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紫の瞳  作者: yohna
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 ずかずかと、長い歩幅でナゼットがアインの前を進む。

「ナゼット! ちょっと待ってくださいよ!」

 追いつこうと小走りでナゼットの後ろを追いかけるアインは、少しだけ息を弾ませながらナゼットに言う。

「誰が居るのかも事前に調べていないのに、押しかけるのは危険ですってば!」

「扉を開けて、相手を見れば済むことだろう」

「それ以前の話ですって!」

 やっとナゼットに追いついた。ナゼットは先ほどから眉間に皺を寄せっぱなしで、いつもの快活に笑う姿はどこかへ消えている。それがアインにとって不安で仕方がない。途中すれ違ったティータも、ナゼットの形相に目を瞬かせていた。

 アインが抗議を口にする前に、ナゼットは取っ手を掴んで思い切り扉を開いた。扉は絨毯との摩擦で重いはずなのに、一切重さを感じさせなかった。

「やぁ、丁度よかった。今荷解きを終えた所でしてね、貴方達を呼んでいただけるように人を遣ろうと思っていた所だったんですよ」

 聞き覚えのある声が耳に入る。アインはナゼットの入っていった扉を抜け、そこに居た人物に目を丸くした。

「ラッドル・メンデ……どうしてここに……」

 甘い中低音の声が響く。

「あれ、この城にお邪魔する際に言ったんですけど、伝わってませんでしたか? アイン・レーベントとルカ様を連れ戻しに来たんですよ」

「アインを……ルカだけじゃないのか?」

 ナゼットが帯刀した腰元に手を遣るのが見えた。

「すみませんが、僕はレーベントとお話したいので、少し黙っていて頂けませんか?」

「何だと!?」

「アナタがでしゃばるとろくな事がありませんから」

 ラッドはおどけるように肩をすくめた。ナゼットの顔が不快そうに歪む。その顔をみて満足げな面持ちでラッドはアインに向き直って続ける。

「レーベント家の跡継ぎが勝手に出て行ってしまったので連れ戻して欲しいと、レーベント家当主に頼まれてしまいましてね、こうやって直々に来たんですよ。リビドムの方々に蹴り出されないように、流通路を通って余って差し上げられる程度の食糧を持参したりと気を遣わされましたよ、家出小僧の為にね――あぁ、そう言ってしまうと、ルカ様にも同じことが言えてしまいますね」

 言って、嘲笑するようにアインを見る。

 挑発されている。こみ上げる苦い気分が顔にも出る。

「……ルカ様は、貴方の主君でもあるはずです」

「元、ですよ。アイン・レーベント。あの人は国を捨てた」

「僕もですよ」

「レーベント当主は、子供の駄々だと言ってましたよ」

 はっとラッドが鼻で哂う。その嘲りの笑みが、アインを煽る。

「……僕は、戻ったりなんてしませんよ」

「アンタは戻ってくるよ、アンタが望まざるともね」

 意味ありげな笑みが不気味で、心にもやのようなものが広がる。まるでアインが戻ることが分かっているような口ぶりだ。

 ――何を根拠に。

 そう言おうとした時に、扉が叩かれる。突然の闖入者に驚いて振り返ると、ティータが扉から顔を覗かせていた。異様な空気を察しているのか、すこし戸惑い気味に部屋の中を伺っている。

「あ、あの、お茶をお持ちしたんですけど、入っても大丈夫でしょうか……?」

 アインがナゼットと目を合わせてどうしようかと目配している間に、ラッドがにこやかに笑んで答える。

「やぁ、リベラートのお嬢様自ら淹れて下さるんですか、嬉しいなぁ。さぁ、そんな所に居ないでどうぞ入って」

「あ、は、はい」

 ティータがぎこちなく頷いて、ワゴンと共に部屋に入ってくる。ワゴンがアインの横を通り過ぎる際に視線を感じたが、アインは目を合わせることができず、わざとらしく顔を逸らしてしまった。あからさまだったかと後悔を抱きながらティータを盗み見ると、きゅっと唇を引き結んで少しだけ目を潤ませていた。それがまた、アインの罪悪感を冗長させる。

「しかし、しばらく見ない間に、随分お美しくなられた。その物憂げな表情が美しさを更に引き立てている」

 物憂げな。その言葉に引っかかったのか、ティータが取り繕うように笑む。

「そ、そんな変な顔してましたか? すみません」

(そんな顔して笑うなよ)

