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冷たい風が吹きすさぶ。日毎寒さは厳しくなり、比例するように空は高くなる。
ナゼットは誰も居ない騎士宿舎の鍛冶場で槍の切先を外し、研磨に勤しんでいた。――魔物を切りすぎた為、刃こぼれが酷い。
「こりゃぁ、換えないと駄目かもしんねぇなぁ」
砥いでも砥いでも、こぼれた刃が綺麗になることはなさそうだ。
「しっかし、この国のヤツらが武器分けてくれっかなぁ。そもそも、職人が居るかどうかもわっかんねぇもんなぁ」
どうしたものかと頭を掻いていると、すいと刃を細い手に奪われた。
一瞬、何が起きたのかよくわからなかった。
騎士宿舎は、リビドム城の復旧活動の手伝いを自発的に行っている為、皆出払っている。
そもそも、誰かが居るという気配すら感じられなかった。
「こいつぁもうダメだな。――しっかしよくもまぁ、こんだけボロボロにしてくれたなぁ」
見ると、褐色の肌、橙色の瞳を持つ女がナゼットの刃を空に掲げ、しげしげと見つめている。頭には頭巾を被っており、髪の色は見えない。
自分以外で褐色の肌を持つ人間を見たことが無かったので面食らう。けれども相手にばれないようにと取り繕って笑う。
「……ネーチャン、どっから入ってきたんだ?」
「どっからって、アタシが聞きたいね。アンタ、アタシの領土でナニしてんだい?」
ぎらりと睨まれる。橙の瞳は冷たく光る。
「ナニって、みりゃぁわっかんねぇか? 武器の手入れだよ、手入れ」
「手入れ、ねぇ。アタシにゃ無駄な足掻きにしか見えないけど?」
女がにやりと笑う。好戦的な表情がひどく似合う女だと思った。
「なんなら、ネーチャンが俺の武器の手入れしてくれんのか? ココ、ネーチャンの領土なんだろ?」
はっはっはと大仰に笑って見せると、女は酷く楽しそうに笑った。
「アンタ、アドルンドから来たっていう騎士だろ? アタシが協力すると思うかい?」
「そうだなぁ。協力してくれたらありがてぇなぁ。オレ、コイツがねぇとなんもできねぇからなぁ」
間延びした声で言うと、女はハッと笑った。
「同郷のよしみだ。安くしてやるよ」
「同郷?」
そう言うと女は頭巾を取った。短い山吹色の髪が現れた。
「アタシは城に仕える鍛冶屋の跡目だ。親父は姫サンが戻ってくる前に死んだ――名前は?」
「ナゼットだ。ナゼット・リベラート」
「別に、アンタの名前なんか聞いちゃいないよ。アタシはこの子の名前を聞いてんだ」
女が手に持った刃をちょいと持ち上げて、にやりと笑った。
刀を新たに作る為には、その人の本質を知らなければならない。そう女が言った。
どこがどうなってそうなったのか良く分からないが、二人は鍛冶場に腰掛け、見極めという名の雑談をしていた。
そこでナゼットが知ったのは、自分の出身地の事だった。リビドムの山の麓、一番雪の深い辺境の村だと思っていた。
「違う?」
「っそ。アタシ達は元々リビドムの北、海向こうの常夏島の住民さ。――もっとも、二十年以上前に滅んだけどね。きっとアンタが住んでたトコは逃げ出した人達が避難した場所だったんだろうよ」
「滅んだって……ナニがあったんだ?」
「さてね。理由は多岐あるかんね、アタシ達の技巧を妬んだ同業か、別国か、マルキーからの宣戦布告だったか。今となっちゃ闇の中さ。なんせ、何も残らなかったかんね」
「何も残らなかったって、んなわけねぇだろう」
「…………アンタ、自分の村がどうなったか覚えてるかい?」
思い返す。初めて騎士称を手に入れてティータと契約し、寄宿舎に戻る前に寄った、消えたという村。
「なんもかんも、焼けちまって何も……って!!」
「っそ。なんもかんも焼けちまった。家も船も人も何もかもな。――逃げる場所も無いあの島は、さぞ攻め易かっただろうな」
遠い目をして笑う女に、ナゼットは何か苦いものがこみ上げる。
「自分の故郷だっつぅのに、随分他人事のように言うんだな」
「…………」
女はナゼットを見て、声をあげて笑った。
「アンタ、青いな」
「……どっちかっつぅと、そう言われる年代はもう過ぎたと思うんだが」
「いやいや青いさ。だがその青さが良い」
ふ、と橙の瞳が眇められる。目尻にごく小さな皺が寄る。
「――アタシは、あの島のモノを手にしているからな」
「モノ?」
女が傷まみれの手を慈しむように眺めている。
