42
髪の毛を、伸ばしたいと思っていた。時にはばっさり切って、ショートカットにもしてみたかったが、伸びる見込みが無いからセミロングの長さから変えることができなかった。
目線の高さも、もっとあればどれほど良いかと思っていた。
もっと。
もっと。
もっと――。
願いは尽きない。だがそれが突然手に入ってしまうと逆に戸惑ってしまう事もある。
有希は、まさにそんな状況だった。
事の発端は、有希が「アドルンドに行く」と告げた事だった。
早く行かなければ。皆に会わなければ。突然いなくなってしまった事を、きっと気にしているだろう。
そう、気を揉んでいる有希に、ヴィヴィは言った。
『別にいいんじゃないのぉ? 行かなくても』
『ううん、ちゃんと謝る』
『あらそう。でも、目立つよ? 紫の瞳を持った十歳の女の子が一人旅だなんて』
『…………わかってる。でも行かなきゃ』
どうするべきかうんうんと悩んでいると、対面のヴィヴィが、すごく楽しそうに笑っていた。
『……何?』
『いやだ。ヴィヴィちゃん、すっごくイイ事思いついちゃった』
(ヴィヴィちゃんって)
『自分が戦場に行く事よりも、皆に会ってちゃんと謝りたい。皆が心配で心配で仕方が無い。ねぇ。健気だこと。だからそんな健気で可愛いユーキちゃんの為に、一肌脱いであげよう』
語尾にハートが飛びそうな程に甘ったるい声を出して、ヴィヴィが有希に詰め寄る。
『あんまりにも健気だから、おねーさん親切と一緒に――意地悪もしたくなっちゃう』
『え!?』
ヴィヴィがパチンと指を鳴らした。
途端に、有希の足元から薔薇の蔓が巻き上がる。視界が真っ赤な薔薇の花びらで埋まる。
『やだ、ちょっと何コレ?』
次に視界が開けたとき、ヴィヴィが低い位置に居た。
背中の中ほどまで髪の毛がある。先ほどまで着ていたヴィヴィの服も、大きなサイズになっている。
ヴィヴィが有希を見上げている。満足そうに笑って「どう?」と言った。
「どうって……」
「いや、だから、一人旅しても大丈夫なくらいの年齢にしてみた。十六くらいかなぁ。ユーキ十八なんでしょ?それなら大きくなったときに実感したらいいから、十六歳にしてみた」
見てみる? と、部屋にはめ込まれているクローゼットの扉を開く。扉の裏側が姿見になっている。
そこの前に立って、改めて検分してみる。
少し大人びた顔、背中の真ん中あたりまである黒い髪、伸びた手足、そして――。
「黒い瞳だ」
虹彩が黒くなっている。
「そ、下手に紫だと売り飛ばされたりしちゃうからねぇ」
「これも、幻なの?」
「ううん。コレは、元の身体に色々くっつけたの。瞳あたりはまぼろしだけどね。でもまぁ、他の魔女が見てもわかんないようにはしてあるからだいじょーぶ!」
「……ありがとう、ヴィヴィ。優しいね」
じんわりと嬉しさがこみ上げる。どうして、からかいながらもこんなに優しくしてくれるのだろうか。
有希は姿見に見入る。大きくなった自分の姿を何度も想像した。何度も何度も夢見ては落胆した。
(黒い瞳)
みんなと同じ、黒い目。
鏡に映る自分の頬を撫でる。ふと、真面目な声が聞こえる。
「そう……誰にもわからないようにしてある。だから、ユーキの友達が見ても、ユーキだってわかんないよ」
「え」
振り返ると、冷めた笑みを浮かべているヴィヴィが居た。
「ヴィヴィ?」
「……アタシは優しくなんかないわよ」
人が変わったように酷薄な笑みを浮かべるヴィヴィに戸惑う。
「長いこと生きてるとねー、退屈なのよ」
ニッコリと笑ったその笑顔はどこか怖い。どこがと聞かれると困る。ヴィヴィは確かに笑っている。笑っているから、怖い。
(本当に笑ってるのに、怖い)
オルガのように目だけ笑ってないわけではない。本当に、楽しんでいる。
「退屈だからあちこちに、種をまくの。楽しいコトの種を」
「種……」
「そう、種。楽しい事が起きそうなら、手助けでもなんでもしてあげる。だから、アタシを楽しませて頂戴?」
その冷ややかな笑みが、ぞわりと背筋をなで上げる。
