27
宿屋に戻って報告をし、そしてもう一度探しに出かけようとしたルカを、ナゼットが止めた。
「ルカ」
「すぐに戻る」
「ユーキは間違いなくマルキーに連れ戻されている。わかっているだろう」
ルカも理解している。もう有希はこの近くに居ないこと、そして、一人ではぐれたというわけではないことも。
「ならもう一度マルキーに向かう。お前は皆を連れ城に戻れ」
「ルカ! 自分の身分を弁えろ!」
ナゼットがルカの腕を掴む。ルカはそれを乱暴に払う。
「もうこれ以上城を空けるわけにはいかない。それぐらいわかっているだろ」
「ああ、わかっているさ、十分すぎるほどにな」
俺に自由なんてないんだからな。自嘲するようにルカが言う。そんな姿を見て、ナゼットは溜息を一つ吐く。
(何故、こんなにも荒れる)
「とにかく、一度城に戻るぞ。ユーキだってそう簡単には殺されないさ」
ルカは黙ったまま動かない。きっと、自分でもそうするべきでしかないということをわかっているのであろう。
「もう一度俺に失えというのか……」
ぽつりと呟いた声が、玄関で小さく落ちる。
思わずナゼットの動きが止まる。
「ルカ……お前もしかしてまた――」
「ルカ様! ルカ様! 大変です!」
言いかけた言葉はアインの声に遮られる。
「どうした?」
ルカは平静を取り戻したように振返る。が、アインが一瞬怪訝そうな顔をする。
「ルカ様、何かありましたか?」
「――いや。それより、何用だ」
少し目じりの赤くなったアインは、ルカをみつめて言葉を探す。どう言ったらいいのか考えあぐねているんだろう。
「ルカ様、あの、えっと……」
しばらくすると、意を決したようにきりりとルカを見据えたアインは、こう言った。
「ルカ様に、謀反の疑いが掛かっています」
「はあ?」
思わずナゼットの口から言葉が飛び出す。
「おいおい、アイン、そんな冗談は――」
「冗談じゃありません。魔術士の緊急伝令で飛んできたんです。たぶん近いうちに、書状が届くと思います」
魔術士。その言葉に、アインの言葉を信じる他無くなる。
「僕の方に、ルカ様をアドルンド城に帰還させるようにと連絡が入りました。――何かの間違いだとは思うのですが、行って潔白を証明するほかありません。今すぐ戻りましょう。ティータにはもう荷造りを頼んであります。ダンテ様とガリアン様にもすぐに出立できるようにと準備をお願いしてます」
「だが、どうしてまたそんな疑いが掛けられたんだ?」
アインは目を瞠って、口をつぐむ。
そして、苦々しげに口を開いた。
「……ユーキが、伝説の魔女と騙ったのを、王宮は本気に取ったみたいです。ルカ様が魔女と結託して、魔女を善としないオルガ様を――。って思ってるみたいです」
「なんだそりゃ」
ばかばかしいにも程がある。
しかし、だからといって聞かずにいると、その見解を助長させるような事になるだろう。
「ルカ」
ナゼットは相変わらずの仏頂面を見る。仏頂面だが、長年付き合っているナゼットにはわかる――あれは、悔しがっている顔だ。
「……兄様にしてやられたな」
「ルカ様」
不安げに見上げるアインに、ルカは淡々と答える。
「アイン、城へ戻るぞ。面倒ごとを即刻片付けて、ユーキの奪還に急ぐ。ナゼット、俺とアインは先に行く。他の者を頼む」
「ああ」
言うと、踵を返してルカはナゼットの横をすり抜ける。
有希は真っ暗闇にいた。
真っ暗闇なのに、水色のガラス玉のような瞳と、漆黒の瞳が有希を見つめているのがわかった。
有希は叫んだ。力の限り。
「何がそんなに、憎いの」
返答は無い。
「何がそんなに、悲しいの」
「どうしてそんな目をしているの」
暗闇に問いかけても、返事は帰ってこない。
「ねえ、どうして」
どうして、そんな目であたしを見るの。
そんな遠くを見るような目で、そんな憎むような目で、そんな冷徹な目で、そんな無関心な目で。
「やめて……」
お願いだから。その懇願は暗闇に埋もれて、どこにも響かない。
「そんな目であたしを見ないで!」
どうでもいいなんて顔をしないで。
「お願い……あたしを、見てよ」
矛盾しているということはわかっている。でも、そんな目で見られるなら見て欲しくない。けれど、見られないと自分の存在がわからなくなってしまいそうで。
「ねぇ」
そう言葉をこぼした途端、心臓辺りが火を灯す。火は瞬く間に燃え広がり、有希の胸を焼いた。
「あああああああああっ」
痛みに倒れ、身をいくら捩っても、有希を見る瞳は変わらない。
心臓がギリギリと痛む。
火はジリジリと焼けて、有希の胸元に花のつぼみを写す。
はっとして目を覚ます。心臓がどくどくと躍動している。
(……ゆめ……)
体中から汗が吹き出ている。
起き上がろうと動くと、胸元が痛んで顔をしかめる。
有希の頼りない胸元には、花のつぼみの形に焼かれていた。
(何の花だろう……)
魔女は皆、このような花の刺青が入るのだろうか。むくりと起き上がってぼうっとする。
喉がヒリヒリと痛んで渇いていた。何かを発そうとしても声が嗄れてしまっていて、掠れた吐息以外発せられなかった。
それが、自分がどれだけ叫んだのかということを思い知らせた。
身の焼ける思い。というのは、こんなにも痛いことなのかと。
身体がどこか熱っぽい。それがこの胸の痕が原因なのは言わずもわかっていた。
(……冷やしたい)
胸の痕は、火傷をしたように今でもジリジリと痛む。実際、焼け爛れた部分以外には水ぶくれが出来ている。
(ここ、どこ?)
