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紫の瞳  作者: yohna
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 この世界にやってきて、一ヶ月は過ぎた。

 もう一ヶ月なのか、まだ一ヶ月なのか、それはよくわからない。

 ただ一つだけいえることは、この世界にやって来る前には、考えもつかなかった。

 自分が処刑されて死ぬかもしれないっていう直面に出くわすなんて――。


 鍵を開く音が聞こえる。

 ふと振り返ると、トレイを持ったパティが立っていた。

 彼はまずベッドを見遣り、そして有希が居ない事に気付いて、部屋を見回す。

 ベランダに立っていた有希と目が合うと、瞬きを数度した。

「……大丈夫なのか」

 きっと少しは驚いただろうに、微塵も表情が崩れない。

 有希は微笑んだ。

「すっかり。もうお昼の時間なのね」

 パティはトレイをベッドサイドのテーブルに置く。置かれたスープは相変わらず半分ほどこぼれている。

 有希はベッドサイドに座って、トレイを膝の上に載せる。

「いただきます」

 手を小さく合わせて言う。それをぼんやりと見つめて、パティは立っていた。

 最初はそのしぐさに目を瞬いていたが、もう慣れてしまったらしい。

 有希は食事をもりもり食べる。今までずっと動けずにいて、すっかり痩せてしまったからだ。

(逃げるとしてら、やっぱり体力はないと)

 いつまでもうじうじしてなんていられない。いくら悶々としても、自分の処刑される日が延びるわけではい。

 それならば、思いっきり抵抗してやろうと思う。

(そもそも、あたし伝説の魔女なんかじゃないし)

 いわれの無い誤解で殺されるだなんて、お笑い種にもならないじゃないか。

 考えれば考えるほど、怒りが湧いてくる。

「何もかも、あの変態狂人オニーサマのせいだ」

 (一体どうしてくれるっていうのよ。無知で無力でか弱い女の子に)

 ふと、水色の瞳と目が合った気がした。

「……あなたも、本当に暇なの?」

 ケーレの知事を任されているって言っていた。知事っていうのは日本でいう知事と同じポジションだと思っても良いのだろうか。

 長いこと待ったが、返事は無い。有希はため息を一つついた。

「……もう、暇だって思っていいのね?」

 言って、ふと気付く。

(そういえば、あたし、この人の名前知らない)

 考えてみれば、自己紹介すらしたことがない。

 見上げれば、やはりガラス玉のような瞳が見つめてくる。

「ねぇ、あたし春日有希っていうの。あなたの名前は?」

 ふと合った目線は、何を考えているのかわからない。

「……ウル・パティメート・マルキー」

 呟かれた言葉は、答えをあまり期待していなかった有希には衝撃だった。

「うるぱ……なに? なんて呼べばいい?」

「――パティで良い」

 パティ、パティと何度か呟く。

 そして、顔を上げてパティの目を見据える。

「ねぇパティ、気になってたんだけどさ、どうして魔女は処刑されるの?」

「…………」

(無言ですか)

 昔、大々的な魔女狩りがあったとアインに聞いた。

 事の発端を聞き忘れてしまったなあと、ため息をついた。

 ベランダの外を見遣り、風の音に耳を傾ける。

「――魔女は、狂わせると」

 パティの中低音が耳に入る。驚いて振り返ると、その視線は宙を泳いでいた。

「人を、狂わせると言っていた」

 最初にパティを見たときに、ひどく空虚だと思った。

 少しずつ知っていくと、とても優しい人なんだと思った。

(でもやっぱり、空虚だ)

 むなしい。その言葉が一番似合う。

「……本当にそうなのか、私にはわからない」

(自分の意見まで言ったよ!)

 あんぐりと口をあけて見入ってしまう。微塵も動かない人形のような顔の持ち主は、一体何を考えているんだろう。一体、どうしてこんな風になっているんだろうと、少しでも知りたかった。

 パティはしばらく有希を見つめて、そして口を開いた。

「お前は……怖くないのか?」

「ぇ……何が?」

 幾度か瞬きをする。何か以外に思ったのだろうかと首を傾げる。

「私が怖くないのか? 処刑される事も、怖くないのか?」

 意外な質問に、今度は有希が驚いた。

「パティは怖くないよ。――確かに最初は『酷い人』って思ったけど、今はそんな事無い」

 ほんとうだよ。そう言って、パティに微笑む。

「処刑される事は――そうだなぁ」

 言葉尻が言いよどむ。

 正直、不安だ。不安で不安で、怖い。何で自分がそんな目に遭わなきゃいけないのだろうか。そもそも、どうしてこんな世界に来てしまったのだろうか。

 言いようも無い孤独に、自分の必要性の有無に、悲しいほどの虚無感に、怖くて怖くて涙しそうになる。

(けど……)

