飲み下す。
(まっず……)
なんとも苦い後味にえづいて、残りの粥を口直しに含む。
「うわ……よく飲めたな、ソレ」
エストが顔をしかめて有希を見ている。やはり飲めたものではないのか。
「エストも昔、ブイブイに噛まれたのよ。それ以来、この解熱剤が嫌いなのよね」
ふふ、と微笑むリフェノーティスに、エストが叫ぶ。
「い、いつの話だよ! ――っ大体、なんであんな所に居たんだよ、お前」
強引に話の矛先を有希へ持っていこうとするエストに、微笑ましい気持ちになる。
「え、えーと……なんて言ったらいいのかな」
二人の視線が有希に集まる。
(何を、どこまで話したらいいんだろう)
伝説の魔女として処刑されそうになった所に、本物の伝説の魔女に助けられて、ここに置き去りにされました。
(……そんな事、言えるはずない)
力なく首を振ると、リフェノーティスが苦笑する。
「まぁ、あんまり無理強いして聞くつもりもないけど」
「いや、ちゃんと言う……」
(ここまでお世話になっていて、何も話しませんだなんて、フェアじゃないものね)
しばらくうんうんと考える。リフェノーティスは食事の手を休めて有希を見つめているが、有希に話を振ったエストは、飽きたのか、がつがつと粥を食べている。
「あたし、アドルンドに行きたくて南下してたの。そしたら、迷っちゃって、食料も飲み物も底ついて、それで」
「バッカじゃねぇの? それでブッ倒れたっつうの?」
「エスト」
たしなめるようにリフェノーティスが言い、エストが首をすくめた。
「それで私に会った。ということ?」
頷く。
「……そう」
「あ、あの、それで、お願いがあるんですけど」
(差し出がましいのは承知だけど、急がなきゃ)
「なぁに?」
やわらかく微笑むリフェノーティスに、どうしてだか緊張してしまう。
豊かな髪が、窓から差込む光できらきらとしている。
「助けてもらって、薬やご飯まで頂いた上で言うのはおこがましいんだけど、食料を少し、分けてもらえませんか?」
リフェノーティスは表情一つ崩さない。有希がそう言うのを、まるでわかっていたかのようだ。
「あ、あたし、早く行かないと」
(早く皆に会って、謝りたい)
不安で不安で、胸がちりちりと痛む。心細くて心細くて、くじけてしまいそうだ。
「家族がアドルンドに居るの?」
首を振る。
「恋人とか?」
首を振る。
「なら、行かなくていいじゃねぇか」
茶々を入れるエストを睨みつける。
「エスト」
(確かに、恋人でもなければ家族でもない。でも、あの人たちは)
右も左もわからない有希を、受け入れてくれた。そして、沢山助けてくれた。
「大事な人たちなの」
有希は二人を見る。
「……無知は言い訳にならないって、私が言ったの覚えてる?」
その顔は、とても綺麗なのに何を考えているのかわからない。
「うん」
ブイブイという虫が毒虫だということを知らないと言ったら、リフェノーティスはそう言った。
「ユーキがアドルンドに行く行かないはあなたの勝手だわ。でも、アドルンドが今どんな状況にあるか知っていて、行きたいと言うの?」
「え……どういうこと?」
意味がわからないよ。と告げると、困ったようなため息が漏れた。
「えと、あ、戦争がはじまっちゃったのは知ってるよ」
「そうじゃないわ」
「じゃぁ、何?」
「アドルンドだけじゃない、今、全国で十日熱が流行りはじめてるの。だから戦争どころじゃないわ。どこも皆、十日熱に備えてる」
「十日熱?」
「かかると、十日以内に確実に死んでしまう熱病よ。――奇跡的に助かった人は、一生掛からない病気なんだけどね」
「へぇ……」
「その十日熱の被害が一番出てるのは、アドルンドなのよ」
「そうなんだ」
どこかつかめない。という表情をしている有希に、リフェノーティスが続ける。
「ユーキ、十日熱に掛かった事は?」
「ないよ、そんな」
(そんな恐ろしい病気)
「なら、アドルンドに行けば掛かるかもしれない。きっと掛かるわ。それでも、行きたいっていうの?」
リフェノーティスの口調が少しずつきついものになってゆく。
「私わね、医者じゃないから止めたりはしないわ。でも、一旦有希に処置を施してしまった。なのにその人をのこのこと病原地に送り出すと思う?」
「でも、絶対に掛かるって訳じゃないし」
「甘いわ」
ぴしゃりと言われて、有希は押し黙る。視界の端で、エストが哀れみの目を向けている。
「ユーキ、前回十日熱が流行ったのはいつか知ってる?」
「し、しらない」
「約百五十年前よ。その時、マルキーから流行ったその病気は、瞬く間にアリドル全域に及び、そして猛威を振るい終えた後、アリドルの人口は七分の一になったの」
「ななぶんのいち……」
思わず絶句する。
それは、昔日本で流行った結核のようなものなのだろうか。
ざわざわと、肌に鳥肌が立つ。
「十日熱で先日、アドルンドの王子が亡くなったわ」
「え」
アドルンドの王子。その言葉に目が見開かれる。
(ルカ?)
「誰! ねぇ、誰?」
思わず身を乗り出して聞いてしまう。
あまりの剣幕に驚いたのか、リフェノーティスがどもる。
「え、あぁ、第三王子のカーティス王子よ」
(カーティス)
聞いた事も無い王子の名前だ。
(良かった、ルカじゃない)
ほうっと胸を撫で下ろしたのも束の間、リフェノーティスは淡々と話しつづける。
「一国の王子が感染して、国の医療機関総動員しても亡くなってしまった。それほどなのよ。十日熱は」
「それでも……」
「それでも行くと言うなら止めないわ。食料もあげないなんて意地悪も言わない。だから、せめて熱が下がるまでは大人しくここに居なさい。そして、ちゃんとゆっくり考えなさい」
そう言って立ち上がると、不ぞろいな音を立てながら、リフェノーティスは出て行ってしまった。
ぐるぐると頭がこんがらがっている有希に、とうに食事を終えていたエストが言う。
「そんなに、大事なヤツなのか?」
力なく頷く。
「みんな、アドルンドに居るはずなの……みんな、無事かなぁ」
あの病弱そうなアインやティータは大丈夫だろうか。そもそも、無事にアドルンドに戻れたのだろうか。それすらも、わからない。
(早く、会いたい)
「居るはず? わっかんねぇの?」
子馬鹿にされたようで、悔しくて悔しくてエストを睨む。
「わかんないわよ!」
(どうせ、どうせ何の手がかりも無いわよ)
無意識に、右手の中指をぎゅっと握る。アドルンドの王子。それがルカなのかすらもわからなかった。
(あたしには、指輪がないとわからない)
『騎士と主人は繋がってるの。でも人間には見えないから、人間にもわかる契約の証として指輪作ったんだから』
(わからないよ……)
悔しくて悲しくて、そして心配で。涙が滲む。
「ちょっ、な、泣くんじゃねぇよ! オレが泣かせたみたいだろ!」
みたいだろ、じゃなくて事実だよ。と、責めるように睨む。その顔は酷く狼狽していて、あぁもうと言った。
「わかんねぇなら、リフェに聞けばいいじゃねぇかよ」
「……?」
がしがしと頭を掻く仕草をしたと思うと立ち上がり、リフェノーティスの残した食器をがちゃがちゃと片付け始めた。
「情報屋魔術士リフェノーティス。結構有名らしいぜ」
エストが自慢気に、屈託無く笑った。