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紫の瞳  作者: yohna
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 ぐらぐらと揺れる。

 それは気分の悪い日の朝のようで、起きるのが億劫で仕方が無い。

 そんな日はいつも、布団の中で丸まって、裕子が何度も起こしに来てくれるのに――つねったり、叩いたり、時にはオリジナルの歌まで歌ってくれる。そんな裕子の陽気さに救われていた。

 背中を丸めようとしても、上手くいかない。なんでだろうとぼんやり考えていると、耳がだんだん過敏に聞こえるようになる。

「殺せ!」

 男の怒号が聞こえて、はっと目を開ける。

(なにここ)

 目の前にいっぱい広がる、広場のような場所。黄土色の土が満遍なく敷かれている。そして柵は灰色の石。その向こう側に群がる人、人、人。

「そうだ!」

 自分を検分する。両手が動かない。足も動かない。

 首だけを動かすと、木材か何かに十字に貼り付けにされている。そして足元には、薪だろうか。木材が組まれている。

(もしかして)

 これで自分は焼かれるのだろうか。そう思うと身の毛がぞっと逆立つ。

 広場の中を、真っ黒なもので身を包んだ人たちが、動き回っている。

(火あぶり)

「いや……」

 今まで何でもなかったのに、全身が恐怖に包まれる。

 手ががくがくと震え、寒くも無いのに歯がガチガチと鳴る。

 想像もできなかったものが、今は痛いくらいに有希につきつけられている。暴力のような恐怖は、逃げる事しか考えていなかった有希に残酷に襲い掛かる。

「ユーキ!」

 自分の名前を呼ぶ声が聞こえて我に返る。

 声の主は広場の、有希から少し離れたところにいた。

「アインさん!」

「ユーキ、すみません、僕、僕」

 後ろ手に縛られているのか、有希からはアインの腕が見えない。

 アインがくしゃりと顔を歪ませた。

 有希は首をぶんぶんと振る。

「ううん、あたしこそ、ごめんなさい」

 ごめんなさい。ごめんなさい。何度も心の中で反芻する。

 そんな格好をさせてしまって、そんな場所に座らせてしまって、ごめんなさい。

(これは、罰だ)

 こんな事なら、何も望まなければよかった。

 助けに来て欲しいだなんて、そんな甘い考えをもたなければ良かった。

 目の前のアインはボロボロで、そんな風にさせてしまったのが有希なのだと思うと、ごめんなさいという気持ちで消え入りたくなった。


 有希の目の前に、今はどこか懐かしい、あのガラス玉の瞳をもったパティが立っている。

 絶望に呆然としている有希の前で、とうとうと、抑揚なく無表情で何かを喋っている。

 アインが視界の端で泣いている。涙を拭うことが出来ないのだろう。ぱたぱたとこぼれた涙が足元で小さな水溜りを作っていた。

 パティの後方で、青年が立っている。今朝はあんなにも軽そうな笑顔を振り撒いていたのに、どこか真剣そうな面持ちだ。

 一体何が起きているのだろうか。

 ぼうっとした頭が動かない。それは諦めなのか、それとも現実逃避なのか、わからない。

 ただ、どこかで響く「殺せ」という言葉が、心を蝕む。

――それは、有希に対しての言葉なんだろう。

 あちらこちらから聞こえるその言葉。それを発する誰もが、有希が死ぬことを望んでいる。有希が処刑される事を望んでいる。

 その言葉が、ゆるやかに有希を死へ誘う。

『もしあたしが死ぬことで誰もが救われるなら、喜んで死ぬわ』

 この広場の、石の柵の向うで有希を見ている人は、有希が死ぬことで喜ぶ人なのだろうか。

(こんなに、いっぱい)

 見れば、老人や、幼い子供までいる。その誰もが、有希の死を望んでいるのか。

「ユーキ」

 パティが、有希を見ている。その目はどこまでも空虚で、何を考えているのかわからない。

「何か、言う事はあるか?」

 なにか、いうことはあるか。

 それは、最後の言葉という意味になるのだろうか。

「……ねぇ、パティ」

 パティは黙ったまま動かない。

「ここに居るみんなは、あたしが死ぬことで、喜ぶのかなぁ」

(誰かの死を、喜べるなんて)

「幸せに、なれるのかなぁ」

(誰かの死の上に、幸せって成り立つの?)

