28
空の色。というよりも、プールの色のような水色だった。どことなく作り物のような――ガラス玉の瞳。
マルキーの王子が居なくなってどのくらい経っただろうか。有希はぼうっとしてすごしていた。
頭は処刑の事、火傷の痛み、オルガの事、はぐれてしまった皆の事でぐるぐると混乱する。
(だめだ、ぐるぐるする。順番に考えよう)
窓から見える日が、昇りきる頃に、よしと決意して座りなおす。
(まず、なんであの兄ちゃんはあんな所にいたんだろう)
オルガは王位第一継承者で、ずっと城にいるのだと、いつかアインが言っていなかっただろうか。
しかも敵国であるマルキーに。そして、マルキーの王子ともどこか親しげだった。
(戦争中だって言ってなかった?)
本当は仲がいいのだろうか。そう考えて首を振る。
意味がわからない。じゃぁ何のために戦争なんてしているのだろうか。
(だめだ。まとまらない。次、次)
ふと、自分の胸元を見つめる。
快斗から肌身離すなといわれた指輪は、どこかへ行ってしまっていた。
(ごめんなさい、パパ)
なくしてしまった。快斗の指輪も、自分の指輪も。
(ていうか、指輪を「困ったときは使え」って。売れって事じゃなかったのね……)
てっきり、金に困ったときに物入りしなさい。という事だと思っていた。
(これで騎士を探しなさい。とかさ、騎士の探し方とかさ、最初ちゃんと教えてくれてれば、あたしこんなに困らなかったのに!)
いや、もし騎士を探せたとしても、ガリアンは牢屋にいたから無理があったのかもしれないが。
(――そういえば)
快斗は自分に他にも何か言っていた気がする。
(何だっけ)
あの時、快斗の突然のカミングアウトと、ものの五分もたたないうちにベランダから落とされた。そしてそこからめまぐるしく事態が変わったので、ろくろく覚えていない。
(なんか、すっごくファンタジーな発言したと思うんだよね)
うぅんと頭をかかえる。
(こっちでの名前とか言ってたよね。なんだっけ。確か、快斗じゃなかったんだよ)
カーン様。ガリアンはそう言ってなかっただろうか。
(そうそう、何とかカーンって言ってた)
少し思い出したことにすっきりして、そしてはたと気付く。
(そこじゃない、そこじゃないって! 思い出せ春日有希!)
ベッドに転がってうんうんと唸っていると、ふと、耳に懐かしい声が聞こえた。
――もし有紀に力が発現したら、人前でみだりに使ったりしないことを約束して。
あまりにもリアルにその声が聞こえたので、がばっと起き上がる。そして快斗がどこかにいるんじゃなかろうかと何度か見回して、まさかね、と息を吐いた。
(……そうだ、力だ)
言われたときは微塵にも信じていなかったが、この世界はファンタジーそのものだ。魔女も居れば魔物も居る、騎士も魔術士もいるし狐耳の変態男もいる。今更超能力があったっておかしくない。
発現したら。快斗はそう言っていた。ならばまだ自分は発現してないんだろう。
(どんな力なんだろう)
騎士のように、強固になるのだろうか。それとも、魔女のようになるのだろうか。いずれにしても、見当がつかない。
(いっそのこと、今ここで発現して、あの窓からぴゅーっと飛んでいけたらいいのに)
窓に掛かったカーテンがひらひらとゆれている。先ほどベランダに出てみれば、そこはとても高く、壁を伝って降りる事はできなさそうだった。
カーテンを裂いて、縄にしようとも思ったが、カーテンにシーツを足しても、地上には足りないと断念した。
ここはどこなのだろうか。見下げる眼下には、山々が連なっているだけで、何もわからなかった。
(結局、あたしは無知で無力だ)
今自分の居る場所も、置かれている状況も全くわからない。
何をすることも出来ずに、呆然としていることしかできない。
右手中指の、指輪が嵌っていた辺りを撫ぜる。そこにあった指輪も、今はもう無い。
本当に、何もなくなってしまった。この世界との接点も、ルカ達との接点も。
「最低だ……」
ぽつりとこぼした言葉はしゃがれていて、それがなんだかおかしかった。
(最低だ)
無知で無力なのに、どう足掻いても足を引っ張る事しかできないのに。
長く一緒にいたはずなのに、年も、趣味も、好きな食べ物も知らないのに。
なのに。
(こんなにも、助けてもらいたがってるなんて)
頭がぐらぐらする。傷のせいで熱が上がったのだろうか。
「最低だ」
熱のせいだろうか、自己嫌悪のせいだろうか。目頭がじんわりと熱くなる。
有希はそのままベッドに倒れ込み、浅い呼吸を何度も繰り返すうちに眠ってしまった。
三国には、明確な境界線が引いてある。山脈だ。アリドル大陸をYの字に山脈が流れている。西をアドルンド、東をマルキー、そして狭い北がリビドム。かつてより幾度となく戦争が起きたが、最終的にはやはり山脈が国境になっていた。
ケーレからアドルンドに戻るには、やはり山を越えなければならない。
ケーレはマルキー最南の町だ。だから、海側を回る事もできるが、いかんせん今回は時間が無かった。
ティータとナゼットには、老体の事も考えて海側を回るように言った。
ルカとアインは、山を駆ける事になった。
途中立ち寄った小さな村の宿屋で、伝令と会った。よほど至急の事なのだろう。近隣の各町に伝令を滞在させていたらしい。
書状には『十日後の朔の日に、アドルンド城で審議を行う』と書いてあった。ケーレからアドルンド城まで、普通に行けば十日ではとても足りない。更に、書状の十日後と書いてあったが、朔月の日はもう九日後になっていた。
――兄様は容赦がないな。
ルカはそう言ってほくそ笑んでいた。有意義な口ぶりに、その余裕を下さいよ。という言葉が、喉まで出掛かった。
(言わなくて良かった)
アインは安堵した。そう笑うルカの目が、全然笑っていなかったからだ。
(いつものルカ様だ)
仏頂面というより無表情で、そして眼光だけが異常に鋭い。それがいつも見ていたルカだった。
最近は、有希の存在あってか、雰囲気が少しだけ丸くなったと思ったが、あの柔らかな表情は今、微塵もない。
(それとも、ユーキの為にこんな必死になってるのかなぁ)
凍ったような表情の主人は、相変わらず何を考えているのかわからない。
ただ、いつもよりも数倍、馬で駆ける速度が速い。乗馬の授業が不得手だったアインには拷問だ。
気が付けば、ルカがずいぶん先まで駆けていた。
「ちょっルカ様ー! ちょっと、ちょっとだけ待って下さーい!」