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ルカと二人きりの旅。
リビドムからマルキーへ来るとき、皆とはぐれてしまったこと以外では、初めての事かもしれない。
雪が降り積もる中、馬は黙々と往く。
これは最後の頃の雪だろうとルカが言っていた。
もう季節は、冬が終わりを告げようとしているのだ。
冬が終われば、花の季節――春が来る。
春が来たら、一年になる。
(一年かぁ)
長かったような、あっという間だったような。
本来であれば有希は大学生になっていた筈で、学校に通っていた筈で。
アリドル大陸なんて知らない筈で、ルカとも出会ってない筈で――。
(もしこちらに来なかったら)
揺れる身体は、伸びた髪をゆらゆらと揺らす。躍る毛先を見つめながら、ほうっと息を吐く。
(あたしは大きくならなかったのかな。――パパの言うとおり)
もし、こちらに来ていなかったら。
そんなことを考えるのは無駄な事なのかもしれない。
現に有希はこちらへ来たし、両親の想像通り成長もした。
――有希がこちらへ来ること。それは、そうなるべくして起きたこと――運命、というものなのだろうか。
(どこから、どこまでが)
今現在、この世界を整える為に、正すために有希は動いている。
それも、なるべくしてなったものなのだろうか。それが、有希への使命なのかもしれない。
(なら……)
心の中でつぶやいて、はっとしたようにかぶりを振る。
ここ最近の自分が変だ。
変なことばかり考えてしまう。
運命だとか、使命だとか。
本当なら、そんなこと考えずに、やるべきことを一生懸命やればいいのに。
アドルンドに行って、王妃に象徴をどうしたのか聞くこと、そして取り戻す事だけ考えていればいいのに。
なのになのに。
見当違いな事ばかり考えてしまっているのだ。
――――ルカと契約したのも運命なのだろうか。などという事を。
(ああもうやだ)
しかもそのことを考えるだけで顔が熱くなる。
心臓もどきどきと脈拍が早くなり、心をかきむしりたくなる。かきむしりたくなるほど、むず痒い。
むず痒くなって、今ルカに回している腕を離してしまいたくなるのだ。
成長した有希はルカの前に座ってしまうと、ルカの視界を狭めるらしく、今回はルカの背中にしがみつく形で乗馬している。
別々の馬に乗ればいいのにと提案したが、なぜかその案は却下された。
(もうやだ)
はぁっとため息を吐いて、頭をルカの背中にごつんとぶつける。なんでこんな気持ちを持て余しているのかわからなくて、ちょっとした八つ当たりだ。
「疲れたか」
頭をぶつけたまま、もたれるようにしていると、声がルカの身体で響く。響いた声と、外から聞こえる声とで二重に声が聞こえる。
「ううん……そうじゃないの」
「なら何だ」
「…………考えちゃうの。これからのこと」
「アドルンドに着いてからの事か?」
「ううん、それよりもっと先の事。この世界をちゃんと元通りにできたら。…………その、後のこと」
ルカはしばらく押し黙り、ややあって低い声で話しはじめた。
「あのマルキーの弟王子の事か?」
「え、パーシー? なんでパーシー?」
「………………いや、何でない。その後がどうした」
「――――あたしは、どうなるのかなって」
「――あぁ」
いつかルカに少しだけ言った事があった。リビドムの王女として振る舞うかどうか相談したときだ。
「今考えても埒が明かないし、本当はそんなこと考えている場合じゃないっていうのはわかってるんだけど、どうしても考えちゃって……だって、だって、もう一年も経つんだよ? 一年あったらあたしは大学二年生になってるし、生まれたての赤ちゃんは一歳になるんだよ?」
「…………そうだな」
「もしあたしがこの世界に来たことが運命なら、もしこの世界を元に戻すことが使命なら、あたしは使命を終えたらあっちの世界に戻るのが運命なの?」
「…………そうなのかも、しれないな」
「そうかもしれないってなによ! だってそうしたらあたし、この世界にいられなくなっちゃう。――ルカとも、離ればなれにならなきゃいけないんだよ? ――そんなの嫌だよ」
「…………」
「もうよくわかんない。あたしがルカと契約したのも運命なの? 今こうやってルカと一緒にいるのも決められてる事なの? じゃぁあたしがルカと出会ったのも!」
出会いさえも、決められた事なのだろうか。
それは、
それは、あまりにも酷だ。ひどい話だ。
「だって! そしたら!」
「ユーキ」
だって、そしたら、有希の今抱いている気持ちすら、誰かに決められたものなのだろうか。
もう何を言いたいのかわからない。わからない気持ちをこすりつけるように、ルカの背中に顔を埋める。
「……ユーキ」
いつの間にか、馬が動くのをやめている。
「ユーキ」
ぎゅっと腕に力を入れ、ルカにしがみつく。
「…………やだ」
「………………」
きっとルカは、正論を言う。
それはとても正しいことで、有希の気持ちなんてお構いなしなものだ。
そんなのは聞きたくない。
ルカの口から、離ればなれになってしまうことを仕方がないという言葉だけは聞きたくない。
「…………絶対やだ」
「…………、というものは運命という言葉が好きだな」
「え?」
「ユーキ、苦しいから離せ」
「え、あ、ごめ……」
そう言って手をゆるめた瞬間、額が何かに擦れた。
それはルカの服で、気づいた時には有希はルカの小脇に抱えられている体勢になっている。ルカの腕が有希の首に回っていて、身動きがとれない。
「……っ!?」
「笑え」
見えるのは馬の鬣と横腹。ルカの声は頭上から降ってくる。
「……え?」
「笑えと言ってるんだ」
「な、なん」
「いいから、笑ってみせろ」
(一体何なの)
言われるまま、口角を上げて笑った顔を作ってみせる。
「…………」
どうやらルカには不満だったらしい。
「だって、おもしろくもないのに笑えないよ」
「…………いいから、お前は笑ってろ」
「そんな、横暴な……」
「ユーキ、一年と言ったな。――なら、十九になったのか?」
「え?」
言われてみれば、有希の誕生日の頃はおそらく過ぎている。
「――そうかも。あたし、十九になってるみたい」
「そうか――ならこれは、取り急ぎの誕生祝いだ」
「え?」
影が降ってくる。
額に唇が。そして髪に。最後に拘束のほどかれたうなじに降ってきた。
「祝福だ。――色々な事に片が着いたら、盛大に祝う。――今はそれだけでいいだろう。その後の事は、その後決めたらいい」
行くぞ。ルカはそう言うと有希の腕を掴んで無理矢理ルカの腹の前で組ませる。
ルカは手綱を引き、馬は進み始める。
だが、有希の頭は動かないままだ。
頭はまるで働かないのに、心臓だけがただ早鐘を打っていた。
唇を落とされたところが、ひどく熱い。