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紫の瞳  作者: yohna
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 ほたほたと雪が舞う。

 雪が降るほどなのだから余計に寒いだろうと思ったけれど、そんなことはなかった。

 雪は、あたたかかった。

 トウタが穏やかな声で『今夜は暖かいでしょうね』と言った。

 寒さが厳しくなって、雪まで降ってきたのに暖かいというのはどういうことなのだろうか。

 気になって仕方がなかったが、身体が重くてとても億劫だった。

 それに、この空気も気まずい。

 トウタの馬に乗せて貰えるようお願いした時に、軽く口論をしたのだ。口論というよりも、トウタが何かを口にする前に有希が一方的に感情論をぶちまけたのだ。

『お願い、何も言わないで。――あたし今何か言われたらきっと、トウタさんの事罵倒しちゃう。そんな自分が嫌いになるから、だから、お願いだからなにも言わないで』

 しばらく黙ったトウタは、微笑んで『でしたら、何か口にしてくださいませ。昨晩から何も召し上がっていないのでしょう』と、困ったように笑ってくれた。その笑顔に心底ほっとした。

 もっとちゃんと話をしたいのに、頭が上手く働かない。

 長い黒髪を首に巻いて『襟巻き代わりになるんですよ』と捨て身の冗談を言ってくれたのに、上手く笑えなかった。

 そんなぎこちなさなんて我関せず。というように、大きな粒の雪が舞い落ちる。

 雪が降ったら、山頂がすぐだとルカは言っていた。

 今は一体どのあたりなのだろうか。喘ぐような浅い呼吸を繰り返しながら空を仰ぐ。枯枝の隙間から見える灰色の雲は、真っ白な雪がただひたすらに落としている。

 馬がぐんと一歩前に動き、のけぞった有希はトウタの胸にぶつかってしまった。トウタがぎくりと身をこわばらせるのがわかった。

「あ、ご、ごめんなさい」

「い! いえ! ひっ姫様、お怪我はございませんか!?」

「――大丈夫」

 ぶつかった余韻だろうか。頭の中でぐわんぐわんと音叉のような音がこだまする。

 頭が揺れて、トウタの腕に身体がぶつかる。ぐらぐらと揺れて、身体を上手く支えられない。

 トウタの腕を手すりにするように掴み、目を閉じる。目の奥を圧迫されているような感覚は、瞼を閉じても拭えない。

 締め付けられるような胸の苦しさが、痛い。

「えっ、あっ、ひ、姫様!?」

「ごめんなさい……ありがとう」

「…………姫様、もしかして御加減がよろしくないのでは……?」

「え?」

「失礼します」

 有希が捕まえている、手綱を取っているほうの手とは逆の手が、有希の額に伸びる。大きな手のひらはナゼットの手と同じようにごつごつとしている。その大きな手が、額を隠すように覆う。

 その手は、とても冷たかった。冷たくて気持ちが良いなぁとぼんやりと思っているとすぐに手は引っ込み、少しだけ物足りない気分になった。

 もう一回やってくれないかなぁとくらくらする頭で考えていると、トウタが器用に片手で襟巻きを外し、有希に巻きつけてきた。

「姫様、いつからこのような状態だったんですか?」

「いつからって、……昨日くらいから?」

「……どうして言ってくださらないのですか」

 怒気と悲しみをはらんだ声が聞こえる。

「え?」

「山の病です」

「やまの、やまい?」

 なんだか人名みたいだと笑みがこぼれた。

「今まで山を越える時、言われませんでしたか? すこしでも体に変調が起きたらすぐに言えと。ヴィーゴさんならしつこい位に言ったでしょう」

「…………言われた、かも」

「それならそうと、ちゃんと言ってください。…………気付けなかった俺も、不甲斐ないですが」

(あぁ、思い出した。ヴィーゴさんも言っていた山の病――高山病だ。)

 山に登ると酸素が薄くなって体調が悪くなる、と。年齢や体力など関係なく無差別にやってくる病だから気をつけろと。

(これが、そうなのかぁ)

 くらくらと頭が回る。胸が苦しくて上手く呼吸ができない。

「とにかく、よく水を飲んでください。――ここまで来たのなら、もう登りきってしまった方がかえって良いです。あと少しですので、辛抱して頂けますか?」

 目の前に水筒を差し出される。喉は渇いていないと首を振ると、それでも飲んでくださいと押し切られて水を無理矢理喉に流し込んだ。水は喉を刺すように冷たくて、頭を冷ますのに丁度良かった。

 病は気から。という言葉通り、この苦しさや痛さが病気からくるものだと知ってしまえば、余計に具合が悪くなる。

(なんかあたし、具合悪くなってばっか)

 こんな自分が情けなくて仕方ない。

 トウタを背もたれに、ぐったりと体が沈む。

 ルカなら絶対怒るだろうこの体勢に、トウタはなにも言わない。

 それとも、有希が山病だと知ったなら、許してくれるのだろうか。

(――――ばかみたい)

