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今日の昼、自分が処刑される。
その事実を目の前にして、有希は戸惑っていた。
そもそも、処刑といわれてもどうやって殺されるのかがわからない。
(日本だと、絞首だよね……)
でも、ここは日本でもなければアメリカでもない。地球なのかすら怪しいというのに、想像などつくはずがない。
(ああやだやだ、死ぬことなんて考えたくない!)
ぶんぶんと首を振り、違う事を考えようと、ベッドの上をゴロゴロと転がる。
今日という日は、処刑日和というのだろうか。
大分早い時間、それこそまだ日の昇る前に目が覚めてしまった。
高い塔から見る朝日はまぶしくて、とても綺麗なものだった。
(処刑日和だなんて、縁起でもない)
自分に突っ込みを入れて、むくりと起き上がる。軽くストレッチをして、頬を両手でパシパシと叩く。
「しっかりしなきゃ。どうするか、考えなきゃ」
結局、快斗の言う「力」というものは発現しなかった。足枷も、自力では外す事ができず、むやみやたらに動かしたために足に怪我をした。
両手首の擦り傷はかさぶたになり、所々はがれかけている。
それを見るたびに「ああ、時間が経ってしまった」と思い知る。
――早く。あの人が来る前になんとかしなければ。
パティの弟。名前も知らない彼がやって来る前に、どうにかして動かなければならない。
(でも、どうやって?)
籠の鳥の状態の有希に、一体何ができるだろうか。
いても立ってもいられなくて、ぐるぐると部屋中を歩き回る。それに引き摺られる鎖の無機質な音が響く。
「……やっぱり、処刑場に連れて行かれるまでの間かなぁ」
その隙に、もしかしたら誰かが助けに来てくれているかもしれない。
そんな淡い期待が、胸に灯る。
(やだな……まだ期待してる)
現実逃避なのだろうか。それとも、本当に期待しているのか。考えすぎてしまって、もうよくわからない。
彼等は有希のことをどう思っていたのだろう。どのくらい、親密になれたのだろう。
(そこばっかり考えてるなぁ)
ずっとずっと、その事ばかり考えていた。
アインは、ティータは、ナゼットは――ルカは。どう思ってくれていたんだろうか。
「……あいたいなぁ」
皆とはぐれてから、ぽっかりと心に穴があいたような気分だ。
人間扱いされないし、魔女だ魔女だと言われて、憎しみの目は侮蔑の目に晒されつづけていた。
あの暖かなまなざしが懐かしい。
皆の顔を思い出すだけで、心がほかほかと温まる。
「……うん、会おう、会いに行こう」
あたしは元気だよって、心配かけてごめんねって。
「ルカにも、謝らなきゃ……」
我儘を言って、迷惑をかけて飛び出して。
力になりたいのに、足ばっかり引っ張ってしまった。
右手の中指を撫ぜる。すっかり癖づいてしまったそれが、おかしくて笑う。
(うん。やっぱり処刑場に行く間際だ)
これからの自分の行動をシュミレートする。
(鎖はベッドにつながれてる。あそこには外す場所がついてない。外すのはこの足の方に間違いない。その外された瞬間に、ベランダに駆けてって飛べばいいんだ)
様々なシュチュエーションを考える。
もし人数が多かったら、もし転んだら。もし、もし、もし。
そう考えているうちに、どんな状態になったとしても、ちゃんと飛べるような気がしてきた。
「よし、大丈夫。きっといける。ううん、絶対いける」
ぎゅっと手を握り締めて、自身を鼓舞する。
もう大分昇った朝日を睨んでいると、ドアが乱暴に開く。そこにいるのは、パティの弟。
(一人なんだ)
ひどく心が凪いでいる。落ちついて考えられる。
(大丈夫、冷静でいられる)
「飯だ。食え」
そう言って、トレイを粗野に置く。青年はそのまま部屋の椅子に座る。
トレイの横に冷たいタオルが置いてある。有希はそれを持って顔を拭く。ひんやりとしたタオルが気持ちいい。
大きく深呼吸をすると、ベッドの縁に座ってトレイを膝の上に載せる。
「いただきます」
両手を合わせて言って、スプーンを手にとる。最後の日なら少しは豪華なのかななんて思ったけれどそんな事は無く、いつもと代わり映えのしない食事が乗っていた。
(食べられるだけでありがたいんだけどね)
黙々と食べると、しんとした空気が流れる。青年の視線を感じるが、見向きもせずに食べる。
(それにしても、一人で来るなんてな)
てっきり誰かを連れてくるのかと思った。
(それとも、食べ終わったら誰かが入ってくるのかな)
そう思うと、緊張が身体を走る。扉の奥に誰かがいるのではないかと思うと、ちらちらと見てしまう。
食事の味がよくわからない。
気付かない内に興奮しているのだろうか。
ふと、青年と目が合う。
青年は笑みを浮かべて有希を見ている。
(嫌な笑顔)
どこか高圧的な、高慢な笑顔だ。
自分は目の前の有希よりも、圧倒的に上の立場にいるとでも言いたげな目は、有希を蔑んでいる。
構わずに食事に集中する。スープを口にしようとしたらまだ熱くて「あちっ」と慌てて離す。少しこぼしてしまった。
そんな仕草を見られたのも嫌で、青年をちらと盗み見る。――やはり有希を見つづけている。
「余裕だな」
「……何の事?」
「いやぁ、アドルンドのお嬢様には、やっぱりナイトが迎えにくるって? ――お前、本当にそんな事信じてるのか?」
軽そうな笑顔が、重たい事実を軽くする。
(そんなこと)
「思ってるわけないじゃない」
吐き捨てるように言って、食事を急いでかき込む。早く食べ終えて、このおしゃべりな男の口を止めたい。
「そんな事言って、本当は待ってるんだろ」
「うるさい」
言って、ラストスパートを掛けるように、皿を傾けてスプーンでかき込む。最後にスープを飲んで流した。
「待ってんだろ。藍色の髪の毛の、王子様をよ」
「は?」
誰の事を言っているの。そう言おうと立ち上がると、それよりも早く扉が開く。
そこから入ってきたのは、数人の番兵と――縄に繋がれたアイン。
「アインさん!」
猿ぐつわをされたアインと目が合う。どんな仕打ちを受けたのであろうか。目が赤くなっているアインは有希を見て、くしゃっと顔をゆがめた。
(なんで、どうして)
どうしてアインがこんなところに。
(そんなの決まってる)
有希を助けるためだ。それ以外に、こんなところに来る理由は無い。
申し訳ない気持ちでいっぱいになる。そんな格好をさせることになってしまって、きっと苦しい思いも沢山しただろうに。
(あたしのせいだ)
アインに駆け寄ろうと、ベッドを降りた瞬間、ぐらりとめまいがした。
「あ……れ?」
平衡感覚が鈍ったように、あたまがぐらぐらと揺れる。それは立っていられないほどのもので、その場にぺたんと座り込む。
視界の中のアインが歪む。
(なに、これ)
きぃんと耳鳴りが絶えず聞こえている。アインの叫び声も聞こえる。そんな中、青年の声だけが不思議とはっきり聞こえた。
「お前に抵抗されると困るからな。昏倒する薬を飲んでもらった」
その声を皮切りにぷっつりと音が途絶えた。耳鳴りも聞こえない。
(しまった)
次第にゆっくりと、視界がフェードアウトしていった。