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重くて苦しくて、すごく言いにくい事を言いに来たはずなのに、何故か三人――気を利かせたロッティが、パーシーの様子を見ると行って出て行ったので――花茶を飲みながら話をしていた。
有希が話をしている間じゅうずっと、パティメートもルカも無言だった。パティメートは花茶を啜ったり、有希を見たり、外の景色を見たりと、話を聞いているのか聞いていないのかわからなかったが、不思議と不安や怒りは起こらなかった。
有希の目の前にある花茶が口をつけられるようになるほど冷め、それらを全て飲みきる頃に有希の話が終わった。
ヴィヴィと出会った事、再会した際にこの世界を元に戻すように言われた事。――戻すような事は、リビドムくらいしか見当がつかない事。十日熱の事。
パティメートはぼんやりしたまま、ずっと空のカップを持っていた。
「…………パティ?」
小首をかしげ、顔を覗き込むと、視線が合う。視線があってから、パティメートが口を開くまでまた少し時間が掛かった。
「わかった」
パティメートはそれだけ言った。
「え?」
「ユーキはリビドムの返還を願っているんだろう」
「う、うん」
「わかった」
(わかったって、何が――)
聞こうとしたところで、扉が乱暴に開いた。ぶすっとしたパーシーが現れた。
「パティメート様」
パーシーの後ろからついて来ていた騎士が控えめに言う。
「ロッティを」
パティメートが言うと、騎士は勢い良く返事をして扉の向こうに消える。
ぶすっとした顔のまま、パーシーはソファへと歩いてくる。そして乱暴にパティメートの隣に座った。それと同時にロッティが部屋に入ってくる。
「茶を」
「は、はい」
元気良く返事をし、ああでもお湯がないかも、というロッティに、騎士が持ってきますと言って部屋を出ていった。
「…………悪い」
小さな小さな声が、パーシーから発せられた。有希の顔が自然とほころぶ。
「痛むか?」
「ううん、大丈夫」
若干まだひりひりと痛いし、口の中が少し切れてしまったようで花茶が沁みたが、それを口に出すのは野暮というものだろう。
「悪ィ……」
ひどく居心地悪そうに、パーシーが呟く。パーシーはちらっとパティメートを見て、そしてまたふいと視線を逸らす。
それだけでこの二人の距離がわかってしまう。
パーシーの居心地が悪いのは、きっと有希を叩いた事だけではないんだろう。
「パースウィル」
「んだよ」
条件反射のように、とがった言葉が発せられる。それに気付いたパーシーはきまりが悪そうな顔をしたが、パティメートの顔は微動だにしない。
「戦争を、止めたいな」
「だから! ずっと言ってんだろ」
「――ユーキ」
「は、はい」
「父王が戻られたら――私がやろう」
「……え?」
「それで叶う」
「兄貴、そんなんどうやって」
「ユーキ」
どこまでもパティメートはパーシーを無視している。
「え?」
「オイ!」
「国が、何をもって国と定めているか知っているか」
何をもって国と定めているか。
「え……と、国民が居て、王が居ること?」
返事がない。パティメートは空になったカップを眺めていたかと思うと、カップを置いて立ち上がる。
「ユーキ」
「は、はい」
「ユーキと会ってから、私は変われた気がする」
無機質な声色だったが、有希は目を丸くした。目の前のパーシーも、驚きで眉がつりあがっている。
「私は――――この国が好きなんだと思う。気付いたのは、ユーキのお陰だ」
そう言うパティメートはやっぱり無表情で。
「パ――」
名前を呼ぶ前に、扉が開いた。
「パースウィル様! パティメート様!」
外に出ていた筈の騎士が慌てて入ってくる。
「お戻り下さい! リビドムが、リビドムの生き残りが、城の近くまで来ています!」
それまで黙って一言も発せずに居たルカが、舌打ちをした。
「ルカ、心当たりあるの?」
「いや、だが――大方、あの魔術士だろう、義足の」
(リフェ?)
