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意識の深淵からすぅっと引き上げられる。耳に小鳥のさえずりが入る。それから、部屋に差し込む朝日の明るさも、瞼を通して有希に伝わる。
「ん……」
眠気は有希に絡みつくようだった。意識は覚醒しているが身体はどこか重く、瞼を開くのを拒むようだ。
(朝……起きなきゃ)
わかっている。起きなければいけない。そして今日は大事な日なのだ。
「――――っ!!」
突然目がばちりと開く。慌てて身体を起こす。
「そうだ、あたしっ」
そこまで言って、ぱちぱちと目を瞬かせた。
「…………あたし。あれ?」
何か重要な事があったはずなのに、それが何なのかわからない。そもそも、重要な事があったのかすらよくわからない。よくわからないが、違和感だけが有希の中にしこりのように残っている。
「……あれ……」
違和感のありかを探すように辺りを見回すが、そこは有希の宛がわれた部屋で、ベッドサイドには昨日と同じように――服は違うが、着替えが置いてある。
「いつの間に寝てたんだろう……」
昼間にルカと庭を散歩したのは覚えている。それから、部屋に篭って考え事をしていたら頭痛がしてきたこと。少し休憩だと言って仮眠をとったことまでは覚えている。
だとすると昨日の昼過ぎからずっと寝ていたということになる。
けれど、その間に何かがあったような気がする。起きていた筈なのだ。
「夢でも、見てたのかなぁ……」
なにかとても気になるのだが、微塵も思い出せそうにない。
仕方ない。そう自分に言い聞かせ、起き上がって洗面器に水差しの水を入れ、顔をばしゃばしゃと洗った。
着替えをしてから洋間への扉を開くと、部屋には既にルカが居て、ソファに座っていた。
「おはよう」
「あぁ」
振り向いたルカに何故かじっと見つめられた。なんだろうと首をかしげ、そういえばルカなら有希が昨日何をしていたのか答えてくれそうだと思った。
「ねぇルカ。あたし、昨日ずっと寝てたの?」
「……なぜだ?」
「なんか……起きていたような気がするんだけど、全く覚えてなくて」
「夢だろう。――寝すぎて夢と現実を混同したか?」
「……やっぱり、ずっと寝てたんだ」
はぁっと一つため息を吐き出す。すると扉を叩く音が聞こえて、次いで侍女から食事を運んできたと告げられた。はぁいと返事を返すと、今度はルカがため息を吐き出した。
「……お前も、俺と同じ部屋になった理由を少しは考えろ」
ため息まじりに言われたが、それが何を指すことなのかわからなかった。
「ルカと、同じ部屋になった理由?」
首をかしげると、ルカはもう一度ため息を吐き出して、苦い顔をした。それと同時に扉が開き、朝食が運ばれてきた。
朝食後、会議の時間までの少しの猶予を、有希は散歩にあてていた。白い息を吐きながら、城の古ぼけた庭を歩き回る。その姿を後ろから、無言でルカが着いてくる。
――本心をいえば、リビドムも、この世界も、全て何とかしてからあちらに帰りたい。
けれどもそれはとても都合の良いことで、そうできないことは分かっている。
リビドムの王女になると言ったその口で、日本に帰るだなんて口にできない。けれどもリビドムの民は、有希を――王女を求めている。
(ルカはあたしの思うようにしたらいいって言ってくれたけど……)
それはとても自分勝手なもので、皆に迷惑をかけてしまうのは必至だ。
でも。だけど。やっぱり。色々考えても、どの結論の後に必ずその言葉がまとわりつく。どう考えたって行き着くところは同じなのだ。――なぜだかもう、心の中では決まってしまっている。
はぁっと息を一つ吐いて、自分の心に気合いを入れる。もう心の中に決まってしまっている気持ち。それを皆に伝える言葉、勇気を蓄えたい。
有希は立ち止まって、くるりと振り返る。ルカも立ち止まり、どうしたとでもいうような顔を有希に向けている。
「ルカ、あたし、みんなに酷いこと言うかもしれない。酷いこと、やるかもしれない」
ルカの仏頂面は相変わらずだけれども、少しだけいぶかしげだ。
「それでも、あたしの味方で居てくれる?」
しばらくの沈黙の後、ルカは有希を小馬鹿にしたように鼻で笑った。
「昨日言っただろう。お前が何を選ぼうと、願いを聞いてやると」
昨日と同じ時間、同じ場所でまた会議が始まった。昨日と違うのは、セレナとヴィーゴの姿が見えない。
有希はやはりどことなく居心地の悪い感覚が拭えないでいた。昨日は考え込みすぎて頭痛までしたというのに、それから何も考えたりしていないのに、有希の気持ちは不思議と決まっていた。そこもどこか不気味だ。
「――昨日よりすこし人員が減っておりますが、始めたいと思います」
リフェノーティスの声が響き、ぴりぴりとしていた空気がより緊迫する。
「まずは…………ユーキ様のご意思を聞かせて頂きたい」
瞬間、皆の視線が遠慮なく突き刺さる。
(あたしの、意思)
有希は胸の前で右手を握りこみ、それから視線を上げた。
「あたしは、やっぱり戦争には反対。十日熱の調合の仕方とか材料とか、そういうのと取引してでもいいから、今の関係をなんとかして欲しい」
それから、一息ついて唇を引き結ぶ。
「それが、あたし。……リビドムの王女としての、命令です」
もともと静かだったその場に、更に緊張が走った。
「あたしが物を知らないのは知っています。リビドムの事も、この世界の歴史も全然知らない。でもあたし知ってるの。知ってるんです、マルキーの王子達を。この中の人達で知っている人も居るかもしれない、接したことがあるかもしれない――パーシー王子。彼はリビドムが酷い扱いを受けていることに心を痛めていた。そのお兄さんのパティも……とってもやさしい人だった。そんな二人が居る国が、話を聞いてもらえない訳ないと思うの。きっと、きっと理由があると思うの。話せばわかってくれると思うの。…………そんなあたしが言うのもおこがましいけど、やっぱり戦争は嫌」
そこまで言って黙りこんでいると、沈黙を破ったのはガリアンだった。
「……よく、ご決断くださいました」
はっと顔を上げると、ガリアンは有希に笑みかけていた。
「今、王都に来ている人間たちは皆、マルキーへの憎しみと怒りで滾っています。それこそ、私達老人が何を言っても止まらぬ勢いで」
ガリアンは一息吐くと、言葉を続けた。
「ユーキ様はご存知ないかもしれませんが、その色の瞳は、常人とは違うものを見ると言われております。ご自身は普通だと仰るかもしれませんが、その普通というものが私共と違うのです。――それが、リビドムの王たる資質であるのです。だから小国ながら、リビドムは生き長らえてきたのです。その資質を持つ貴方様がマルキーを攻めるのをやめろと仰るなら、皆言うことを聞くでしょう」
「つらいことを押し付けてしまって、本当にごめんなさいね」
リフェノーティスがそう言って微笑む。その笑みはどことなく力がなく、目の下にはうっすらと隈が見えた。
「では、マルキーに進軍ではなく、交渉という形から入って行きたいと思います――」
そう告げると、会議は誰が行くか、どのようにマルキー王家と連絡を取るかという話に変わっていった。
(ごめんなさい)
有希は心の中で呟いた。