146
ルカが目を見開いて有希を見ている。そして自分の身体を見て目を瞠る。服の腕をまくり、腕から傷が消えているのを確認してからもう一度有希を見た。
「……話には聞いていたが」
「え、…………なんで」
おろおろしていると、腕を掴まれた。
「ユーキ、アイツの所へ行け。十日熱の時のように触れてやれ」
「えっ」
くいと顎で示す方向にはルカと一緒に来た騎士が横たわっている。
「う、うん!」
ばたばたと走り、騎士の横に座り込む。騎士は眉間に皺を寄せ、苦しそうにあえいでいる。――発熱もしているらしい。
「だ、大丈夫ですか……?」
手をそっと伸ばし、騎士の頬に触れる。触れると、触れている場所も白く発光した。
そしてそれはじわじわと広がり、やがて騎士の身体をすっぽりと包んでしまった。
(うわ……)
しばらく光に包まれていた騎士は、やがて発光が収まった。
「あ、あの……」
呼びかけて顔を覗きこむと、騎士はうっすらと目を開いた。あたりを探るように眼球がくるくると動き、やがて有希を視認したのか、がばっと起き上がった。
「ひっ姫様!」
「そんな急に動いたら駄目ですよ! ――怪我はもう大丈夫ですか?」
「怪我ですか?」
きょとんと有希に問いかけた騎士ははっとして、身体を見回す。
「あ、あれ?」
騎士が服を捲ってあちこちを確認する。確認するたびにあれ、あれと呟いている。
わなわなと口を震わせ、騎士は有希を見た。
「……姫様が、治して下さったのですか?」
「え、あ……」
ルカに言われるまま触れただけなのに。
振り返ってルカを見る。ルカは口角を上げてふ、と笑った。
「どうやら、そうみたい……です」
両手を広げてみる。もう有希自身光っていない。
(うそ……)
一体何が起きて、あの力が戻ったんだろう。
「どうして……?」
「あ、ありがとうございます!」
がばっと平伏した騎士にはっと我に返り、やめさせようとしている所でトウタが戻ってきた。
トウタは騎士とルカ、それから有希を見てから涙目でくしゃりと顔を歪めた。
「姫様……あなたという方は、いくつ私に幸福をもたらすのですか……」
有希は馬に乗り、それ以外の三人は徒歩で山を下っていた。
下っていくうちに量は減っていたが、雪は大の男たちの膝丈まであった。
どれくらい進んだだろう。急勾配だった山道は大分ゆるやかになってきている。
先人達が掘ったのだろうか、崖に小さな穴があり、先へ進むと少し広い空洞があった。有希達はそこで夜を明かす事にした。
風が無いのか、向きが違うのか、ほら穴に風が吹き込むことは無かった。けれども石と岩にかこまれた場所には底冷えするような寒さがあった。
折れた枝で焚き火を起こし、ゆらゆらと揺れる火を囲みながら無言で過ごす。
(身体が、あつい)
焚き火にあたり過ぎて過剰に温まりすぎたのだろう、顔が火照って仕方がない。頬に手を添えると、手がひんやりと気持ちいい。
足元の石は直に座っていられないほど冷たいのに、それがまったく気にならない。
(力が戻ったからって使いすぎたかな……そんな事ないはずなんだけど)
あれから魔物に遭遇したのは数回。いずれも小振りなものが数体だった。
有希自身は無傷だったし、皆が怪我をしたというのも酷いものはない。
(ちゃんと温かくしてるのに、風邪引いちゃったのかな。――みんなもとっても気を遣ってくれてるのに)
心なしか、手足がむくんでいるようで、手のひらを握ったり開いたりすると少しだけ違和感がある。
(あたしのバカ……)
足を引きずらないようにとすればするほど、体調を崩してしまうだなんて。
しきりに額や頬に手を当てているのを不審に思ったのか、トウタが有希を覗き込む。
「姫様、どこか具合が悪いのですか?」
「えっ」
一歩後ずさると、後ろから手が伸びてきて身体を引き寄せられる。検分するように額や首筋に冷たい手のひらが押し当てられる。
「――!?」
振り返ると、ルカが仏頂面ではあるが――不機嫌そうな顔をしていた。
「いつから悪いんだ」
「気付いたのは今さっき……」
はぁっという盛大なため息がこぼれる。息が少しだけ頭にかかる。