リフェノーティスがどうして。聞こうとしたが、パティメートに遮られる。
「ユーキ」
「は、はい」
「誓おう。だからユーキ、あの場を。――そして明日、また来て欲しい」
パティメートは遠い目でどこかを見つめている。まるで、遠くに居るらしいリビドムの人たちが見えているかのように。
脈略の無い言葉が何を意味を示しているのか、何が起こっているのかもよくわからないのに、パティメートの言葉は疑問も無くすうっと入ってくる。根拠がないのに、確信めいたものを与えてくれる。
「……わかった」
「オイ、ユーキ、アンタも何考えてんだよ!」
「パースウィル、お前も。ユーキの役に立つ」
「~~~~っだよ! アンタら!」
パーシーの口調は荒々しいのに、どこも怖くない。パティメートが現れる前までの毒々しさは消え、今は『弟』の顔になっている。多少ぎこちないやりとりが、有希の口元をほころばせる。
(…………そういえば)
「パティ、よくあたしだってわかったね。――ロッティに聞いてたの?」
「何か、変わったのか」
ロッティを見ると、きょとんとしている。パティメートも、目を瞬いている。
(…………流石って、言うべきなのかなぁ)
「ユーキは何も、変わらない」
水色の瞳と視線がからむ。くすぐったいような心地よさがある。
「ありがとう。パティは変われるといいね。――――あたしいつか、パティの笑った顔が見てみたいな」
さらさら流れる水のような髪、プールに反射したような水色の瞳。陶器のような白い肌をした青年が微笑んだら、それはそれは眩しくて美しいだろうと思う。
パティメートは目をぱちぱちと瞬かせ、そして目を細めた。
「努力しよう」
リビドムの兵たちがいると言われた場所には、リフェノーティスをはじめ見覚えのある人たちが居た。その前にはマルキーの兵たちがいる。見るからに剣呑な雰囲気で、お互い今にも切りかかりそうだった。
「リフェーッ! だめ!!」
ストップ、ストップ。そう大声を出すと、息を吸い込んだと同時に雪が口の中に入ってむせる。何度か咳を繰り返し、なみだ目になって顔を上げると、リフェノーティスがこちらを凝視したまま固まっている。
「…………ユー……キ……?」
こくこくと頷く。走り続けて息が切れていたところに呼吸が上手く出来なかったせいで声が出ない。
「歩けるか」
有希と同じように走っていたはず――確実に有希より荷物を多く持っていて、重装備をしていた――ルカは、顔色一つ変わらず、涼しい顔をしている。
「ん……」
だいじょうぶ。という意思表示で頷くと、目の前に手が差し出される。
「なら歩け。お前しか止められないんだ」
「……ん……」
差し出される手に手を重ねる。重ねた瞬間手をぎゅっと握られ、強い力に引っ張られる。
「お前らも、落ち着けっつうの。まだ何されたワケでもないだろうが!」
有希よりも早くみなの所へ着いたパーシーが、マルキーの兵たちを叱っている。
ルカに引っ張られながらリフェ達のもとへたどり着く。雪が降っているのに、首筋や額から汗が吹き出している。
「だめ……たたかっちゃ……だめ……」
「ユーキ、あなた……」
ぜいぜいと息を整え、リフェノーティスを見つめる。リフェノーティスは何故だか泣きそうな顔をしている。
「……なにしに、きたの……」
跳ねる肩を宥め、深呼吸をしてもう一度問いかける。
「リフェ……何しに、来たの?」
リフェノーティスの眉間に一瞬皺が寄った。
(どうして、来たの……?)
「あたしのこと、信用できなかった?」
「っ!! …………違うわ」
(じゃあ、どうして?)
立ち尽くしている騎士達を見回す。皆、見知った顔だ。それぞれがそれぞれに、神妙な顔を浮かべている。――皆、有希と目を合わせようとしない。
それがまた悲しくて、先ほどとは違う理由で心臓が鼓動を早めていく。
「いつ、出てきたの?」
そのうちの一人に声を掛ける。声をかけられたと気付いた騎士が、うろうろと視線をさまよわせたあと俯き、小さく答えた。
「ユーキ様方が出られた、翌日です」
翌日。
その言葉が突き刺さる。やりきれない悔しさがわき出て、皆をねめつける。
「……そんなに、あたしが信用できないの!?」
あのとき、どんな覚悟を持って言ったか、この人たちは通じなかったのだろうか。
かなしさとむなしさで涙がこみ上げそうだったが、腹筋に力を入れて食いしばる。
(今、泣いちゃダメ、泣くな、我慢しろ)
瞬きを数度繰り返し、熱くなる目頭から熱を逃がす。
つとめてゆっくりと息を吸い込み、ぐっと腹に力を込める。
「………………パティ、パティメート王子に、マルキー王へ掛け合っていただくようお願いしました。パティメート王子は、了承、してくれました」
突然、右手をぎゅっと握られた。見ると、まだルカと手を繋いでいた――そして有希自身が信じられない強さでルカの手を握っていたようだ。有希の手に筋が浮き出している。
ルカの顔を見上げたが、ルカは相変わらずの仏頂面で、リビドムの人たちの顔を眺めている。
――握る手は暖かくて、力強い。
まるで励まされているみたい。
「…………だから、ここはあたしの顔を立てて、退いて」
皆を見据えるが、反応は無い。
「リフェ」
「はい」
「マルキー王が戻られるまでの間、あたしはこの国の人たちの十日熱の治療に尽力しようと思ってる。――手伝ってくれるよね」