162
ベッドに横になり、有希は目を閉じる。
マルキーへ来てからずっと、あわただしくてめまぐるしい。
昨日も、今日も、有希は泣いたり怒ったりしてばかりだ。
身体はぐったりと重く、睡眠を欲しているのがわかるのに、何故だか眠気はやってこない。
明日はパティメートの元へ行き、マルキーの人々の十日熱の治療に行くというのに。
右手の中指に左手を這わせる。指輪をなぞるように弄ぶ。
(お姉さん……オルガ……)
有希が途中で泣いたからか、ルカは詳しく話してくれなかった。
彼女は死ぬのをわかっていながら、仕方がないと受け入れて死んだ事。それがどれだけルカを傷つけたのか。
見た事も無い姉に腹が立ったが、今考えてみればいくつも疑問が浮かぶ。
(どうして、お姉さんは死んでしまったんだろう)
オルガーの部屋で、オルガーに殺されたという。
(どうして、オルガの部屋に?)
ルカがダンテの元へ行っていた間、姉はオルガのところにいた。
(それは、侍女として? ――なら、オルガに仕えている時に)
殺されてしまったのだろうか。
そう考え、違うという事を思い出す。
(ルカが戻ってきて、契約してからの事だもん。その時にはもうルカに仕えてる事になってるよね。…………なら、なんで)
「なんで、部屋に行ったの……?」
部屋に行く。
暗い廊下。
開いている部屋の扉。
中から現れた女と、女に抱きつかれてはにかんでいる男の姿が脳裏に浮かんだ。
途端、――こめかみの奥に、痛みが走った。
「っつう……」
痛みを緩和させるように、両手でこめかみを揉む。
(……いまの、なに?)
頭痛は一瞬の出来事だったようで、もう痛くない。余韻をかき消すようにこめかみを揉み続ける。
見覚えの無い景色だった。見覚えが無いはずなのに、どこかで見た事がある気がする。
恋人同士の逢引現場のようだった。
顔も思い出せないが、女はとても幸せそうな表情を浮かべていた。
「…………ちょっと待って」
こめかみを揉む手が止まる。
「あい…………びき?」
ことんと、何かが嵌るような気がした。
「いや、でも王子と……そっか。お姉さんは王の子供じゃないから、オルガと血が繋がっている訳じゃないんだよね。なら――」
そういうこと、なのだろうか。
「でもでも、だからってどうしてオルガが。……殺してしまうほどの何かがあったっていうの?」
姉は知っていたという。それは、その『何か』によって殺められてしまうこと。
姉の片思いだったのだろうか。
その想いが行過ぎての事だったのだろうか。
(オルガ……)
最後に会った彼は、とても寂しそうな顔をしていた。
有希に焼き鏝を当てた残忍なその人と同じとは思えないほど。
(……この花)
服の上から、胸元に手を遣る。
リコリス、と呼ばれた花。聞き覚えはあるが、どの花かわからない。茎から控えめな蕾が三つ伸びている。花が咲いていたならわかったかもしれないのに。
ルカの姉のものと、同じ花。
「……同じ」
どうして、知っているのだろう。
ルカは姉弟だから知っていてもおかしくない。
でもオルガーはどうして判っていた?
――見た事が、あるから。
「それって……………うそ。うわ、わ、わあ、わあ!」
がばりと起き上がり、ベッドから降りる。
完全に目が冴えてしまった。
「ルカ、ルカ!」
明かりのない部屋の中を、両手を前に突き出しながら扉を目指す。
扉の取っ手を掴み、開ける。隣の部屋の行き、扉を乱暴にノックする。
「ルカ! ねぇルカ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど!」
様子を見るように手を止めると、扉の奥で動く音が聞こえた。
しばらく待っていると、扉が開き、ほの明るい部屋からルカが出てきた。
「もう少し静かにできないのか」
そう言って、有希の姿を見て大仰にため息を吐いた。
「少しは恥じらいを持て」
「え?」
有希は自分の格好を検分する。ロッティから借りている寝間着のロングドレスだ。厚手のものだが、それ一枚だと肌寒い。上着を着るのも忘れていた。
「ユーキさん、どうかしましたかー?」
とんとんと階段を上る音が聞こえる。次いで、ロッティが階段から顔を覗かせる。その途端、ロッティの顔がぼっと赤らんだ。
「す、すみません!! あ、わ、わたし、そういうつもりなくて! ――すみません、私何も見てないです! 見てないですから、どうぞお気になさらず!!」
そう言って手を顔の前でぶんぶんと振ると、ばたばたと音を立てて階段を降りていってしまった。
「…………なにが起きたの?」
「話があるなら聞く。いいからお前は着替えて下に来い」
「え? 着替えるの? これからどこか行くの?」
ルカがまたため息を吐き出した。