「火の傍で横になれ――燃えるなよ」
「う、うん」
ルカは立ち尽くしているトウタに言う。
「枝がもっと必要だな」
「え、えぇ……」
「あ、では私が拾って参ります!」
言うと、騎士がきびきびと立ち上がり身支度を整えあっという間に外へ行ってしまった。
(………………行っちゃった)
騎士が甲冑の音を響かせて外へ出てしまうと、また静寂に包まれた。
(頭ははっきりしてるんだけどなぁ)
むしろ頭の使いすぎで発熱しているんじゃないだろうかとすら思えてくる。
(だってだって、急に力を使えるようになったし、ルカが危険だったり大丈夫だったりしたし……トウタさんが)
ちらとトウタを見ると、トウタは荷物をひっくり返して何か有希に使えそうな物は無いかと探している。しばらくして、トウタも外へ行くと出ていってしまった。その後姿を見ながら、小さくため息をついた。
(トウタさんが変な事、言うし――)
『そんなに、あの男が愛しいんですか』
ちらとルカを見遣ると、途端にまた顔が熱くなる。発熱とは違う火照りを振り払うようにまばたきを繰り返す。
(そんなんじゃ、ないし! そもそも愛しいってナニ!? ないない、ありえないってば! ルカはそんなんじゃないんだってば!)
自分にそう言い聞かせ、火照った顔を鎮めようと意図的に呼吸を深く繰り返す。
(愛しいってナニよ、トウタさんが変な事言うから! もう! 落ち着かなくてからだがぞわぞわするじゃない!)
愛とか恋とか、ルカはそんなんじゃない。
決して、そういうものではないのだ。
――では一体、ルカに対しての感情というのは何なのだろうか。
心に小さく芽生えた疑問に知らないふりをして、息を吸う。深く呼吸をしたいのに、上手くできない。大きく息を吸い込もうとすると肺がちくちくと痛むのだ。
(だってルカには、ルカの心には)
炎の光を受けて揺らめくルカの横顔がある。
綺麗な前髪はもう随分伸びて、頬にかかるほどになっている。
――ルカの心には、もう既に住み着いている人が居る。
有希がルカと出会うよりももっともっと昔の話だ。その頃のことを考えても仕方がないのに、苦しい。
今でもルカの考えている事はわからないことが多い。けれども、ルカのことを少しずつ知っていくと、昔のルカの行動の真意がわかる。
有希がこちらへ来て間もない頃、泥酔したルカは有希を誰かと間違えた事があった。
ルカが城で眠っている時も、誰かの名前を呼んで涙を流していた。
(あれは、ルカの前の主人の事だったんだ……)
ずきずきと肺が痛む。呼吸をするたびに胸がキリキリしめつけられる。
(ずっとずっと、好きなんだ……)
オルガに命を奪われてしまったその人は、一体どんな人だったんだろうか。ルカがとても大切にしていたというのだから、きっと素敵な人だったに違いない。
(シエさんも、変わってるけど、とっても綺麗な人だったし)
素敵な主に想われて、綺麗なシエに慕われて。
(……あぁやだ、なんだかむかむかする)
「そもそも、どうしてルカはシエさんと婚約なんてしたの?」
「……」
「シエさんのやってることが行きすぎてたからって、婚約しちゃうものなの?」
ルカがちらりと視線を投げかけてきた。唐突の質問に眉をひそめていたが、面倒くさそうに答えてくれた。
「結婚するまでには死ぬと思っていたからな」
思ってもみなかった返答に呆けてしまう。ぽかんと間抜けたように口を開けたまま、固まる。
「――どう、して?」
「さぁな。――いいから寝ていろ」
答えるつもりがないのか、本当にわからないのか。有希にはわからない。答えて欲しいとルカを見つめていると、ため息を吐いたルカの手に瞼を覆われた。
「上がってるな……くだらない事を言ってないで寝てろ」
「くだらなくなんてないよ。あたしは、ルカの事もっと知りたいのに……」
ルカの呆れたような、ため息交じりの声が聞こえる。
「そんな事は治ってから言え。――今は自分の事だけ考えてろ」
自分の事だけ。
本当はそんな訳にはいかないのに。
それでもそう言ってくれるルカに甘えて、ぎしぎしと痛む身体をかかえて有希は熱に浮かされたまま意識を手放した。