 胸がくるしくてくるしくて、涙が出そうだ。




 山病は、山を降りると治るとトウタが言っていた。

 山には『良くない』場所が多々存在し、その場所に触れてしまった人は山病にかかるのだと。

 実際、山頂を越えて山を下り始めた夕方には、眩暈や気持ち悪さはほとんど無くなった。

 けれども、気を緩めることが出来なかった。

 山頂付近から山を見下ろすと、雪化粧を施された山のあちらこちらに紫色の霧が群生していたのだ。登る時より、圧倒的に多い数だ。

 雪の白さだから紫色が目立つのかと思ったが、トウタをはじめリビドムの皆も口を揃えて言っていたので、きっと有希の勘違いではないのだろう。

 あちらこちらに点在している紫色を、リビドムの人間は恐ろしげに眺めていた。そんな中、ルカは一人で黙々と馬を歩かせていた。

(……なによ)

 ずきんと胸が痛む。

 ただでさえ孤立していたルカを、本当に孤立させてしまったのは有希自身だ。

 隣に居たいだなんて思う事は、それこそ有希のエゴだ。

(ルカは、具合悪くなってないよね……?)

 ルカは何も言わない。

 有希がトウタの馬に乗ると言った時も、何も言わなかった。

 嘘をつかないけれど、本当のことも言わない。

 ルカは今先陣を歩いているらしい。後方に居る有希からルカの姿は見えない。

(せめて、近くに居てくれればいいのに)

 具合が良くなると良くなったで、思考がクリアになって色々な事を考えてしまう。

 考えても、仕方のないことなのだが。

(ルカが、逃げてる)

 トウタが言った言葉を、もう一度反芻する。

(自分から逃げてるって、どういう意味なんだろう)

 有希から見ればルカはとても大人で、とても何かから逃げているようには見えない。

 むしろ、自分から逃げてばかりいるのは有希だというのに。

(…………あーあ)

 考えてしまうと、気分が沈みこむ。

(逃げっぱなしだ)

 はっきりさせろと頭の中で叫ぶ自分と、耳を塞いで蹲りたがる自分とが争っている。 

 いつか、いつかはっきりさせるからと言い訳をしてばかりの自分が嫌になる。

 そして、嫌になると言いつつもはっきりさせない事が、甘えだということもわかっている。

 甘えて甘えて、自分の事でいっぱいいっぱいになってばっかりで。

「――だぁもうっ!」

「姫様!?」

「なんであたし、こんなに子供なんだろう!」

「……は?」

「あたしはあたしから逃げてる。ルカはそれを知っていて、何も言わないでくれるし、それでいいって言ってくれる。――あたしが一番欲しい言葉をくれるのに、それなのにあたし、超矛盾してるじゃない!」

 トウタに無理矢理渡された襟巻きを剥ぎ取るように剥がし、危ないと言うトウタを無視してトウタの首に巻きつける。

「それなのにあたし、ルカを責めて。……それでいいんだって許してくれたルカを、あたしは許してあげられなかった……サイアク」

 襟巻きをほどけないようにと巻きつけると、有希は正面を向いて、手綱を掴むトウタの腕をつかむ。

「トウタさん、お願い――前に行って。ルカの所に追いついて」

「姫様」

「お願い。今すぐ行って、謝りたいの」

「…………どうして、あの男なんですか?」

「どうしてって?」

「あんな、自分自身から逃げてばかりの男ですよ!? 自分から逃げ出して、姫様に甘えている男なんですよ!?」

「――――トウタさんは、自分から逃げたこと、ないの?」

「ありますよ! 姫様は知っているでしょう、俺の昔の渾名『逃げ足トウタ』ですよ? 仲間を見捨てて逃げた。だから俺はアイツが嫌いなんですよ!」

「ならトウタさんにルカをどうこう言う権利ないじゃない。……もちろん、あたしにも無いけど」

 トウタの腕を握る手に力がこもる。

「あたしも今、いろんなことから逃げてるんです。――逃げていても良いって言ってくれた、ルカからも」

「…………姫様」

「トウタさんは逃げて、それでも逃げる事を乗り越えて帰ってきたんでしょう? あたしも同じです。逃げっぱなしは嫌なの。……だからまずはルカに謝るところからはじめたいの。……それに、あたしが知ってる限り、ルカが誰かに甘えている姿なんて見た事ない。もし――あたしが甘やかしてあげられるなら、存分に甘やかしてあげたいの」

 トウタが息をのむのがわかった。

「姫様は…………」

 トウタの続きの言葉は、馬の嘶きにさえぎられる。

 嘶いたのは、有希の前にいた騎士の馬だった。次いで、有希とトウタが乗っている馬もそわそわとしだす。

(まさか)

 何度もこの馬の変化は見てきた。時には自身も危ない目にさらされた。

 有希たちの進む道の先に――霧は発生していた。

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