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指輪が熱を持ったように熱い。突然発熱をしたそれに、有希の指が焼かれる。
「っ!?」
慌てて左手で指輪を引き抜く。指輪は燃えるように熱く、指輪を引き抜いた指にも牙を剥く。
キン、と小さな音を立てて指輪は床に落ちた。暖炉のゆらめいた炎を浴びて、きらきらと輝いている。
「……なに、いまの……」
拾おうと手を伸ばしたが、ちょっと触れてまた手を引っ込めた。
――指輪が、信じられないほどに熱い。
指先が火傷を負ったようにじりじりと痺れている。
「いったい……なに……?」
慰めるように指先をさすっていると、トウタが小さくため息を吐き出した。
「いいタイミングで、邪魔してくれるな」
そう言うと、有希の指輪をひょいっとつまみ上げる。
「あっ」
熱いよ。そう言う暇もなかった。トウタは涼しい顔で指輪を手のひらの上に乗せている。
「俺には熱く感じませんよ」
「え?」
「これは、主従の間にしかない『絆』ですからね。絆の外に居る俺には何の干渉もない」
「…………絆」
有希とルカの間に、そんなものが出来ていたのかと驚く。二人の間には想いや絆なんて無いものだと思っていた。欲しくて欲しくてたまらなかったものだ。
それが今、有希とルカにはあるのか。
指輪が火傷してしまいそうに熱いというのもどうかと驚き戸惑ったが、それよりもなによりも、嬉しかった。
なんだかやっと、ルカと繋がれたような気がする。少なくとも、指輪を通じて繋がっている。
「……そんな風に笑っていていいんですか」
「えっあたし、笑ってた?」
思わず両手を頬に当てる。――頬が上がったまま降りてこない。有希とルカの間に絆があるといわれた事が、有希が思っている以上に嬉しい事だったみたいだ。
にやけている口元を隠す。それでも上がった口角は降りてこない。
「あは、やだ……」
あいたい。
無性に、ルカに会いたい。
早くルカに会いたい。
会って、謝って、バカにされて、一緒に温かい紅茶を飲みたい。
一緒にまた、綺麗な夜空を見上げたい。
あの冷たくて、でも不思議と心地のいい手に触れたい。
大きな腕にくるまれてまどろみたい。
そう思えば思う程、にやけは止まらない。浮かれていた。――忌々しげな表情を浮かべているトウタにすら気付かない程、浮かれていた。
「コレは、騎士が死に掛けているっていう合図ですよ」
「――――え?」
「騎士の身体の痛みを少しでも分かち合う為に、騎士が瀕死になると指輪が発火したように熱くなるそうです」
笑顔が凍りつく。
姫様、今すぐにとは言いませんから、どうか覚えていて下さい。先ほど姫様に言った言葉は嘘偽り無く、俺の本心からの言葉です。俺は姫様をお慕いしております――この命、姫様の為に捨てても惜しくない位に。いえ、姫様が俺に死ねと仰るなら喜んで死にましょう。…………姫様。どうか。どうか、いつかは俺を選んでください。
トウタが何かを言っている。
何かを言っているのはわかるが、何を言っているのかがわからない。
「俺は絶対に姫様にそんな顔をさせたりしませんから――」
そんな顔。
有希は自分が今、どんな顔をしているのかわからない。
表情の作り方をわすれてしまったようで、顔の筋肉がぴくりとも動かないのだ。
「ルカ」
無意識に手が伸びた。向かう先はトウタが持っている、指輪。
「ルカ」
指先が触れる。
指輪の熱さで、全身に鳥肌が立つ。
指が、触るなと拒絶している。
心が、小さな環を求めている。
トウタの手から指輪を取って、右手をきゅっと握り締める。
「……ルカ……ルカぁ……」
顔が引きつる。それがどこの痛みなのかはわからない。
「熱くない、熱くないから、熱くないから死なないで。死んじゃやだ……」
背中から冷や汗が吹き出るのがわかる。
身体が指輪を手放せと叫んでいる。
指輪を握りこんだ右手は、火傷を負ったようにびりびりと麻痺している。麻痺していて感覚がないのに、それを越えて熱さがやってくる。
「姫様! お手をお放し下さい! 本当に火傷を負ってしまいます!」
「いや!」
トウタが無理矢理右手を引っ張り上げる。対抗するように腕を引き戻そうとするが、力に歴然の差があって、有希の指が一本ずつトウタによってはがされる。
「やだ!! やめてよ、やめてったら!!」
「姫様に嫌われようが、憎まれようが、俺は後悔しませんから」
一本、二本、三本、四本。
最後の一本が、トウタの指によって開かされる。
「あっ」
キィンと小さな音が鳴って、指輪が床に落ちた。
拾いに手を伸ばしたが、指輪は既にトウタの手の中にあった。
「かえして!」
「致しかねます」
「それはあたしのものなの! 熱くても何でも、あたしが持つ」
「姫様、それは出来かねます」
「かえしてってば!」
小さな小屋に、金切り声が響く。
肩で何度も呼吸を繰り返し、あえぐように「かえして」と何度も何度も呟く。
かえして。
かえして。
あたしの、ゆびわ。
それしかないの。
それしかないの。
あたしとルカの間にあるのは、それしかないの。だからお願い、かえして。
痛いのも熱いのもなんともないから。我慢できるから。
指輪がこの手に無いのは、我慢できないから。
だから。
だから。
何度も何度も繰り返し呟いていると、はぁっとため息が聞こえた。
たったそれだけの事なのに、泣きたいほど心が締め付けられる。
「……そんなに、あの男が愛しいんですか」
「…………え」
トウタと目が合う。暖炉の灯に照らされた顔は不快に歪んでいる。
ちか、と何かが光って視界にまぶしさを与えた。
トウタの握られた手から、光が漏れている。
ひどく見覚えのある、いとおしい紫の光。
「~~~~~~っ」
次いで別の場所からも淡い光が現れる。それに気付いたトウタは腰のポーチから水晶を取り出す。水晶がほの赤く光っている。
『…………ユー……は……無事……』
所々は聞き取れなかったが、間違いなくルカの声だった。
「ルカ……ルカぁ!!」
言いたい事が沢山あるのに、喉につまって言葉が出てこない。
無事なのだろうか、他の皆も大丈夫なのだろうか、さっきの指輪の熱さはなんだったのだろうか、謝ったら許してくれるだろうか。
どれから言っていいのかわからない。
ただ今は、ルカの声を聞けたことが何よりも嬉しくて涙が出た。
トウタの手のひらに載っている柘榴色の水晶の中はどんよりと濁っていて、ルカの顔は見る事ができなかった。
「……えぇ、姫様は無事です」
「ルカ! ルカは大丈夫なの!?」
『………ま、どこに……る……』
「小さな谷の近くの小屋です」
『………………げろ』
「は?」
『……げろ、魔物が……を狙っ……い……』
「何です? もう一度言ってください」
『魔物が……ユーキを狙って……るんだ……も今からそちらへ……』
フッと水晶の明かりが消えた。
お久しぶりです。
ちょっとなろうさんの投稿サボッてました。
これから適宜あげていこうと思います。
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