辺りを見回すと、とても簡素な部屋だ。自分が寝ていたベッドと、傍に小さなテーブルがある。いつかみたケーレの牢屋ではない。
自分は焼き鏝を当てられたとき、あまりの痛みに気を失ったのか。そしたらここはオルガに連れてこられた場所のはず。
(なのになんでこんな、きちんとした部屋に?)
一体自分はどうなるのだろうか。だが、痛みで麻痺したような頭は何も考えられず、ぼんやりとしてしまう。
唐突に、扉がノックされる。有希は過敏に反応して、扉を見やる。
今度はどんな事をされるのだろうかと思うと、冷や汗が吹き出る。
(もう、いや……)
あんな思いはもうしたくない。オルガにも誰にも会いたくない。
外側から鍵でもかけてあったのだろうか。がちゃりと鍵が開けられる音がしたと思うと、控えめに扉が開く。そこから出てきたのは――。
(マルキーの王子)
水色の長い髪を後ろで一つにまとめた青年は、桶と水差しを持って現れた。
呆然としていると、有希が起きている事に気付いたのか、少し立ち止まる。だが、何も写していないような水色の瞳は、翳ることも無く、迷い無く有希の座っているベッドまで歩み寄る。
思わず有希は後ずさる。背中が壁に当たる。そのまま壁にへばりつく。
マルキーの王子はそれに目もくれず、ベッドサイドのテーブルに手桶を置いて、無言で手桶からコップとタオルを出すと、コップに水を注ぎ、残った分を手桶に入れる。
(敵意は、ないのかな)
ぼうっとそれを眺めていると、コップが差し出される。
「え……」
掠れた声は声にならず、有希は不思議そうな顔をして、マルキーの王子を見つめていた。
「ただの水だよ」
ぽつりと言われた言葉に驚く。
(喋れるんだ……)
今まで一回も口を開いているところなんて見たことなかった。相変わらず瞳はどこか判らないところを眺めていた。
彼はコップを持ったまま、別段有希が怯えるのも気にせず立っていた。
目の前に水が現れると、渇いていた喉がさらに欲してしまう。
(だけど、本当に水だけ?)
信じられるはず無い。この人は有希が焼き鏝を押し当てられているときも、ずっとこうやってぼんやりと見ていた。
(人を殺すのにも、躊躇しないのかな……)
だが、ひどく喉が渇いている。欲しい。喉がごくりと鳴る。
「…………」
コップをただただ見つめているだけの有希に気付いたのか、そして有希の考えている事にも気付いたのか、ついとコップに口をつけ、ごくりと喉を鳴らすと、もう一度有希に差し出す。
「ただの水だよ」
無機質に淡々と告げられる。疑った事を悲しむでもなく、怒るでもなく、ただ淡々としている。
有希は疑ってしまった事に申し訳ない気持ちを覚えつつ、コップに手を伸ばす。一気にあおると、喉にきんと冷えた水が流れ込む。
身体が水を求めるがままに、有希は飲み干した。
それを無表情に見届けると、今度は持っていたタオルを手桶に浸し、絞って有希に差し出す。
「……?」
「冷やすといい」
驚いて目を見開く。
(なんで?)
どうしてこの人は気遣ってくれるんだろう。
優しさや憎しみなど浮かばない、ただ無機質な人に見える。なのに確実に、やさしい。
だがひりひりと痛む辛さには勝てず、タオルを受け取って、胸元に当てる。ひんやりとしたタオルが火照った箇所を気休め程度に冷やしてくれる。
気持ちいい。心の中で呟くと、さらに淡々とした声が降ってきた。
「君の処刑の日が決まった」
「え」
処刑。今確かにそう聞こえなかっただろうか。
「十日後の朔の日の夕刻行われることになった。――今朝布令が出た。早くて三、四日で前線に情報が回るだろう」
今日の天気は曇り時々晴れ。そんな事を言うような感覚で、有希は宣告された。