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夕食後、荷造りをしなければと部屋で荷物を広げていると――アドルンドから持ってきた荷物はごく少ないものだったのに、あれやこれやと『ユーキ様のものです』『これも、ユーキ様は必要でしょうから……』と、渡されてしまい、いまや何を持っていけばいいのかわからない状態で立ち尽くしていた。
それこそ誰かに相談したいが、一体誰に相談したら良いのかすらわからない。ましてやルカになんて聞けるはずがない。『替えの下着はいくつ持っていけばいいだろう』だなんて。
「……はぁああああああ」
ベタに一週間分でも持っていけばいいのだろうか。それとも有希も有希の服もコンパクトだから二週間分持っても大差ないのではなどと下らない事を考えてしまう。
「だって……コレはないでしょ」
部屋に広げられたいっぱいの服、服、服。装飾品は置いていくとして、どの服をいくつ持っていけばいいのかなんてわからない。けれども他人に用意されてしまうのも心もとない。
一つため息をこぼして、有希は現実逃避の為に部屋から出ることにした。
寝室からつづいている洋間には、いつでも紅茶を飲めるようにワゴンが置いてある――制止されたが、リビドムの人間が少ない事を思って有希が無理矢理置いてもらったのだ。紅茶を飲みたいと思うたびにわざわざ人を呼ばなければいけないというのが申し訳なくて仕方なかった。
有希は水差しから鉄瓶へ水を入れ、ミトンを嵌めて鉄瓶を暖炉の中に置いて鉄棒で押しやる。湯が沸くまでの間にポットに茶葉を用意する。数種類用意された茶葉のうち、どれが良いだろうと悩んでいると、扉が開き、ルカが入ってきた。
「あ、ルカ。ルカも紅茶飲む?」
ルカは有希の姿を見ると一瞬眉をひとめた。
「……支度はもう出来たのか?」
「えっと……ちょっと、休憩」
呆れたようにため息を吐かれた。
「…………ティータがお前に逢いたがっていた。後で手伝って貰え」
そう言うとルカは帯刀していた剣を外し、ソファに座った。紅茶を飲む、という事で良さそうだ。有希はカップをもう一つワゴンから取り出した。
(ホントに、言葉が少ないよなぁ)
アドルンドからリビドムに来る間に、やっと『ルカ』という人間が少しずつ分かってきたような気がする。
相変わらず何を考えているのかよくわからないし、ルカの言うことが分からないことも多い。けれども、ルカが有希に対してとても誠実に接してくれていることはわかった。
鉄瓶の中から、湯が沸騰している音が響く。ミトンを嵌めて、鉄鉤で鉄瓶を引っ張り出し、暖炉の側に持ってきていたカップに湯を注ぐ。茶葉が舞い上がり、ゆらゆらと舞い落ちるのを確認して、ポットの蓋をしめる。蒸らしている間に道具を片付け、茶を淹れ、カップをルカの前に一つ、その向かいに一つ置いて有希もソファに座った。
有希はルカが砂糖を次々とカップに入れるのを見ながら、両手でカップを持ち、ふぅふぅと息を吹きかける。ルカがカップをかき混ぜる時に砂糖がザリザリと音を立てながら溶けていく様をぼんやりと見つめる。視線に気付いたルカが、文句でもあるかという顔で有希を見る。
「……あんまり入れすぎると、いつか病気になっちゃうよ?」
「そんなものにはならん」
「どうして?」
ふ、とルカが鼻で笑う。
「お前と契約してるからな」
「…………そういう問題なの?」
「そういう問題だ」
「じゃぁ、大丈夫だね」
言って、なんだか可笑しくて有希はくすくすと笑った。けれどもルカはぴくりとも笑わず、相変わらずの仏頂面だった。それもどこか緊張感のある顔つきだった。それにつられて、次第に有希からも笑みが消える。
「お前が……」
言って、ルカは紅茶を一口啜り、カップを戻してもう一杯砂糖を入れた。
「お前が決めた事に異論はない」
「……うん」
有希も一口紅茶を啜る。まだ少し熱かった。
「だが、一つだけ言いたいことがある」
「……なに?」
紅茶をかき混ぜるルカの手が止まる。
「決めたのなら、迷うな。迷いは人を弱める」
「……うん」
「それが一時の偽りだったとしても、お前以外の人間からしてみれば、真実だからな」
「!! なん……で?」
「お前の考えそうな事だからな――『自分よりも他人を優先させる』いつか、ティータもそんな事言ってたぞ」
どきりとした。それと同時に、疑問が湧き上がる。
(それでもルカは、あたしの味方で居てくれるの?)
その言葉が紡がれない。こわくて聞けない。
(どうして?)
何かを取り繕うように紅茶に口を付ける。
(わかんないよ…………)
ルカも、何事も無かったかのように紅茶を飲んでいる。
(でも、うん)
「…………決めたから、もう迷ったりしない」
「そうか」
ちらりと視線を有希に向けたルカはまたすぐに紅茶に視線を落とした。
日中でも息が白くなるほど、寒さは厳しくなってきている。
有希はもこもことしたストールをポンチョのように着込んでいた。袂を手繰り寄せ、ぎゅっと掴む。
今回の遠征は、皆乗馬している。人数も十数名ばかりで、少数精鋭といった感じだ。アドルンドから来た人間は、有希とルカ以外居なかった。セレナもヴィーゴもリフェノーティスも居ない。心細いと思うのは、きっと寒さの感傷からだけではない。
「姫様」
長い黒髪がさらりと揺れる。振り返ると、トウタが白い息を吐き出しながら立っていた。
「お辛くはございませんか?」
休憩時間が終わるのだとわかって、有希は座っていた倒木から立ち上がる。
「うん、大丈夫」
「これから傾斜が厳しくなります。格段と冷えるので、防寒してくださいませ。あ、何でしたら私のをお貸ししましょうか?」
「ううん、平気だよ。ちゃんと持ってきてるから」
姫様、という言葉に内心苦笑いを浮かべながら、笑み返す。
「気遣ってくれてありがとう」
「い、いえ」
寒さからか、トウタの頬は少し赤らんでいる。
ルカ以外の人間で知っているのは、トウタと、夏に国境で出会った人が数人といった程度だった。トウタはよく有希の事を気遣い、こまめに声を掛けてくれる。
初めて出会った時と扱いが大分違い、姫様と呼ばれる度に小さな小さな棘のようなものが突き刺さったが、それでも微笑んでいられる程には慣れた。
「本日中にもう少し登り、明日で山を一気に越えます。――明日は厳しいものになります。どうぞ今日はご無理をなさらぬようお気をつけ下さい」
それにも微笑んで礼を言うと、トウタは有希の後ろをちらりと見遣ってから頭を下げ、行ってしまった。
振り返ると、馬を引いたルカが来ていた。
「行くぞ」
「うん。――あ、荷物の中から耳当て取っていい? これからもっと寒くなるんだって」
「……そうだな」
言うと、馬から荷物をとるでもなく、ルカはじっと有希を見つめる。
「?」
なに、と問いかけると、ルカはため息を一つ吐き出して、荷を解き始めた。