21
満天の星のもと、ゆらゆらと、ランプが頼りなくゆらめいている。
有希はランプが作り出す陰影を、じっと見つめていた。
(また、わがまま言っちゃった)
思い出すだけで消え入りたくなる。だが、後悔はしていない。
(もう二度と、ティータにあんな顔させたくないなぁ)
この世界に来て初めて出来た友達だった。優しくて、優しくて、そして消え入りそうなほどに儚い少女。
彼女はもう床に着いている。皆に見守られながら。
有希は宿屋の屋根に居た。ランプを片手によじ登るのは骨が折れたが、瞬く星々を見れたから善しとした。
風に吹かれるたびに消えそうになるランプをよそ目に、屋根に倒れる。三角屋根は程よい傾斜で、夜空を見渡す事ができた。
とても心が凪いだ気分だった。
フォルに入ったときとは違う、もっともっと危険な場所に行くというのに、不思議と恐い感覚は無かった。
(牢屋を開けて、そのまま脱走だなんて。結構強引だなぁ)
他にもっと賢い案はないのかと、有希も色々考えたが、敵対国に居る以上、間諜でも居ないとひっそりと行うことなんて出来ないとわかった。
目を閉じる。この世界にやってきたときは春風がそよいでいたが、季節はもう初夏だ。ティータは「葉の季節よ」と言っていた。青々と茂った葉が、世界中に零れる季節だと。
元居た世界に思いを馳せる。両親はあの後どうなったのだろうか。大学生になりそこねた有希はどういう扱いになっているのだろうか。行方不明? 神隠し? それとも蒸発? いずれにしろあまり良い噂は流れなさそうだ。
友達は元気にしているだろうか。大学デビューするんだと張り切っていたあの子は。彼氏と遠距離恋愛になってしまったあの子は。
いろんな友人が浮かんでは霞んでゆく。彼女達は有希のことをどう思っているのだろうか。新しい生活に終われて、忘れてしまったのだろうか。
ふと目頭が熱くなり、じんわりと涙が浮かぶ。
――ちょうどいいじゃない。もしあたしが死んだら、戦争の火種になりかねないのが消えるんだから。……それに、こっちの世界で死んだら元の世界に戻れるかもしれないでしょ?
自分で言った言葉なのに、空しくなってくる。
(ちょっとだけ、否定して欲しかったな)
嘘でもいいから、必要だって言って欲しかった。
「違う」
本当は、役に立ちたかった。
何か、役に立つ事でこの世界に居る意味を、理由をつけたかった。喩えそれが、自分の命を落としたとしても。
「……何が違うんだ」
突然聞こえた声に驚いて目を瞠ると、ルカが軽々と屋根を上ってきた。
「……ルカ」
あまりにも軽々と上るその所作に、ちょっと憎らしいと思った。
「本当にお前はじゃじゃ馬だな」
鬱陶しそうに髪の毛を掻きあげる。月明かりに照らされた金色の髪が、さらさらとたなびく。思わず見とれていた自分にはっとして、目をそらす。
「うるさいわね」
ふいとそっぽを向くと、眼下には浮浪者が幾人か、路上で襤褸をまとって寝ていた。ふと、物悲しい気持ちに襲われる。
「……あたしも、ああなってたのかもしれないのよね」
ルカは有希の言いたい事を察したのだろう。「そうかもな」と言う。
「だが、お前の瞳の色は珍しいからな。浮浪者になるよりも売られているんじゃないか?」
相変わらずつっけんどんに、キツイ事を言われる。だが、それが何よりも真実に近くて、思わず笑える。
「売られるって。イシスみたいな変態狐に?」
「それか、誰かが言う「底意地の悪そうな人」にな」
あの兄様の事? 結局似たような状況になるじゃない。と、笑う。
「どうせ拾われるなら、どっかの第四王子様に拾われたいけどなー」
ぽつりと呟く。ルカが自分を見ているのがわかる。けれど、恥ずかしくて見返す事が出来ない。きっと真っ赤になっているだろう。だってこんなにも、あつい。
話をそらすように、空を見上げる。
「ほし、きれいねー」
この世界で、自分が置かれている境遇が、どんなに幸せなものだろうかということを思い知った。今まで両親のもとで過ごしていたあの生活が、どんなに幸せなものか、狂おしいほどに渇望している。
明日、もしかしたら自分が死んでしまうのではないかと思うと、何もかもが惜しくなってくる。それはそれは、泣きたいほどに。
有希がごちゃごちゃになりそうなほど感情を持て余しているというのに、星は何もしらない顔をして煌めいている。有希が色々ごちゃごちゃ考えているのに、知らない風に涼しい顔をしている、隣に座っている青年にそっくりだと思った。
どこかでまだ、石を切る音がしている。こんな時間まで働いていることに、少しだけ心が痛む。
音の聞こえるほうをぼんやりと見ていると、きらりと光るものが視界にはいる。見ると、ランプの光に反射した、有希の指輪だった。
(契約の証……か)
そういえばこの契約も、あの底意地の悪い兄への嫌がらせでしたものだったな。と、思い出す。
「ありがとね」
その契約がたとえ、有希のためでなかったとしても。
「契約してくれて。嬉しかった」
にっこりと微笑む。やっとルカの顔を見る事が出来た。でもなんだか今生の別れみたいだなぁと思う。
「……拾ってやる」
「え?」
ふいとそっぽを向いた顔が、ぽつり言った。
「またどこかに落ちたときは、俺が拾ってまた契約してやる」
ルカは遠いどこかを見ている。この青年が何を思っているのか、有希は出会ったときからさっぱりわからない。
「お前と契約した事。――軽いはずみでした事だが、後悔はしていない」
そう言った綺麗な横顔に、有希は見惚れる。きゅうっとしぼられるように心臓が痛む。
(なにこれ)
どきどきと心臓が高鳴る。何故か恥ずかしくてルカの顔を直視することができない。嬉しいはずなのに、何故か泣きそうになる。
(なにこれなにこれなにこれ)
自分の感情についていくことが出来ない。そして、視線が絡むルカに対して「見ないで」と思ってしまう。
「ふ、ふざけないでよ」
ごちゃごちゃした感情が、何もかもをわからなくさせる。自分が嬉しいのか、悲しいのか、後悔しているのか、寂しいのか。
「後悔してないとか。そんな風に言わないでよ」
(意味わかんない)
気が付けば、目からボロボロと涙が零れていた。
「契約してよかったって、言いなさいよ」
ルカが微笑んでいた。見たこともない笑顔だった。
「そうだな。退屈せずに済んでいるし――契約したのがユーキ、お前で良かった」
(何で笑うのよ。なにその言い草)
また心臓が跳ねる。ざわついたままの心は落ち着く事を知らずに飛び跳ねている。
「――バカルカ」
思わず笑えてきた。なんだか胸のつかえが取れた気がした。
それと同時に、泣きたいほど嬉しかった。