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こうやって、知らない場所で目を覚ますのは何度目だろうか。
危機感がないなぁと毎回思ってしまう。
「起きたぁー?」
どこかで声が聞こえる。むくりと起き上がると、そこは普通の部屋で、可愛らしいデザインのベッド、テーブル、ソファがある。
有希はソファに寝かされていたらしい。
「起きました……」
何があったのか良くわからない頭で、返事を返す。
部屋の隅には次の部屋へ続いてるらしい隙間がある。なんだかとてもいい匂いがする。美味しそうな匂いに反応して、身体が空腹を訴える。
(どうしてこう、緊張感がないかなぁ)
自分でも恥ずかしいと思いつつ、きゅるきゅると鳴る腹部をさする。
しばらくさすっていると、少女がトレイを抱えて入ってきた。
「はい! お待ちどーさま!」
言って、トレイをテーブルに置く。
こなれた手つきでグラスに水を注ぎ、椅子に座る。きょとんとしている有希に、少女はホラっと声を掛けた。
「何してんの? 早く食べなよ」
「え? あ、ハイ……」
全くわからない。だが、言われるままに向かいの椅子に座る。少女は既に食べ始めていた。
「いただきます……」
おずおずとスプーンを手に、食事をはじめた。
伝説の魔女の作った食事は、美味しかった。
そういえば、伝説の魔女の名前を、誰も教えてくれなかった。
食事を終え、お茶を飲んでいるときにふと思い出して、少女に言うと『知らなくて当然よ。伝説の魔女っていう単語が一人歩きしてるんだから』と笑った。
「ヴィーズィー・ヴィリー・ディヴィドゥム、ヴィヴィって呼んで」
「ヴィー……? ヴィヴィ、ね」
どうしてこの世界の人たちの名前はややこしいんだろうと、目をぱちくりとさせた。
「アンタの名前は?」
「春日有希、有希って呼んで」
ヴィヴィは『ユーキね』と、笑む。
「でも何で、アタシの名前騙ったりしたの?」
「あぁそれは」
フォル城での出来事を話したら、ヴィヴィは腹を抱えて笑い出した。
「あー、あのネチネチ狐ね! へぇーっ、そんな事したんだ! あっはっはっは」
未だに狐になりきってないと言うと、真顔で『今度もう一回行こうかしら』と言った。
ひとしきりヴィヴィの笑いが収まると、有希は居住まいを正し、頭を下げた。
「あの、助けてくれて、ありがとうございました」
「あら。どういたしまして」
「それで……一つ聞きたいんだけど」
「なにー?」
二杯目の紅茶を入れながら、ヴィヴィが視線だけを投げる。
「あの、アインさんはどうなったのかなって」
「ああ、あの魔術士の子? ――あの子はアドルンド領地に放り投げてきたわ。あぁ、本当に放り投げたんじゃなくて、そっと置いてきたわ。今ごろ家に帰ってるんじゃない?」
(それは同じ事なんじゃ……)
あえて聞かずに、へぇとだけ答えた。すると、ヴィヴィは何かを思い出したようにむすっとした。
「あれだけ大仰に騒ぎ立てたのに、ユーキ……っていうかアタシ? 死んだことになっちゃったじゃない」
ぷりぷり起こりながら、ヴィヴィは紅茶を一気に飲む。
「え? だって、あんなに派手に……」
「そうよ! だからあんなに派手に救出したっていうのに! きっと、マルキーがお抱え魔女でも出して幻視でもさせたんでしょうよ」
「お抱え魔女?」
聞きなれない言葉に、聞き返してしまう。
「あぁ、そうか。普通の人は知らないのよね。ユーキ、前に魔女狩りがあったのは聞いてる?」
普通の人じゃないんだけどな。と思ったけれども、黙って頷く。
「うん、少しなら」
そう、と、ヴィヴィは声のトーンを落として喋る。
「前にね、結構大きな規模の魔女狩りがあったの。十年くらい前かしら。リビドムが滅んだ頃あたりね。――その時に、捕縛された魔女はこう突きつけられたの。『死ぬか、この国に忠誠を誓うか』って」
「そう……なんだ」
知らなかった事実に、有希は驚く。
力の弱い魔女は皆殺され、長生きしている魔女は自分の矜持を持って死んだ。屈服した魔女は、時に慰み者にされ、時に力を悪用され乱用され、ボロボロにされて殺された。
そして、いよいよ魔女人口が減ってきたあたりで、各国は魔女の重要性に気付き、無体をすることは減ったという。
「表向きは、魔女なんてーって迫害してるのに、その実情は魔女を囲ってるの。――魔女には忠誠を誓うような国なんてないのにねぇ」
「でも、どうして魔女を迫害するんだろう……あたし、魔女がそんな悪いようには見えないんだけど」
