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春は一瞬の寒さと一緒にやってくる。
風が吹き雪が溶ける。風は雪とふれあい冷たくなる。
そんな冷たい寒さがやってくると、いよいよ春になる。
地面に所々残雪はあるが、半分以上は土が見えている。
風がひゅうと吹き、有希の頬を冷やす。肩をすくめて、かぶっている帽子の耳元を引っ張った。
目の前には、アドルンドの王城が見えている。
「…………」
ちらとルカを見ると、相変わらずの何を考えているのかわからない瞳で王城を見上げている。
着いてしまった。
心の準備もできない間に着いてしまった。王妃に会ったら、なにをどう切り出そうかも考えていないし、オルガーに会った場合も同様だ。
「そういえば」
リフェノーティスの言っていた言葉を思い出す。
「ルカ、死んじゃった事になってるんだよね? どうやって中に入ればいいかな……」
「大丈夫だ」
「え?」
ルカが馬首を操り、王城とは別の方向へ向かう。
「ル、ルカ?」
「抜け道、抜け穴というのはどこにでもある――昔、よく城を抜け出したからな。敷地内に入るのは簡単だ。――問題は、どうやって城内に入るか、王妃と謁見をするかだ。きっと王妃はまだ快癒していないとか言って引きこもってるとは思うんだが……」
思案顔でルカが黙りこむ。
「王妃は私兵ばかり使っているからな……いざとなれば強硬手段を取っても……」
「きょ、強硬手段って……」
「人質を取って脅す。などだな」
「そんな乱暴な」
「王妃に会うんだろ。――そのためには乱暴もクソもあるか。目的だけを考えろ、手段は選ぶな」
「…………うん」
(人質……か)
それも、やぶさかではないのかもしれない。けれども。
人質になった人は怖い思いをするだろうし、自分自身を責めてしまうかもしれない。
「…………できることなら、いやだな」
「甘いな、お前は。だからこそ――るべきだな」
「え? 何て?」
「帰るべきだ、と言ったんだ」
「帰るってどこに――――っ!!」
元の世界に――日本に。ということか。
「なん……で?」
「お前が暮らしていたのは、争い事のない、平和な国だったんだろう。――もしこの世界の均衡が取り戻せたとしても、争いは消えないだろう。――それはお前にとっても危険なことだ」
「…………っ」
「お前の能力からして、お前の存在は争いが起きたら切り離せないものになるだろう。ならそうなる前に――」
「やだ!」
どん。とルカの背中を思い切り叩き、馬から飛び降りる。
足に衝撃があって、足首から膝までじいんとしびれたが、体勢を立て直すと走り出す。
森林の中、木々の間を縫うように走る。右に、左に、また左に。
そうしてぜいぜいと息が切れ、立ち止まると、大粒の涙がぼろりと落ちた。
荒い息を吐きながら、ぼろぼろと泣いた。
大きな木に背中を預け、嗚咽を漏らす。
「~~~~~~っ」
ずるずると座り込み、両手で顔を覆う。涙は止まらない。
「――って言ったじゃん」
涙声が、ふるえる。
「お誕生日会してから考えろって、言ったじゃん!! なのになんで!!」
聞きたくなかったのに、言ってほしくなかったのに。
帰れ。という言葉だけは、聞きたくなかった。
いちばん、聞きたくない言葉だった。
「甘いってなに!? 考えが甘くちゃここにいちゃだめなの? なんで? なんでよ! あたしは……ルカの傍に居たいのに!」
言って、はっと息を飲んだ。
『傍に居てくれっていったのも、そういう意味でだ』
また、涙がこぼれた。
先ほどとは、少し違う意味の。
無意識のうちに、ほろほろと流れる。
ルカに触れるたび、触れられるたび、心に宿る小さな喜び。
言いようのない、持て余した気持ちに名前が付くのなら。
「パーシー……」
あのときは困惑しか浮かばなかった。
けれども今は、申し訳なくて仕方がない。
知ってしまったのだ。あのときの彼の気持ちを。
だって今なら、痛いほどによくわかる。
涙がほろほろと流れる。
それはまるで、今まで気づかなかった有希の心に体が訴えかけてきているもののようだ。
「うそ……」
いつから。
いつから。
「あたし…………」
顔を覆う手の内の、片方の中指がほの紫に光る。
傍にいたいと思う気持ち。
守りたいと思う気持ち。
苦しんでいる事から救いたかったと思う気持ち。
彼のやりたいということは叶えてあげたいという気持ち。
触れられるたびに、どきどきしてどうしたらいいのか分からない気持ち。
悲しんでいる姿を見ると、慰めてあげたいと思う気持ち。
すぐ傍に彼が居ることが嬉しくて、でも近すぎるのは恥ずかしくて。
その持て余している気持ちにな目を付けるのなら――。
「あたしは……ルカに、恋をしているの……?」
また、涙がはらりとこぼれた。