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怒った顔のルカに捕まった。
自分の気持ちに気づいてしまったら。
呆然とするしかできなかった。
だってどうしたらいいのだろう。
こんな気持ちを抱くのは初めてで、どうしたらいいのかなんてわからない。
ルカの眉間の皺が三割り増しで怒っている。有希の手首を掴んでぐいぐい引っ張る。
有希はぐずぐずと鼻をすすりながら、引っ張られるままに歩く。
「その言葉に詰まると逃げ出す癖をなんとかしろ。――探す方の苦労も考えろ」
「……ルカならすぐ見つけられるじゃん」
かくれんぼなんてルカとは一生できないだろう。――指輪ですぐに居場所がばれてしまう。
「そういう意味じゃなくてな……」
続きを言いかけて、何かを諦めたようなため息がもれた。
「…………心配するだろう」
握られた手に力が込められる。
まるでその手に有希の心臓ごとつかまれたようだ。
「うぇ、あ、あ……ごめん」
かぁっと顔が赤くなる。
手なんて、なんどもなんども繋いできた。
なのに突然、気づいてしまったばっかりに。
――どうしてこんなにも、違う心持ちになるんだろう。
どきどきし過ぎて心臓が痛い。
「ど、どこ行くの?」
ざかざかと歩き続けるルカに問いかけると、ルカの足が止まる。止まって、ぐるりと有希を振り返る。振り返って、怪訝そうな顔を浮かべる。
「アドルンド城だ……さっきから変だぞ。――少し休むか」
「ど、どっこも変じゃないってば! 行こうよ」
「いや、少し休む。――だから早くその顔をやめろ」
「その顔……って」
「今にも泣きそうな顔をしている――実際、さっきまで泣いてたからな」
「な、泣いてなんてない!!」
「泣いてただろう」
泣き顔をみられた。というのもひどく恥ずかしい気がして、またぼっと顔が赤くなる。
「なんで泣いた」
「!!」
言えるだろうか。
あなたに恋をしているので傍にいたいのに、あなたが日本に帰れと言ったから。だなんて。
――言えるはずがない。
「べ、べつに……」
はぁ、とルカがため息を吐き出す。
「またそうやってお前はため込む。何度も言っているだろう。お前が考えている事をため込むとロクなことにならないと」
掴まれた手を引き上げられる。
「言え。なにがあった」
「や、やだ」
「ユーキ」
ルカを見上げる。
どうして今まで気づかなかったのだろう。
顔を見つめるだけで、こんなにも胸がときめくのに。
見つめられるだけで、こんなにも泣きたくなるのに。
ずっとずっと、傍に居たいのに。
涙が、すうっと流れる。
「やだ。見ないで……」
雄弁な涙が、語ってしまう。
ずずっと鼻をすすり、消え入りそうな声でもう一度希う。
「お願いだから、見ないで……」
「…………ユーキ」
ルカが言葉の続きを発しようとした刹那、ざわりと辺りの空気が変わる。
ルカにもの凄い力で引っ張られ、ルカの後ろに回される。
先ほど有希が立っていた場所の後方から、紫の靄が出ている。
(また……)
ルカが刀身を抜いて構える。靄の中から異常に腕の長い猿が現れた。
「ここから動くな」
そう言ってルカは疾走する。ルカの存在に気づいた猿は牙をむき出しにして腕を振り上げる。紫色の鋭い爪がきらりと光る。
ルカの髪の毛がさらりとたなびく。
腕をするりとかわすと、伸びきった腕に剣を振り落とし、腕を落とす。猿がつんざくような叫び声をあげる。
一連の動作を見ながら、有希は手探りで弓と矢を掴む。――が、有希の懸念など無用だったようで、あっという間にルカは猿を屠った。
猿は絶命し、やがてその躰は霧のように消えてゆく。
ルカが剣を納め、疲れたとでも言うようにため息をひとつ吐き出して、踵を返す。
「っルカ!」
その直後、ルカの後ろの霧の中から、もう一体猿が出てきた。
猿は跳躍し、のばした前足をルカの背中に向けて振りおろしている。
とっさに弓を構え、矢を放つ。
矢は猿の肩の付け根に突き刺さった。瞬時に振り返ったルカは抜刀し、腕ごと猿の首を刎ねた。
(良かったぁ……)
安堵の息をもらし、弓の端を地面に着ける。
――その瞬間、後方で何かが吐息する音が聞こえた。
それと共につま先から頭のてっぺんまでぞわりと鳥肌が立つ。
――――これは。
どうやら有希の後ろにも居たらしい。ルカが珍しく表情を崩している。
「走れ!!」
ルカの叫び声が聞こえる。
弓を地面に突き立て、スキーのピッケルのようにぐっと押して前に向かう力に加える。
一歩、二歩。三歩目の足を出した刹那、背中にどん、と押されるような衝撃が走る。
膝から力が抜けて四歩目の足と共に地面に倒れる。倒れゆく途中、ルカが剣を投げるのが見えた。
次には体の右側と右頬に鈍痛が走り、そのまま意識を失った。