 それが、この世界の実態なのだろうか。有希にはわからない。

 パティは有希の質問を、まったくの無表情で受け取る。

 やや間があって、パティは口をひらく。

「わからない」

 わからない。パティの無機質な声が耳に響く。

「わからない? どうして? パティもあたしが死んだ方が良いって思ってるんでしょ!?」

 パティが数度瞬きをする。有希ははっと目を瞠る。

――知っている。これは、パティが驚いたときに取る行動だ。

(何? そんな事思ったことなかったっていうの?)

 パティは、有希を死ななくても良いと思っていてくれていたのか。

 けれど、何故。

 どうして助けてくれなかったのだろう。どうして見殺しにするのだろう。どうして、死ななきゃならないんだろう。

 どこに行く事も無かった怒りが、ぐつぐつと煮えたぎる。ずっとはけ口を探していた怒りが飛び出す。

「なら……ならどうして! どうして助けてくれないの? あたしが死んだ方が良いって思ってるから何もしなかったんでしょ!? わからないって何よ!」

 頭が真っ白になる。このぼんやりとした人は、一体なにを考えているのだろう。なにをしたいのだろう。

「わからないって、なによ……嘘でも言いからそうだって、ユーキが死んだら皆が幸せになるって、言いなさいよ」

(そうしたら、踏ん切りがついたかもしれないのに)

「あたしのここに来た意味って、生きていた意味って何……? 教えてよパティ。答えて、ねぇ、答えて! 答えてよパティ!」

(いやだ)

 死にたくない。死にたくないしにたくない。

「死にたくないよ! ねぇ、助けてよパティ! パティーーッ!!」

 パティが、弟に連れられて離れてゆく。パティは一度有希を振り返ったが、背を向けて遠くへ行ってしまった。

 胸の傷が、ジリジリと痛む。もう痛くないと思っていたのに、焼けるように痛い。

 胸の痛さに眉をひそめていると、黒づくめの人が、たいまつを持って現れた。

(うそ)

 まさかそれで、この木を焼くのか。

「いやだ」

 いっそう賑わう辺りの声に、有希の呟きは掻き消える。

 黒い覆面をしてあるその人が、どんな顔をしているのかわからない。

(笑ってる)

 なのに、有希はそう感じる。

(みんなみんな、笑ってる)

 何故だか、そう悟ってしまった。みんなみんな、有希の死を望んでいる。みんなみんな、有希の死を願っている。

 気付くと、覆面が数人現れて、有希を囲む。皆手にたいまつをもっている。

「何がそんなに嬉しいの」

 どの言葉が切欠だったのか。覆面が一斉に有希の貼り付けられている木の根元に火をつける。木が組まれていたそこに、火が燃え移る。

(あつい)

 火は有希のところまでやってきていないが、熱気が立ち昇る。それが、火傷しそうに熱い。

 ああ、とうとう逃げられずにここまで来てしまった。

 さっきまで半狂乱になって叫んでいたのに、頭のどこかが冷静になっていた。

 有希に死ねと唆す声援も、いまはなにか別のもののように聞こえる。

 去っていく覆面達が見える。何かを叫んでいるアインの姿が見える。

 不思議と、遠くに居る人々の顔まではっきり見えた。

(笑ってる)

 みんな、笑っているように見えた。とても嬉しそうで、とても充実している笑顔。

 思わず、有希もつられて笑った。

 笑ってみると、何もかもを全て忘れられるような気がした。

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