 無理に作った笑顔なんてティータには似合わない。ティータにはもっと、可憐で、ぱぁっと咲いた花のような笑みが似合うのに。

「その危うい笑みが男を惑わすという事を、どうやら貴女は知らないようですね」

「えっ」

 ゴトンと音が鳴る。ティータが茶葉の入った容器を床に落としていた。顔を真っ赤にして。

「そういう、純真な所が良いですね。――どうです? 僕と一緒にアドルンドに来ませんか? もちろん、僕の花嫁として」

 驚いて立ち尽くすティータのすぐ近くで跪き、ティータの方へ手を伸ばす。

 ――何を。

 驚きと怒りで頭が真っ白になる。一体コイツは、何を。

「っふざけんな!」

 アインが我に返った時にはラッドが床に倒れていた。その目の前には、拳を握り締め、肩で息をしているナゼットの姿。

「お兄ちゃん!!」

 ティータがナゼットの振り上げた腕にしがみつく。

「お兄ちゃん、やめて!」

「コイツ、どこまでバカにしたら気が済むんだ! 関係ないティータを巻き込むな!」

 ティータが悲鳴じみた声で叫ぶ。

「やめてったら! 私は何もされていないわ! ねぇお兄ちゃん、さっきから変よ、しっかりして!?」

 打たれたようにはっとしたナゼットは、きまりが悪そうに空いた手で頭を掻いた。

「わ、悪い、ティータ。怪我とか、ないか?」

「いたた……リベラート嬢の危惧はして、僕には一切の謝罪はないんですか」

「ぬかせ。んなもんあるか。テメェの自業自得だろうが」

 ラッドの頬が真っ赤に腫れている。相当痛いはずだろうに、何故かうすら笑いを浮かべている。

「やっぱり、アナタがでしゃばるとろくな事がないな」

「メンデ……」

 呼ばれて気付いたラッドに、アインの存在を今思い出したような顔で見られる。

 あぁ、いたの。遠慮のない瞳はそう語っている。

「誤解しないでくださいね、僕は無利益に殴られるような人間じゃない」

「何を」

 ラッドがゆっくりと立ち上がる。おぉ痛いとわざとらしく呟いて頬をさすっている

「そもそも僕は、リベラート嬢の淹れてくれたお茶を頂いたら、すぐアドルンドに戻るつもりだったんですから。とんだとばっちりを受けましたよ」

「ぬかせっ!」

「お兄ちゃん!」

 ゆらゆらと立っているラッドは、アイン達を見て高笑いをした。それから低い低い声でこう言った。

「――テメェらが動き出せないからってオレに八つ当たりするんじゃねぇよ」

 どきりと心臓が跳ねた。

 まるで見透かされているようだった。

「アンタ達が動かない間に、オレは動くぜ?」

 ふ、と笑うとラッドは優雅な動作で部屋に置かれていた荷物を持ち上げる。

「言うことは言った、届け物もした。――一足先にアドルンドで待ってるぜ、アイン・レーベント。早いとこ、ルカ様連れて戻って来いよ」

 悪戯ににやりと笑ったその男は、ナゼットの横をすり抜ける時、目をみはる速さでティータの顎を掬い取り、その唇にくちづけを落とした。

「!!」

「テメェっ!」

 ナゼットの拳をひらりとかわしてすり抜け、アインの肩をぽんと叩く。振り返った時既に扉の前で挑発的にわらっていた。

「欲しいと思ってるなら、手に入れようとする努力をしろよな。――オレや、シエ様みたいにな。あぁそれから、いつまでも女性の部屋に居座るんじゃないぞ」

 ひらひらと手を振り、ラッドは扉の向こうに消えた。

 取り残されたのは、拳のやり場を失ったナゼット、ぺたりと座り込み、無言で涙を流すティータ、頭の中が真っ白になったアイン。

『欲しいと思ってるなら、手に入れようとする努力をしろよな』

 ラッドの声が、今さっきの光景がフラッシュバックする。

(手に入れようとする努力?)

 ティータが泣いている。泣かせたくないと思うのに、笑ってほしいと思うのに、自分は彼女に何もしてやれない。

(お前にわかるか)

 心の中のもやのようなものが、闇を纏って大きくなる。

 何度も唇を袖で拭うティータに、何もしてやれないやるせなさが。

「……お前には、分からないよ」

(手に入れたいと願うことすら許されない気持ちが)

 ――先に動いたのはナゼットだった。

 その光景に、アインは縫いとめられたようにその場から動けずに居た。

 自分にはこの空気を壊すことができない。ここから動いてしまうと、ただでさえ危うかった均衡が崩れ去ってしまう。

 気付いてしまった。

 自分は本当にどうしてこんなにも鈍いのだろう。

 いかに自分の事しか考えていなかったか、思い知らされた。

 知らなかった。

 知りたくなかった。

 今起きている事を、ただただ呆然と見つめていることしかできない。

 だってどうしたらいいというんだ。

 無言で泣いていたティータは今、ナゼットに抱きしめられて声をあげて泣いている。

 ナゼットも泣いている。

 知ってしまった。

 ナゼットの気持ちに。

 知ってしまった。

 ティータが、ナゼットの腕の中なら声を出して泣けるということを。

 自分の中の、どこかが崩れていく音が聞こえる。ひどく脱力してしまって指一本動かせそうにない。

 だれか、だれか。

 あえぐような呼吸しかできない。どくどくと鼓動の音が、ティータの泣き声が、酷く耳障りだ。

 だれか。

 だれか、なんとかしてくれ。

 心の中で叫ぶ。もうこれ以上なにも見たくない、何も聞きたくない、何も考えたくない。

 その空気を壊したのは、奥の寝室から高圧的に声を掛けてきた人物だった。

「――メンデ? もう話は終わりましたの?」

 はじかれたように、アインは扉を見る。すると、自分で扉を開けるのが不服なのか、嫌そうに扉を開くシエが居た。シエは抱き合うナゼットとティータをちらりと見て眉をひそめる。そして次いで呆然と立ち尽くしているアインを見つけて、意外だとでもいうような顔をした。

「…………あら、貴方も来ていたの。わたくし、ルカートに会いに来たの。貴方場所を知っているのでしょう? 案内してくださる?」

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