35
ああ、帰ってきた。
ルカはぼんやりとそんな事を思った。
今まで長期でアドルンドから離れることは何度もあった。
それこそ政務であったり、個人的な感情で帰らなかったことも多々あった。
疲弊した身体を奮い立たせながら、馬を操る。
城下を歩く。その姿は誰に見咎められる事もない。
ルカが公式の場に出る事は殆どない。騎士として軍を引き連れるときも、顔を見られないようにと頭を覆うような兜を装着していた。
アドルンドの巨大都市である王都は、戦争下にあるが、まだ活気がある。それらを印象付けるように眺める。
(しばらくは出られなくなるだろう)
きっとオルガは、簡単にルカを放してくれないだろう。
(いっそ兄様を――)
そう考えて、馬鹿馬鹿しいと自嘲する。
(兄様の思惑は、それだろうに)
オルガは一体、何をやりたいのだろうか。ルカには理解ができない。
いずれアドルンドの王位を継ぎ、栄光を手にできるというのに。
(まぁ、俺はなりたくないがな)
オルガは王になるために生まれ、王になるために育てられている。王になることに疑問をもたないように、賢帝と呼ばれることになるように。
(兄様、あなたはこの国をどうしたいのですか)
この豊かな国を、美しい国を。愛しい国を。
(彼女の愛した、この国を――)
ルカはその面影に、瞑目した。
ルカが城門をくぐると、即刻門番に捕らえられた。
馬から引き摺り下ろされ、まるで罪人のような扱いだった。
そして縄を掛けられたままの姿で、謁見室に連れて行かれた。いつかを再現したような構図だ。
「やぁルカ、来たね?」
高座に座るオルガは、優雅に微笑みを浮かべている。
「兄様、これはどういうことですか」
ルカの後方には、武装した番兵が二人、立っている。
「どういうこと? それは僕がルカに言うべき言葉なんじゃないのかなぁ」
足を組んで、くいと顎をあげて、ルカを見下す。
「――あの子、魔女なんだってね。しかも年季の入った」
知らなかったなぁ、と大仰に嘆いてみせる。
(白々しい事を)
本当は知っているであろうに。
有希が連れ去られたのは、間違いなく目の前に居るオルガが原因である。それは間違いがない。
オルガはここ数日、城にいなかった。
「ねぇルカ、どうしてそんな事を?」
傷ついたような顔をしている。その顔をよく見ると、目が笑っている。
「――兄様、彼女は魔女ではありません」
「へぇ、じゃぁ、どうしてあんな色の瞳をしているの? リビドムの王様が実は生きていたとか寝言を言うの?」
「ええ」
ルカはきっぱりと言い放つ。
(ユーキはこのままでは殺されてしまう)
その有希が生き残る方法。それは、有希自身に価値ができること。
考えて考えた結果にだした決意。そのために、ルカはここまで戻ってきた。
「彼女はかのリビドム王、ロイコ・カーン・リビドムのただ一人の娘です」
目の前でルカを見下しているオルガは反応がない。後方の番兵がたじろぐのがわかる。
そして、いくばくか間があり、オルガは狂ったように笑い出した。
「何故? 何故そうだと言い切れるんだいルカ、え? リビドム王が生きている! それはリビドムの妄想じゃないのか?」
「彼女はリビドム王の騎士であるガリアン・マノタントと対の指輪を所持しております」
しばらく笑っていたオルガが、ふと、真顔に戻る。いつもの笑みが消え、がくんと上体が倒れ、顔を上げるとぎょろりとした目だけがルカを捕らえる。
「あぁ……そう……」
そしてまた沈黙が訪れる。前傾姿勢が元に戻る頃には、いつもの微笑みをたたえている。
「それで、ルカはその少女をどうしたいの? もう戦争ははじまっちゃったよ」
「!?」
ルカが驚いて目を瞠ると、オルガは嬉しそうに笑った。
「今朝、やっと追撃命令を出したんだ。アドルンド軍のね」
(どういうことだ)
有希をアドルンドに連れ戻す事で、本格的にマルキーと戦争になってしまう。それがわかっていたから連れ出した。それがわかっていたから、アドルンドに戻るのをためらった。その躊躇いが、彼女を危険に晒した。
だから、有希を連れ戻して、マルキーと戦争になるのならば、仕方のないことだと決めた。
それなのに。
「彼女をダシにしようかとも思ったんだけど、面倒くさくてねぇ」
持て余すように、手で遊んでいる。組んだり、あわせたり、反らせたり。
そんな事も気にならないくらいに、呆然とルカはオルガを見ていた。
「兄様!」
思わず叫んでいた。
ルカは自分の考えていた計画を、話すためにここに居るのだ。
「それならば、彼女をリビドム王として、リビドムを再び建国されてはいかがでしょうか。そして彼女を娶れば、戦争もせずに、リビドム領が手に入ります」
オルガが真顔になる。その顔は、どこかルカに似ている。
「……そう。そういう考え方もあったね。――でも、その彼女はどこにいるの?」
ルカは言葉に詰まる。
「彼女が魔女じゃないっていう証拠もない、彼女がいないから、指輪も見せてもらえない。それなのに、そんな言葉を信用しろって言うのかい? ルカ」
返す言葉もなく、黙りこくってしまう。
「でもまぁ、いい考えだよねぇ」
どこか夢見るような視線で、オルガはどこかを見ている。
(聞き入れてくれるか)
そう、淡い期待を抱いた瞬間、オルガは憎悪の浮かんだ笑みを浮かべた。
「彼女がいないなら、明日マルキーで処刑される魔女をあの子に仕立て上げればいいじゃない。そしてその魔女が死んだ後『実はアドルンドが保護していたリビドム王女だった』そう言って攻め込んでしまえばいい。そうすれば、リビドムだけじゃなくてマルキーまで手に入る。――素敵な筋書きじゃないか」
(はじめから、それが狙いだったのか)
「兄様! あなたはご自分が何をなさろうとしているのかわかっているのですか」
思わずルカは声を張り上げる。すると、両脇の番兵がルカを押さえて床に押し付ける。
「ルカ、君は僕を弑逆しようとしていたっていう嫌疑が掛かっているんだよ。そのための弁明に来たんじゃないの? 僕の心配をしてくれるなんてルカは優しいねぇ」
オルガが優雅に立ち上がる。そして、一歩一歩高座から降りてくる。
ルカの目の前で止まると、更に言葉を続けた。
「でもまぁ、弑逆っていうのは外聞が悪いし、ルカの言う『リビドムの王女』が僕を尋ねてくるまでは監視させてもらうよ。その頃にはほとぼりも冷めるだろうしね」
処刑される魔女が有希である以上、有希がルカを尋ねてくることなんてまずない。
(それをわかっていながら)
「ねぇルカ。僕はルカが大好きだから、どうにかしてルカが助かる方法を探すよ」
だから少しだけ、待っててね。
そう言うオルガの顔は酷く歪んでいるように見えた。