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一つの物事が決まってしまうと、あれよあれよという間にすべてが進む。
リビドムを返して欲しいという要求はパティメートに呑まれた。
今度は、国の象徴というものがアドルンドにあるかもしれないという事を耳にした。それが国を国としているのだと。
その所為で世界が乱れ、ヴィヴィの言うように崩壊するというのであれば、それを取り戻さなければいけない。
城下に魔物が出たという話も耳にした。
時間が刻一刻となくなってきているんだろう。
だから有希も急がなければならない。
アドルンドに、行かなくてはならない。
(でもその前に)
彼と話をしなければならない。
(だけど)
どう話したらいいのかわからない。なんと言って切り出して、なんと話せばいいのだろうか。
話すべき事を、有希自身がわからないでいるのに。
(でも)
彼は言ってくれたのだ。
傍にいてくれと。
有希を必要としてくれたのだ。。
けれどもそのような時間を設ける間もなく、出立の準備が出来てしまった。
――あれから一度も、彼と顔を合わせていない。
防寒着を纏い、用意してもらった旅具と弓を持ち、長い間逗留した屋敷を出る時分になってしまった。
話をしてやってくれ、とパティメートに言われたのに。
「……………」
屋敷の扉が開かれる。細かな雪と風が入ってくる。
外には馬が一頭。屋敷の人間に繋がれた状態で待っているのが見える。
「ユーキ」
有希のためらいに気づいたのか、ルカに名を呼ばれる。
「うん……」
別に今生の別れでもないし、またマルキーに来る機会はある。だからその時にこたえよう。
そう言い聞かせても、もやもやは晴れない。なんだか違うと心が叫ぶのだ。
それでも、有希は進まなければいけない。
大きく深呼吸をひとつして、顔を上げる。
まっすぐ前を向いて、一歩足を踏み出す。
「ユーキッ!」
目の前の扉から、薄着のままのパーシーが飛び出してきた。
どれだけ全力疾走してきたのだろうか。肩で息をしている。
「お前が……今立つって……聞いて……」
「……パーシー」
会いたかった。話をしたかった。
会いたくなかった。話をすることから逃げたかった。
二つの感情がごちゃ混ぜになったままの有希は、その場に立ち尽くして、パーシーを見つめることしかできなかった。
パーシーが有希を見る。見て、ぶはっと息を吐き出して笑った。
「っんて顔してんだよ」
「――え?」
「目ン玉取れそうな顔してたぞ。――アンタに言いたいことがあって来た」
ふぅ、と息をついて、パーシーはちらと有希の後方に居るルカを一瞥し、有希に向き直る。
「俺は、アンタが好きだ」
「……っ」
――今、なんて。
頭が真っ白になる。
「あん時傍に居てくれって言ったのも、そういう意味でだ。でもユーキ、アドルンドに行くんだろ。……アンタにも俺にも、やることがある。――だから今は何も聞かない」
しんと、空気が固まる。
「……聞かないから、何もいわないでくれ」
そんなことを言われたら、有希に言える言葉は一つしかない。
「う……」
言いかけた途端に、ズ、という音が地面から聞こえる。
「!」
気づいた時には足下が揺れ、めまいを起こしたような感覚におそわれる。
建物がぎしぎしと音をたてている。
窓にはめられたガラスがバリバリと音をたてて揺れている。
「ユーキ!」
ルカの声と共に額に手が回り、後方に引っ張られる。
後頭部がぶつかったかと思うと、そのままルカの胸にすっぽりと包まれる。ルカの腕に視界を覆われる。
揺れはものの数秒でおさまった。
「…………あ、ありがとう」
「…………」
「ル、ルカ?」
おさまったけれど、有希は未だルカの胸の中だ。
顔の目の前にある腕をぐっと掴んでみるが、びくとも動かない。
「ね、ねぇルカ? もう大丈夫だよ?」
心臓の音が聞こえる。
とくん、とくんと規則的な音が。
ルカの腕の中は暖かくて、気持ちよくて、このままでいるとだめだ。
「ルカ、ルカってば」
「………………」
「………………」
そういえば、パーシーの声も聞こえない。
「ぱ、パーシー、大丈夫だった?」
見えないながら声をかけると、ひどく不機嫌な声が聞こえる。
「――――あぁ」
「?」
直後、ルカの腕に力が込められる。
「!?」
どきんと心臓が跳ねる。
「る、ルカ!」
もごもごと身じろぎをするが、拘束はびくともしない。
――これではまるで、抱きしめられているようではないか。
しばらくの沈黙の後、真っ暗闇の中から、パーシーの声が聞こえてきた。
「――アンタ、何なんだよ」
「……さぁ。お前には関係ないだろう」
「……ざけんなよ」
片腕の拘束が解かれる。視界が晴れた。と、思った瞬間に有希はルカに右腕を取られる。右腕を前に出す状態に固定される。
もう片方の腕は、がっちりと有希の肩を捕まえたままだ。
「これを見ればわかるだろ?」
有希の右手に光る指輪。そしてその有希の腕を掴むルカの手にも同じものがはまっている。
「る、ルカ」
なぜかかっと顔が熱くなる。
「だから何だっつぅんだよ」
「さぁ。自分で考えれば良いだろう」
「――っ俺はアンタが気に入らねぇ」
「奇遇だな。俺もだ」
「え、え?」
パーシーもルカも不機嫌そうに、にらみ合っている。
「ユーキ、話は終わっただろう。――行くぞ」
「え? え?」
ルカに引きずられるように歩く。
パーシーの横を通り抜けて、ルカが扉を開ける。ひゅうっと冷たい風が吹き込む。
「ユーキ!」
パーシーの声で、足が止まる。有希を引っ張っているルカもまた、必然的に足が止まる。
「――これもノーカウントだ。だから……また会いに来い」
「う、うん」
風が吹く。
風は有希の髪を空に放るようにぶつかり、長い髪は雪とともに舞う。
パーシーが目を眇めてこちらを見ている。
有希はルカに引かれて歩く。
なぜだか心臓が痛い。




