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リフェノーティスが持ってきた着替えというものは、有希より遥かに大きなものだった。
大きなシャツのようなものを、ワンピースのようにすっぽりと頭から被った。
足元がこころもとなかったが、膝辺りまで隠れたので、そのままベッドに横たわった。
リフェノーティスはそんな有希を見て満足したのか、何か道具を持って有希の居る――エストの部屋にやってきた。
ベッドサイドにテーブルと椅子を移動させると、その上に載っている道具と、見たこともない草でなにか作業を始めた。
「……」
横向きになり、黙ってリフェノーティスが作業しているのを見つめていると、リフェノーティスが有希に視線を向けずに喋り始めた。
「ユーキの薬を作ってるのよ」
「薬……?」
「そう、ブイブイに噛まれても死んだりしないけれど、毒で長いこと高揚したり、下手すると酩酊しちゃうから」
すり鉢に葉と木の実を入れたかと思うとゴリゴリと擂りはじめる。途中でどこかに立って、ビンに入った液体を持って戻ってきた。それをすり鉢に加えて更にゴリゴリと擂る。
その作業をぼんやりと見つめる。先ほどからこめかみをずんと押すような頭痛がしている。
「……ねぇユーキ、あなた、どうしてあんなところに居たの?」
耳に優しい低音が響く。
その言葉の意味を考えあぐねていると、察したのか、リフェノーティスが言う。
「ここはね、滅多に人の来ない所なの。場所で言うと、三国の丁度中心。山の頂上あたりなの」
(山の、頂上?)
ということは、有希は知らず知らずのうちに山に入っていたのか。
(それなら、山が見えなくても当然かぁ)
「この周りには村も町もないわ。――どうしてそんな所に、そんな軽装で居たの?」
リフェノーティスが、葉に擂った物を塗りつける。そして、有希に寝返りを打たせて、首に貼り付けた。途端に、首筋に電流のような痛みが走る。
「――っ」
「痛いけど、我慢して」
視界の端に白いものが見える。それは包帯だった。リフェノーティスは器用に有希の首を巻くと、次の薬を作り始めた。
「でも正直言うと、感謝もしてる」
(感謝?)
再び椅子に座って何かを作るリフェノーティスを、もう一度寝返って見つめる。
その横顔はとても綺麗で、ゆるくウェーブの掛かった髪が、とても綺麗だと思った。
有希の視線に気付いたのか、リフェノーティスと目が合う。
「エストとね、喧嘩してたの」
そういえば、抱えあげられたときに、そんなことを言っていたなぁと思い出す。
ぼんやりと見つめる先に居るリフェノーティスは、どこか物憂げで、現実味があまりない。
(綺麗な男の人なのに、どうして口調が女の人なんだろう)
有希の住んでいた場所にも、そういう人は居た。
(リフェさんは、オカマさんなのかな……)
けれども、そう呼ぶのにはどこか違和感があるような気がした。
「原因はね、私にあるんだけど――隠し事って難しいわね」
作業をしながらリフェノーティスははっと気付いて有希を見る。
そしてリフェノーティスを見つめていた有希と目が合うと、困ったように苦笑した。
「やだ。私何言ってるのかしら。……ユーキの瞳って不思議ね、なんだか何でも言っちゃいそうになるわ」
ふと、目を眇める。
「私の良く知っている人に似てるわ」
「……」
とても、とても懐かしそうにその声は言った。その言葉は、もう会うことの出来ないとでも言うようで、どこかリフェノーティスの深い部分を見てしまったような気がした。
「といっても、その人は男性だけどね」
何かを諦めたように微笑むその顔にはっと息を呑んでしまう。それはとてもとても、儚い笑みだった。
綺麗な微笑みというのを、この世界に来てからよく見るようになった。
ティータの微笑みもとてもやわらかで綺麗だし、ルカの猫かぶりの笑顔も、作り物のように綺麗だった。
リフェノーティスの笑顔というのは、何かが苦しい笑顔だった。
リフェノーティス自身が苦しんでいる笑顔ではなくて、見ているこちらが、心臓をきゅうっと掴まれたような苦しさに襲われる。
それを人は『切ない』と言うのかもしれない。
綺麗な綺麗な笑顔に言葉を失っていると、粗雑に扉が開かれた。それと同時にふわりと鼻腔をくすぐる匂いがかおる。
「メシ、できたぞ」
その言葉に、ごくりと喉が鳴る。思い出したように腹が空腹を叫ぶ。口中にじんわりと唾液が溜まる。
エストはリフェノーティスとは反対側のベッドサイドから、体を起こした有希の膝元にトレイをぽんと置いた。
「熱いから気を付けて食えよ」
そっけなく言われる。トレイの上には、湯気の立っているお粥のようなものがある。
「これ……、あなたが作ったの?」
山菜でも入っているのだろうか。所々に緑色が混じっている。
「そうだけど?」
エストを見上げると、大きなシャツと七分のパンツスタイルのエストが「それが何?」という顔をしている。
「凄いね……」
「べ、別にっ! いいから冷める前に食えよ」
せかされるまま、両手を合わせて「頂きます」と告げて、スプーンを取る。お腹がよじれるほどに食べ物を求めている。
スプーンに掬って物凄い勢いで息を吹きかける。数度吹きかけて、それでも待ちきれなくて頬張る。
(あちっ)
一瞬顔が熱さに曇ったが、それよりも、舌に広がる香ばしい香りにうっとりとする。
(おいしい……)
続けざまに何度も掬っては満足に冷まさずに食べる。
「よっぽどお腹がすいてたのね……」
そんな有希を見ていたリフェノーティスが感嘆の声をあげる。
有希はうんうんと頷いて、それでもがっつくのを止められない。
「もう一杯……食うか?」
言われて、視線をエストに移す。そこには、有希の食べっぷりに嬉しく思ったのか、嬉しそうなエストが居る。
「いいの?」
がっついて食べたので、もう幾分も皿には残っていない。しかし、未だお腹はきゅるきゅると音を立てている。
「あぁ、かまわねぇよ。――リフェ、ついでにオレらもメシにするか?」
初対面の有希でも判るほどのぎこちなさで、エストはリフェノーティスに話かける。
リフェノーティスは柔らかに笑って「えぇ」と答えた。
「――っ待ってろ、今鍋ごと持ってくっから」
そう言って部屋をばたばたと出て行くエストを見送り、有希はお皿にぽつぽつと残ったものをかきこんだ。
リフェノーティスは、エストの出て行った扉を見て、微笑んでいる。
(仲直り……したのかな)
不思議な関係だと思った。