「そう。あの島の技術、鍛冶さ。あの島特有の鍛冶を、アタシはオヤジから受け継いだ。アタシが作っていくモノは全て、あの島の思い出だからさ。――それに、アンタもアタシも生きている。そうして同郷だってすぐわかる方法だってある」
「この、肌か?」
「そうさ。この土色の肌を持つ人間は、皆あの島の血筋さ――アタシがアンタに会えたように、まだこの世界には島の人間が居るだろ。それに、過去ばっかり見てたって腹は膨れねぇし、リビドムが戻ってくるんだ。なのにこれ以上高望みしたら罰が下るってモンだろ? え?」
「……言われてみれば、そうだなぁ」
「アンタの子が生まれれば、島の子じゃなくても島の子さ。世の中っていうのは、そうやって変わっていくんだ青男。――今度、子供も見してくれな。なんなら、次の刀に子の名前でも付けるかい」
にやにやと笑う女に、ナゼットは面食らう。
「なっ!! ガキなんかいねぇよ!!」
「あら本当かい。甲斐性の無いオトコだねぇ」
「何を勘違いしてんのかわかんねぇけど、俺は所帯なんて持ってねぇぞ」
女から笑みが消え、目が驚きに見開かれる。
「じゃぁ何で契約なんてしてんだい。アレかい、オンナにゃ興味ねぇってオトコにでも走ったのかい」
「~~っ妹だ!」
「何もそんな真っ赤になって言わんでもいいじゃないか」
笑いすぎて痛いのだろう、女が腹を抑えてくつくつと笑っている。泣き顔みたいな顔だった。
「妹な、妹。アンタならさぞ可愛がりそうだな。見当がつく」
「なんだと?」
「可愛くて可愛くてたまらんだろう。土色の肌の子なら尚更だ。髪は何色だ? 薄い色かい?」
「……いや、妹は違う。血が繋がってねぇんだ。――象牙の肌に、栗色の瞳と髪だ」
一通り笑い倒した女は、ほぉ、と呟く。
「青い青い理由はそこかね」
「あ?」
「妹が可愛くて可愛くてたまらなくて、他のオンナに目がいかないのか」
「っな」
冗談だ、女はそう言って軽く笑ったが、顔面に血が昇ったナゼットを見てまた笑った。
「図星か」
青い青い。そう言って女はまた笑った。また泣き顔みたいな顔だった。本当に可笑しいと思った時にだけそんな顔になるのだろう。
女が笑い終えるまで、とにかく黙って待つことにした。これ以上口から何か言葉を出したらまた笑われてからかわれる。
指で目尻に溜まった涙を拭った女は、まだ泣き顔のような顔だ。
「いいね、気に入った」
「ハァ?」
「そんくらいどっかオカしいヤツの方が、アタシは好きだね」
「……ハァ」
「んで? 名前は何にするか決まったかい? 新しい刃の名前さ。アタシは刃に名前を付けるんだ」
「ヘェ。今までんなこと言われた事ねぇよ」
「だからすぐ刃こぼれすんだよ。愛情がない証拠だな」
「……愛情、ねぇ」
生き物を殺す武器に愛情を掛けるのか、と聞きたくなったが、またからかわれたらたまらんと頭を掻く。
「動物も植物も、愛情をかけなきゃ育たんさ。――人間も、鉄もな。イキモノだからな」
これにも生返事を返して頭を掻く。
名前、名前。色々な名前を思い浮かべるがいまいちぴんと来ない。何かに名前など付けたことの無いナゼットには敷居の高い事だった。
「なんだ、決めきれないか」
「こう、なぁ。名前なんて付けたことがねぇから見当がつかねぇや」
女が笑む。そして良いことだと言った。安直に付けられる名前は大したものにならないと。
「なら――アドって名前、付けるかい?」
「アド?」
「あぁ。アタシ達の故郷の名前さ。粋なもんだろう」
アド、アド。何度か呟いて、ナゼットはその語感の良さに笑った。
「いいな、気に入った。よろしく頼むな、ネーチャン」
言うと、女が立ち上がる。もう話すことはないということだろうか。
前金はいくらかかる。そう聞こうと顔を上げると、唇が女の唇によって塞がれた。ナゼットは何が起きたのか理解できず硬直する。
一秒、二秒、三秒。時が止まったようだった。
名残惜しげに唇が離れる。
「前金は確かに頂いたよ。 ――一週間後に取りにおいで」
ナゼットの眉間に皺が寄る。
「いつもこんな感じなのか?」
「まさか――言っただろ? 気に入ったって」
女が泣き顔で笑う。
「アタシはフェル。次会った時に覚えてたら、割り引いてやるよ」
言うと、女は刃の無い槍を持ってふらりと出て行ってしまった。
一人残されたナゼットは、とんだ女と出会ってしまったみたいだ。と頭を掻いた。




