36
アインは、朔の日の前の夕方に、ケーレに辿り着くことができた。
空は藍色に染まり、灰色の町は茜に染まっている。
(ユーキは……)
馬を引きながら、ケーレの町を歩く。
アインの足取りはとても頼りなく、アインが馬を引いているのか、馬がアインを引いているのかわからない。
(ユーキはどこにいるだろうか)
そればかりが頭を巡る。
視界がぼんやりと霞がかっているのは、疲労のせいだろうか。アインはふらふらと歩く。
(とりあえず、宿を取って厩にコイツを繋いで、あぁ、どうやってユーキを探しだそう。まず居所を探さなきゃ。番兵あたりに袖の下を通したら教えてもらえるかな、前に教えてもらえたから多分大丈夫だとして、どうやって助けるか。だよなぁ)
頭がぐらぐらと揺れる。考えた先から考えていることを忘れてしまう。
(この前みたいに地下に居られたら確実に無理だ。そうだったら処刑直前を狙わなきゃならない)
ああ、と自分を恨みがましく思う。
こんな時、自分にもっと能力があればよかったのにと思う。
軍師家系のレーベント家は、軍師であると共に魔術士の家としてはエリートだった。
(兄様達なら透視も可能なんだろうけどなぁ……って、考えてもしょうがないか)
その後、アインは宿を取り、夜が更けるまで休息を取った。
寝て起きると頭はすっきりして、俄然やる気が出てきた。
「待っててくださいね、ユーキ!」
あなたを殺させなんてしませんから。そう、どこにいるかわからない有希に叫んだ。
夜が更けても、石を切る音がどこからか聞こえてきている。
酒場のような華やかな場所は無く、どこもかしこも寂れて切ない心持になる。
アインは塔に向けて静かに走る。
――罪人は、あそこにいる。
ルカがいつかそう言っていた。実際、ガリアンもダンテもあの塔の地下にいた。
ならば有希も、きっとあの塔に居るのだろう。
(詳しい計画なんて何も立ててないけど! せめて番兵に掛け合うくらいは!)
牢破りをされたばかりの牢は、強固に護られているだろうが、なんだか何とかなりそうな気がした。
幾分か走ると、塔の麓に出た。アインは茂みに隠れて、番兵の数を数えた。
(……別に、べつに、押し入ろうって訳じゃないんですけどね!)
誰に言い訳するでもなく、慌てふためく。
「……それにしても」
番兵が多い気がするのは気のせいだろうか。塔をぐるりと、等間隔で番兵が立っている。
(ということは)
有希がここに居るから、誰にも侵略されないようにとの配慮だろうか。
(きっとそうだ)
となれば、アインには出来る事は何も無い。
ここに居つづける事よりも、部屋に戻って、処刑の時にどうやって有希を救出するか考えていたほうが良い。
「ユーキがココにいるとわかれば、何らかの計画も立てられるし」
そう言って、茂みから立ち上がる。くるりと振り向いて前に歩こうとした所で立ち止まる。
目の前に、誰かが立っている。
見たところ、アインと同年代らしい青年である。深い色味の髪が、夜闇と同化している。
(やばい)
「誰か、捕まっているのか?」
「え?」
アインよりも身長の高いその青年は、人懐っこい笑顔で言った。
「時折来るんだよ。捕まってるヤツの家族とかが。『無事かなー』って。お前もそうなんだろ?」
(なんだ、この人)
とりあえず、アインも愛想笑いをする。
「どんなヤツだ?」
「え?」
目の前の青年が優しく笑う。
「見てきてやるよ。そいつが無事かどうか。――気になるんだろ?」
アインの頭の中で警鐘が鳴る、
(なんか、雰囲気が違う)
番兵とも違うし、騎士とも違う。それでいて、誰かに似ているようなこの雰囲気。
「俺、こう見えても、あいつらには顔が利くんだ」
優しそうに見えるが少し威圧的な空気に、アインは若干圧倒される。
「いや、今日はもう遅いし、寝ているかもしれないから……それなら明日、お願いしていいですか?」
青年が意外そうな顔をする。
「遠慮すんなって。どんなヤツなんだ?」
何かが、どこかがおかしい。どうしてこんなにも、アインに執着するのだろう。
ニコニコと笑っている青年は、アインに歩み寄る。
「もしかして、女か?」
「え……あ、まぁ」
たじろぎながらも答える。
(ああああ、早くこの場を去りたい!)
青年は笑顔を崩さずに続ける。
(あ)
気付いてしまった。違和感の原因に。
(この人、目が笑ってない)
じっとりと絡みつくような視線が嫌で、目をそむける。
「そいつはもしかして、黒髪、そして紫色の瞳の、クソガキか?」
(ユーキ!)
驚いてアインは青年を見る。青年は、にやりと笑った。
「――見つけたぜ、あのお嬢様のナイトをな」
(しまった)
走って逃げようと踵を返すと、いつのまにか、塔の辺りにいた番兵に囲まれていた。
「っ――!」
アインは番兵の一人に、膝蹴りを腹部に受けてうずくまる。
「安心しろって、別に取って殺しゃぁしねぇよ」
地にへたり込んだアインの髪を持ち上げる。
「お前にはな、アイツの処刑を特等席から見てもらう」
(ルカ様)
心の中で主の名を叫ぶ。申し訳なさと、悔しさと、悲しさと、自責の念と、その全てを持て余したまま、アインは縛り上げられて塔の中に連れ込まれた。