132
会議が終わった。アインははぁと息を吐き出して、とぼとぼと歩く。
結局、マルキーに向かうのは有希とルカ、それ以外はリビドムの人間で向かうこととなった。
せめて、ルカの側近であるアインとナゼット――武官であるナゼットだけでも同行させたかったのだが、それは叶わなかった。
「はぁ、何の為にアドルンドから来たんだか……」
アインは家から出ることを固く拒まれた――自分は落ちこぼれだというのに、優秀な兄姉が居るのに、それこそ異様な程にアドルンドに留まるように言われ、言うことを聞かないならばと拘束されそうになったが、ギィスの協力によってからがら家を飛び出して来れたのだ。
それなのに。
「はぁ」
もう一度ため息がこぼれる。
リビドムの人達は皆、とても良くしてくれる。けれどもどこか痛々しいその姿に、アインは心臓が痛むのだ。
この人たちの為に何かできることがあればいいのに。そう思っても、願いは叶わなかった。
「まぁ、僕が行ったとしても、大した事はできないのかもしれないけど」
ルカには留守を頼むと言われてしまったので、それはそれで良いのかもしれない。ルカから信頼されていると思って良いのだろう。
「あの人は、本っ当に何も言わないからなぁ……」
きっと今も、アインに教えていない事が沢山あるのだろう。神妙な顔つきの有希と話をしているのを数度見掛けた事があるし、その時うっかり話をかけてしまったら、ルカは何事もなかったかのように振舞ったが有希が不自然に笑顔を向けていたので、きっと何かあるのだろう。
(すべてを教えてくださいとは言いませんけど、ちょっとは頼って下さいよね……)
心の中で毒づいて、アインは苦笑いを浮かべた。
「一方的すぎるなぁ。……僕だって言えない事、あるのに」
伸びて余計にぼさぼさしてしまっている前髪をくしゃっと掴み、苦いものを飲み下すように耐える。
(考えるな、考えなければ大丈夫)
あぁ、あぁ。心が苦しい。
こんなときは彼女の声を、歌を聞きたくなる。――あの歌を聴いている時だけ、自分自身を確かめられるような気がするのだ。
「っ」
そんなことを考えても彼女はここには居ないのだ。
けれども、生きていた。
また、会うことができるかもしれない。
(考えるな、考えるな)
部屋へ向かう道中、侍女とすれ違う。侍女は会釈を一つするとはっとした顔でアインを見返した。
「……っアイン!」
「え?」
聞き覚えのある、鈴のような声。欲して欲して仕方のなかった声。
まさか。
こんな所で会うはずがない。
けれどもそこに佇んでいたのは、紛れもなく、アインの幼馴染、ティータだった。
「……どうして」
「私は、リビドムの人たちが来て、人が足りないって聞いたからお手伝いに。――アインこそ、どうしたの? 顔色が悪いわよ?」
途端に、涙腺がぶわりと存在を主張しはじめる。堪え切れなくて、アインはぼろりと一筋涙をこぼした。
「――――っ」
慌てて涙を拭ったが、ティータにはばれてしまっていて、微笑まれてしまう。
「相変わらず泣き虫なんだから。――何かあったのね? お茶でも淹れるから、アインの部屋へ行きましょう?」
どこにあるのと聞かれ、こっちと鼻声で言って、やっとアインは歩き出した。
もう、と微笑んでティータがハンカチを差し出す。受け取ってアインはそれでもう一度零れ出た涙を拭う。ずずっと洟をすするが、涙は止まってくれそうに無かった。
ティータはアインの部屋を確認すると出て行き、紅茶の用意をして戻ってきた。
ぐずぐずと洟を啜り続けるアインを尻目に、紅茶を淹れて、アインの前に差し出して、アインの向かい側に座る。アインはそれを受け取ると、一口啜る。鼻の通っていない状態でよくわからないが、それがアインの好きな薄めの紅茶だということだけはわかった。
「会議があったのよね。――何かあったの?」
違うと首を振り、かといって『きみと逢えたから』だなんて恥ずかしくて口が裂けても言えない。
(そんなの言えるのは、ラッドル・メンデくらいだ)
しかし、これといった嘘も思いつかない。どう言おうかと考えていたら、察してくれたのか、ティータはいいわよ、と言った。
「言いたくないようなことなら聞かないわ」
そう言うと、アインをじっと見つめ、ぷっと吹き出す。
「それにしても、本当にびっくりしたわ。アインったら突然泣き出すんだもの。――その泣き虫、直しておいたほうがいいわよ」
くすくすと笑われながら言われているのに、ちっとも悔しくなくて、でもそれが悔しくてたまらない。
「なっ! あそこにティータが居なければ、別にっ……」
「それはそれで隠れて泣くんでしょう? もう、本当にアインは変わらないわね」
(ちがうんだ)
ぎくりと身体が強張る。
(もうあの頃とは、違うんだ。変わらないのは――ティータ、君の方なのに)
自分の分も淹れていたティータが紅茶を啜っている。カップをソーサーに戻すと、思い出したようにぱあっと顔を輝かせた。
「そうそう、私ね、リビドムに居る間にね、町で子供たちに歌を教えているの」
「……へぇ」
「それでね、今度発表会をするんだけど、アインも是非見に来てくれる?」
きらきらと輝くような笑顔を浮かべたティータが、来てくれるわよね、と念押しするように首をかしげる。その仕草が可愛くて可愛くてたまらない。
行く、と素直に言えたらいいのに、言いたいのに、アインは手放さなければならないのだ。
心の奥の濃い血が騒ぐ。
「…………アイン?」
「すみませんけど、そんな暇ないから」
吐き捨てるように言うと、ティータは一瞬傷ついた顔をし、取り繕うように笑う。
「そ、そうよね。アインだって会議とか、これからのこととかで忙しいのにね。私ったらバカね」
ごめんなさいね、とカップを持って立ち上がるティータの声が震えている。
何か言わなきゃいけないのに、言いたいのに。言葉は見つからず、見つけられたとしても、アインはその言葉を口には出来ないのだ。
「それから、申し訳ないけど、まだ仕事が残ってるから」
遠まわしに出て行けと伝える。その言葉にティータの肩がぎくりと強張るのが見えた。
「わ、私も、他にまだ仕事残っていたから行くわね。紅茶、後で片付けに来るから、食器そのままにしていて。――じゃぁ」
震える声で言いながらそそくさと自分のカップを片付けると、ティータは声も出さずに部屋を出て行った。
――木製の床、ティータが歩いた辺りに水滴がぽつり、ぽつりと落ちていた。
その跡を見ながら、アインは紅茶を飲み干した。
「……これでいいんだ」
アインはカップをぎゅっと両手で包み込み、自分に言い聞かせるように目を閉じる。
欲しいと思ってはいけないのだ。欲しいと思ったら、彼女を傷つける以外の想像が見つからないのだ。
「だから、これで良かったんだってば……」
ほろほろと零れる涙に言い聞かせる。
「ティータ……」
鈴のような声で歌う、鈴のような声で笑う。
決して欲してはならない。