 もしも、処刑されるのが自分の運命なんだとしたら。

 そう考えてしまうと、どうしても嫌だと思えない。

 死んでしまうのは、怖い。怖くて怖くて、逃げ出してしまいたくなる。

(もしも、あたしがそうやって死ぬことで、この世界に安寧がやってくるなら)

 そう考えてしまうと、足掻く事が出来ない。

「……あたしが死ぬことで、誰かが救われるかなぁ」

 こぼした言葉は返事になっただろうか。

「もしあたしが死ぬことで誰もが救われるなら、喜んで死ぬわ」

 色の無い瞳を見て微笑む。上手く笑えたか、あまり自信がない。

(嘘。怖いに決まってるじゃない)

 泣きそうになった。


 パティが部屋を出て行って、どのくらい時間が経っただろうか。

 逃げ出す事を考えなければならないはずなのに、ぼうっとした頭は考える事を拒否したように、動かない。

(もしかしたら、あたしがこの世界にきたのは、生贄になるため?)

 そんなまさか、と自嘲する。

「あたしがこの世界にきたのは、パパとママの気まぐれ……っていうか陰謀よ」

 自分に言い聞かせるように、両腕で自身を抱きしめる。

「だから大丈夫、有希、あなたは死ななくていいの」

 死んだら駄目。死んじゃ駄目。繰り返すように言い聞かせる。

 そうやって何度も何度も言い聞かせていると、少し落ち着きが戻る。

(そういえば、前もこんなことあったなぁ)

 大分昔のように思える。

 ケーレの牢屋に入る前夜だ。泣きじゃくるティータをなだめて、有希が行く事になった。

(自暴自棄になって、あたしくらい死んだっていいでしょ。なんて言ってたなぁ)

 なのに、今はこんなにも怖がってる。

 ふふ、と笑みがこぼれる。

「おかしいの」

 何でこんなにも矛盾しているのだろう。

 誰かのためになるならば死んでもいいかな、なんて思ったのも事実。死にたくないよって思ったのも事実。

「あーあ。もう、最初っからやり直したいわ」

 この世界にやってきた一番最初。

 もう懐かしいとまで思ってしまう。

 ルカに助けられた事、お城に連れて行かれて、よくわからないうちに契約されてしまった事。

 全部を最初っから、もう一度やりなおしたい。

「でもなぁ、落ちる場所によっては、ホームレスみたいになるかもしれないしなぁ……」

 うぅんと考え込む。

――拾ってやる。

 はっと、あの夜の言葉がよみがえる。

――またどこかに落ちたときは、俺が拾ってまた契約してやる。

 ふと、自棄じゃない笑みがこぼれた。なにか、心の奥を暖かいものが満たしてくれる。

「……そっか」

 ルカは、また拾ってくれる。

 ざわついた心が、すとんと楽になった気がした。

(あたし、またこの世界に戻ってくる事、考えてる)

 何かに毒されたかなぁ、と、笑う。

(そうだ。死ぬくらいなら、もう一回死ぬ覚悟で飛べばいいんだよ)

 そしてまた、最初っからやり直す。そうすれば、有希はアドルンド城に、きっと皆が行ったであろう場所に戻れる。

 ベッドから降りて、ゆっくりと歩む。

 レースのカーテンをそっと抜けて、窓を開ける。纏っている真っ白なワンピースの裾が翻る。

 太陽はもうどこにも無くて、空の奥が濃紺に染まってゆく。手前のオレンジと重なるグラデーションがとても綺麗だ。

 手すりに手を添えて、眼下を見下ろす。この高さは、どこかで知っている。

(うちのマンションも、このくらいの高さだったなぁ)

 今となってはどこか懐かしい、ずっと暮らしていた家。

 初めて親に抱かれて見下ろした景色は、吸い込まれて落ちるのではないだろうかと思うほどにくらくらした。

 

 高い塔に閉じ込められて、外を眺める事しかできない。

――まるでラプンツェルみたいだと思った。


「何がラプンツェルよ」

 有希の王子は、この塔の下には来てくれない。

(だって)

 よっと掛け声を出して、手で手すりに乗る。ぐらぐらと揺れて、慌てて片足を掛ける。

「あたしの王子はひねくれものの二重人格者なんだから」

 初めて会った時の、あのまばゆいばかりの笑顔を思い出して苦笑した。

「そんな王子様には、あたしから会いに行かなきゃ」

 両足を掛けて、手すりに座る。ぎゅっと握った手すりがじんわりと汗ばむ。

(下見ちゃだめ、下見たら決心が鈍る)

 深呼吸を二回したあと、有希は両手を突っ張って手すりを押した。

 身体が、ふわりと宙に浮いた。

――直後、がくんと身体に衝撃が走った。

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