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紫の瞳  作者: yohna
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『魔物がユーキを狙っている』

 ルカは確かにそう言った。

『逃げろ』

 そうも言った。

 バチンと薪の爆ぜる音が響いた。

 水晶も指輪も、発光が止まっていた。

(ルカが、喋ってた)

 指輪が光っていたからきっとこちらへ向かっているという事だろう。ということは、ルカは動ける状態にあるのだ。動けるし、喋っていた。――トウタが言っていたような瀕死などではない。

(よかった……よかった)

 ずずっと鼻をすすって、服の袖で涙を拭う。

 何度か深い呼吸を繰り返してから、水晶を持ったまま複雑そうな表情を浮かべているトウタを見遣る。

「……移動、するんですか?」

 有希の声で我に返ったのか、トウタの肩が跳ねる。水晶をぎゅっと握ってトウタは首を振った。

「いえ、この時間から移動するのは危険です。明朝早い時間にここを出ましょう」

 水晶を片付けて座り、トウタは食事を再開する。

(…………いいのかな)

 ルカもこの時間から動くのは危険だと承知しているだろう。それでも有希達に逃げろと言ったのには何か理由があるような気がしてならないのだ。

『魔物がユーキを狙っている』

 ルカは確かにそう言った。

(魔物が……どうしてあたしを? どうして?)

 魔物は無差別に出没するものだと思っていたのに、違うのだろうか。

 有希に一体なにがあるというのだろう。魔物をおびき寄せるような何かが出ているのだろうか。

 ――そもそも、魔物が現れる事自体、有希の影響なのではないだろうか。

(……やだ。それじゃ疫病神だ)

 考えないように首を振り、右手をきゅっと握り締める。

「あ」

 まだトウタに指輪を返してもらっていない。

「トウタさん……指輪、返してもらってもいいですか」

 トウタはちらりと有希を見遣っただけで返事はない。

「……あの」

 空気が重たい。

 心が苦しい。

 トウタにとっての有希は、リビドムの大切な大切なお姫様なのだ。

 もし有希がただの子供だったらトウタはどうしただろう。

 もしこれがルカだったら、どうしただろう。

(ルカならきっと――――)

 右手をきゅっと抱きしめる。

「あの、あれはあたしの大切なものなんです。――返してください」

 食事をするトウタの手が止まる。

「……俺では、力不足ですか」

「そんなこと、ないです」

 王族を守るという事では、トウタの行動は正しいのだろうが、有希は納得しきれない。トウタの行動はすべて、有希が王族だと思っているからだから心苦しくてたまらない。

「慕ってくれるのも、守ってくれるのも有り難いです。でもあたしにとってあの指輪は、あたしが王族だとか、そういうの関係ないんです。軽率な事だったのかもしれませんけど、あの時のあたしにとっては……」

 右も左もわからなかったけれども、ルカが庇護を与えてくれた。

「――うん、あたしにとっては軽率な事じゃなかった。あたしは居場所を与えてもらったんです。だから……えと、だから……」

「もう結構です」

 言うと、トウタは指輪と布切れを取り出し、布切れで指輪を包み、一つに縛っている髪紐を外してその紐で即席の首輪を作った。

「……これなら、火傷されることもないでしょう」

 首輪をゆっくりと有希の首に掛け、ささやくように言う。耳に生ぬるい息が掛かる。

「姫様は、沢山お辛い思いをなさったのですね……あの騎士は、そんな姫様をお救いしていたんですね。俺も、もっと早くから姫様をお助けできたら……」

「?」

「――っいえ、今そんな事を言ってもしょうがないですね」

 ふ、とトウタが自嘲の笑みを浮かべる。

「一応二重にはしましたが生地が薄いので、布越しでも熱いかもしれません――が、身体が温まるやもしれませんね。姫様の傍に居ないのですから、それくらいは役に立ってもらいましょう」

 言っている事が皮肉だと気付くのにいささか時間が掛かったが、軽口なのだと理解したら身体から力が抜けた。

 どういうわけかよくわからないが、トウタの中でルカの印象が少し変わったようだった。

「さ、姫様。早く食べてお休みになって下さい。明日は早いのですから」

 それから、有希に対してもよそよそしさが少し消えたような気もする。





 音も無い夜だった。

 雪が全ての音を吸い取ってしまったのか、魔物を恐れて山が一切音を立てなかったのかはわからないが、外に出ると音という音は聞こえなかった。

 鳥のなく声も、風が吹く音も聞こえない。

 聞こえてくるものは、薪の燃える音と爆ぜる音だけだ。

 ――目が覚めてしまった。

 もぞもぞと寝返りをうつと、窓が視界に入った。

 月光が窓から差し込んでいる。

 窓の向こう側では雪がはらはらと落ちている。風はないようで、雪がたんぽぽの綿毛のように穏やかに降りてくる。

(綺麗……)

 どのくらいぼんやりと眺めていただろうか。はっと気付いてトウタの姿を探す。

 トウタは暖炉のすぐ傍で、薪を片手に小さく船を漕いでいる。

(よかった……徹夜で見張りとかしてくれなくて)