「ゲームをしよっか。カンタンなゲーム。ユーキが元の姿に戻ればいいだけ。そしたらユーキの勝ち」
「え、ええ!?」
「戻れなかったら、ユーキは一生その格好ね――あぁ、そこんとこも考えて、年齢と共に老いるようにしてあるから」
そうねぇ、と、愛らしく口元に人差し指をあてて考える仕草をする。そして、何かを思いついたようにぱぁっと笑う。
「ユーキの騎士と目が合うまで! カンタンでしょ!」
「ちょっと待って、待ってよヴィヴィ! いくらなんでも勝手すぎるよ!」
「……勝手?」
きょとんと有希を見つめたのも束の間、底抜けに無邪気な笑顔で言った。
「ユーキは思い知るといいのよ。アンタのその献身さが、みんなの目にどう映ってるか。人と人とのつながりの曖昧さとか、薄っぺらさを」
有希に歩み寄り、背伸びをして頭を撫でた。
「そしてアタシに見せて。騎士と主人の絆を」
必要なものは何でも渡してあげるから。どこか寂しげに言うと、有希から離れてするすると隣の部屋に行ってしまった。
(何か、あったのかな)
気に障るような事でも言ったのだろうか。
時折見せる、悟りきったような表情。何が彼女をそうさせているのだろうと思うと、少し胸が痛い。
(思い知るといい……か)
有希はヴィヴィのやることを、憎いとは思えなかった。
どれだけ長く生きているのだろう。聞けば「忘れた」とはぐらかされた。
途方も無く長い時間。きっと有希には想像すらできないだろう。
突然「ゲーム」と称して、おかしな事を言ったけれども、なんだか憎めないでいる。
(それにしても、騎士と主人の絆……かぁ)
そんなもの有希とルカの間にあっただろうか。
有希が居たところは、リビドムだった。
食後のお茶を終えたかと思うと「思い立ったらソッコー行動!」と言って鞄を持ってきたヴィヴィに言われた。
ヴィヴィに着替えと路銀を貰い、そして地図を渡された。地図はテーブルの上に広げてある。
「いーい? ココはリビドムのちょーどド真中なのね。それで、西南に下っていくと山脈があるの。確かこのあたりの山が一番小さいかな」
そう言うと、ペンでそのあたりに丸を書く。
「山を下ったら更に南下。この海のちょっと手前がアドルンド王都ね」
結構遠いわよー。と、のん気に言われる。
有希はその一言一句忘れないようにと頭に叩き込む。
「……うん、大体わかった」
(とりあえずは、南下して山を越えなきゃ)
「ありがとうね、ヴィヴィ。わざわざ教えてくれて、お金まで貰っちゃって」
笑いかけると、面食らったような顔がある。
「……? どうしたの?」
更に問いを重ねると、ヴィヴィはこれ見よがしにため息をついた。
「ユーキって、底なしのお人よしなの? 普通はそんな、一方的に勝手にゲーム押し付けた魔女に対して「ありがとう」とか言う? それとも何、ただのバカ?」
「バッ……バカじゃないよ! あたしよりも、ヴィヴィの方がお人よしだと思うけどなぁ。あたしの事助けてくれたし、こうやって荷物だってくれたじゃない。――本当に貰っていいの? やっぱり返したほうがいい?」
「いらないわよ! まったく、アタシはいいの。単なる親バカだから」
(親バカ?)
誰に対しての。と、聞くよりも早く笑ってはぐらかされてしまった。
「この世界の子達はみんなアタシの子供なの! さ、行った行った!」
シッシッと、手で追い払うように急かす。
「あはは、行ってきます」
扉に向かって数歩。そして、くるりと振り返る。
「ヴィヴィ、正直騎士と主人の絆って何なのか、あたしわかんない。だからそれをヴィヴィに見せられるかどうかもわかんない。でもね、もしあたしが騎士と――ルカと会えたら、会いに来て?」
「……どうして?」
有希はしばらく、うーんと考えて、口を開いた。
「ルカがどれだけカッコイイか、わかると思うから?」
ぽかんとする事数秒、ヴィヴィは笑い出した。
「なんで疑問系なのよ……そうね、ユーキが元に戻れたらね」
「ありがとう」
そのヴィヴィの笑顔に安心して、有希は扉を開けた。
扉を閉めて振り返ると、そこには家が跡形も無く消えていた。