魔女は、一体何をしてそんなに迫害を受けるようになったのだろう。
ヴィヴィは一瞬きょとんとして、そして派手に笑い始めた。
「ふふ、あはははは。おっかしいの! アンタ本気でそんな事言ってるの?」
魔女を庇う発言をして、それを笑われたのが不服で、有希はヴィヴィをねめつける。
「いい? 覚えておきなさいユーキ、魔女はね、基本的に悪いものなのよ」
「どうして」
ヴィヴィは有希を助けてくれたではないか。そう言うと、失笑される。
「それは気まぐれよぉ。伝説の魔女を騙る人間なんて、今時そうそういないからねぇ――でもねユーキ、アタシが本当に優しかったら、あの魔術士の坊やもちゃんとお家まで届けてるわ」
魔女はね、女なのよ。
ヴィヴィはそう言って淫靡に笑う。その体躯に似合わない妖艶さが、よりいっそう色香を匂わせる。
「いっくらでも装っていい女になれるから、容姿に恵まれる。そしたら今度はイイ男を捕まえたい。狙ったら落とすまで気がすまない。侍らせたい、モテたい。ちやほやされたいっていう欲求に素直に従っちゃうの。だから男に妻がいようが婚約者がいようが気にしない。何だって出来るわ。惚れ薬を調合したり、好みに合わせてみたり。それで骨抜きにして飽きたらポイって捨てちゃう。――でも人間の女はどう? すぐ老いるし、美貌だってイイのはほんの一握り。そんな女と魔女が張り合えると思う?」
そして、狂った女はアタシ達や男を殺す。何事もないようにそう言われ、有希は目を瞠る。
まぁ、それならまだいいわ。ふと、十歳ばかりの身体に見合う笑みを浮かべる。
「さてココで問題。魔女が狙った男が、王様だったり、王子様になったらどうなると思う?」
突然振られた問題に、有希は戸惑う。
(え、えーと、魔女は男の人が好き、で、人間の女の人は魔女には敵わない、で、その狙った男の人が王子様とかだと……)
「わかった! 子供が生まれない」
魔女はなかなか孕まないと、アインが言っていた。自信を持ってヴィヴィを見ると、ヴィヴィはにんまりと笑って『ブーッ』と言った。
「何で?」
「ユーキ、王や王子にはね、身分のたかーい正妃様っていうのがつくの、わかる? 大抵その人の子供が次の王様になるもんなの」
「へぇ……そうなんだ」
(知らなかった)
「そこで、よ。もし王様ないし、王位継承者を魔女が夢中にさせちゃったら、正妃の所に行かなくなるのよ。トーゼンね」
嬉しそうにヴィヴィが笑う。その『正妃の所に行かない』自信はどこから湧いてくるのかと思うと、すこし怖い。
「正妃っていうのはね、イイ家の娘だからね。正妃ないし側室になって、王の寵を貰うためだけに育てられるのよ。それなのに寵がもらえない、自分の存在価値が無い。貴族の娘も矜持があるから、そこで企てるわけ。――魔女を殺そうって」
「ど、どうしてその、魔女を殺そうってい所まで飛んじゃうの?」
「さぁ? 身の危険になるようなものは排除したいんじゃないのー?」
アタシ魔女だからわかんなーい。と、けらけらと笑う。
「でもね、人間だけが悪いわけじゃないのよ。――魔女は、それこそ人を呪ったりするしね」
「え? なに?」
最後がよく聞き取れなかった。と言うと、ニッコリと笑われる。
「なんでもないわよー? まぁ、一人の魔女を争って、国の王子サマが争ったりして戦争になったこともあるからねぇ、魔女は危ないの。――でも、魔女の力がないと、国が繁栄していかないのも事実なの。だから魔女を全滅させることが出来ない。魔女のお陰で出来た文化もあるわけだし」
「へ、へぇ。そうなんだ」
「そうよー。騎士制度だって……」
言って、ヴィヴィは有希をまじまじと見た。
「あれ、アンタ契約してるんだ」
「え?」
有希は自分を検分する。特に何も変わらない。
「わかるの?」
契約の証である指輪を、有希は今持っていない。思わず右手中指を触る。
「わかるわよ。魔女だもん。騎士と主人は繋がってるの。でも人間には見えないから、人間にもわかる契約の証として指輪作ったんだから」
言って、ふーん、へぇー、そうなんだぁー。と、ヴィヴィがニヤニヤと笑う。
「ユーキわっかいのに、よくやるわねぇ」
下世話な笑顔で、ヴィヴィ笑う。
「え、なに? やっぱカッコイイ? ちょっと教えなさいよぅ!」
「カッコイイって……」
言って、有希はルカを思い浮かべる。
高い身長、整った顔立ち、深い海の色の瞳。――非の打ち所が無い。
「う、うるさいなぁ! ヴィヴィには関係ないでしょ!」
「あぁん、ちょっと、そんな意地悪いわなくったっていいじゃない」
なんだか、言いたくなかった。