 きっと自分がすこしでもうたた寝をしていたと知ればトウタは傷つくかもしれないが。

 何か物音を立ててしまえば、すぐに起きてしまうだろう。だからせめてそれまでは代わりに自分が見張っていよう。

 もう一度寝返りをうって、窓を眺める。

 絶えずひらひらと舞う雪は、音が無いせいかとても現実味がない。

 この小屋だけ世界から切り取られたようだ。

 きちんと休めたからだろうか。身体は随分と楽になっている。この後のことを考えるともう少し眠りたいが、目が冴えてしまっている。

(ルカ……)

 きちんと休めているだろうか、今はどこにいるのだろうか。

 ルカのことを考えると、指輪に触れていたくなる。

「!?」

 いつも指輪が嵌められている場所に指輪がない。一瞬背筋がぞわりと粟立ったが、布にくるんだものをトウタに渡された事を思い出した。確認するように慌てて首元を確かめると、ネックレスにしてある快斗の指輪と、トウタの髪紐に結われた布があった。。

 布団にすっぽりとくるまりながら起き上がる。トウタからもらった紐を首からはずして布団の上に置く。ゆっくりと紐をほどいて布を開くと、紫銀に発光している指輪があった。

「……光ってる」

 ルカが、有希の居場所を探している。有希のもとへ向かっている。

 もう一度外を見遣る。相変わらず音もなく雪が舞っていたが、もう世界から隔絶されたような気持ちはなくなっていた。

 この雪の世界の向こうから、有希の騎士がやってくるのだ。

「へへ」

 指先でちょんと指輪に触れてみる。

 途端、フラッシュを目に当てられたように目の前が真っ白に染まる。

「~~~~っ」

 あたり一面が真っ白で、光が当てられたようにまぶしい。

 ちかちかと視界が明滅する。

 何度目かの明転で、白い世界の中に小さな人影が映った。本当に小さな、ゆらゆら揺れる影。その影を捉えようとすると、さっと黒い世界に覆われた。

 次に白く光った時にそこが真っ白な――空も地面も白い、銀世界だと気付いた。

(――――なに?)

 また世界が黒く染まる。

 そしてまばゆいばかりの雪景色の中に佇む影を見つける。気のせいだろうか、影がどんどん近づいてきている。

(あたしは、何をみてるの?)

 身体に力がはいらない。まばたきはおろか、呼吸さえも忘れてしまいそうだ。冴えているのは目だけで、必死に影を追う。

 また音も無い暗い世界がやってくる。

 白い銀世界が。

 闇が。

 光が。

 人影がどんどん大きくなる。

 大きくなるにつれて、人ではなく馬だと判った。

 更に大きくなり、馬だけではなく人も乗っていることに気付いた。

 黒衣をまとった、金髪の青年。

「っルカ!」

 ゆらゆらと歩く人影が止まる。有希の声に反応したのだろうか。

 さらりとした金髪の間から、青いものがきらりと光った――――直後、その人影は白にかき消された。

「ルカ! ルカ! ――――ルカ!」

「姫様!!」

 驚きなのか有希を責めている声なのかわからないが、トウタが有希の両肩を掴んだまま険しい顔を浮かべている。

「…………なに、今の」

 心がざわめく

(ルカに、何かが)

 何かが起こった。

 決して良い事ではない、何かが。

「――っ」

「姫様! なりません!」

 トウタの制止を振り切って、外への扉へ体重をかける。重い空気が層となり、扉が重くてなかなか開かなかった。

 かまわずぐっと全体重で押し付けると、ぶわっと冷たい空気が有希に絡みつく。

 足が雪にめり込む。思ったよりも深く沈んだ足に身体が揺れたが、全然気にならない。

「ルカ!」

 声がこだまする。高い声と低い声がいくつも重なり合い、不思議な音だけが残る。

「ルカ! どこなの!?」

 一歩、二歩と進んで転んだ。顔面から雪に突っ込む。雪は柔らかくて有希の顔がめり込む。

「姫様!」

 雪から這い出て顔を上げると、いつの間にか目の前には人が立っていた。

 膝裏まである長い髪の、線の細い女だった。

(――――え)

 紫色を煮立てて濃密にさせたようなノースリーブワンピース、紫にも藍色にも見える髪の毛、雪のように血色のない肌。

 いつの間に。

 どこかで見た事が。

 そんな考えが脳裏をかすめ、襲ってきた悪寒に身震いした。ぞくぞくと背筋が震える。

 寒いからじゃない。

 目の前の、女の仕業だ。

(人間……じゃない)

 本能がそう叫んでいる。

 この人も、あの紫色の生き物だ。

 逃げろと叫んでいる。

 動けと叫んでいる。

 それなのに有希は、睨まれた子犬のようにその場を動く事ができない。

 女は小さな風も起こさず、ふわりと有希の前に屈む。

 紫色の唇が妖艶に笑む。顔は豊かな髪に覆われていて見えない。けれど、確実にその顔は有希を見ている。見えない目は有希を見つめている。

 有希はその視線にからめとられて動く事ができない。

 逃げなきゃ。立って、走って、走って、逃げなければ。

 わかっているのに身体が動かない。

 紫の唇がさらに笑みの形に歪んだ。妖艶な唇から目が離せない。

「ユーキ!」

 目の前の女がぎくりと動いた。声は女の後方から聞こえていた。女が驚いたように振り向くと、その姿は紫の霧になってゆらめき消えた。

 女の消えた霧の向こうから見えた景色は、ついさっき見た光景。

「…………ルカ」

 馬に乗った、ルカがそこに居た。

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