13
隣の部屋には、十五、六歳の美少女が、不安げな顔をして座っていた。抜けるように白い肌と、肩口までふわふわとした栗色の巻き毛が人形のようだ。瞳の色は、髪と同じ栗色の瞳だ。
少女は有希と男の姿を見ると、立ち上がって駆け寄ってきた。
「お兄ちゃん! 大丈夫だった?」
言うと、隣の男が快活に笑う。二人で笑い合ってすぐ、少女は有希を見た。
「あなたも、大丈夫? 酷い事されなかった?」
「え、えぇ。大丈夫」
ワンピースの胸元をぎゅっと掴むと、服が破れていることに気付いた少女が、悲壮な顔をした。
「ひどい……さ、早く着替えましょ? 少し大きいかもしれないけど、その服よりかはマシだわ」
そう言うと、有希の手を握る。クロゼットの前に案内されて、比較的丈の短い藍色のワンピースを選んだ。
着替えると、肩口が少し大きいが、大分気が楽になった。
座ってと少女に促されるままに椅子に座ると、テーブルに三人分の紅茶が置かれた。
「あ、あの。さっきは本当にありがとうございました」
頭を下げる有希に、男が笑う。
「なぁに、気にすんなって。困ったときはお互い様だろう」
でっかい手が向かいから伸びてきて、有希の頭をわしゃわしゃと撫でた。
少女が飲んでいた紅茶をソーサーに置いて、さて。と言う。
「挨拶が遅くなっちゃったわね。私はティータっていうの。あなたの名前は?」
「ゆ、有希」
「ユーキかぁ、素敵な名前ね」
少女がふわりと微笑む。心なしか、いい匂いまでしそうだ。
「そういえば自己紹介がまだだったな。俺はナゼットだ」
ティータ。ナゼット。と、聞きなれない横文字の名前を頑張って覚えようと暗唱した有希は、聞きなれないのに聞き覚えのある名前にはっとした。アインが何度か言っていなかっただろうか。
「ナゼット!」
うおぉ。と、驚いた顔でナゼットがなんだ。と、問い掛ける。
「あたし、その名前聞いた事あるわ。ナゼットってこの世界にそんな沢山居る名前なの?」
「さ、さぁなぁ。昔、寄宿舎に居た頃ナゼットって奴がもう一人いたが」
「そっか……えぇっと……なら、アイン! アインは知ってる?」
ナゼットとティータが同時に驚く。
「アインって、アイン・レーベントの事か?」
聞いた事の無い名前に首を傾げる。もしかして、苗字だろうか。
「あ、ごめんなさい。アインっていう名前しか知らないの。ええと、藍色の髪の毛で黒い瞳をしている……」
「多分、間違いなくわたし達も知ってるアインね」
ふと、ティータが有希の手の指輪を見る。
「ねぇユーキ。さっき気付いたんだけど、騎士はどうしたの?」
「え?」
騎士。という事は、ルカのことだろうか。どうしたの、という問いかけは一体何なのだろうか。
戸惑っていると、ティータが有希の右手を取ってランプにかざす。
「……紫ね」
「紫だぁ!?」
ナゼットが驚いて有希の手を引っ張る。
「あぁ……紫だこりゃ」
この紫に光る銀色の指輪が、一体何なのだろうか。さっぱり意味がわからない。
「あの、みんなこの色じゃないの?」
「あら。ユーキは知らなかったの? 騎士の色号によって変わるのよ」
「……騎士に色号なんてあるの?」
二人が絶句する。何か不味い事でも言ったのだろうかと、なにか取り繕おうと思っても何も言葉が出てこなくて、ただあわあわとしているだけだった。
「ユーキ。紫が一番上位なのよ?」
「えっそうなの?」
じゃぁそれだけ、あの人は偉いということになるのではないか。そう思うと改めて、何故自分が主なんてものをやっているのだろうと指輪を見つめた。
「紫の騎士なんて、それこそ国で数人……」
ティータが言って、こちんと固まる。それに不審がった有希とナゼットがティータを見つめる。
「待って」
「ど、どうしたティータ」
「ユーキはアインと一緒に居たのよね?」
「う、うん」
なんだか尋常じゃない空気に飲まれてどもる。
「そして、ユーキの騎士は、紫の騎士」
「おう、そうだな。それがどうしたん……」
ティータが立ち上がってきっとナゼットを睨む。
「お兄ちゃん、気付かないの? ユーキの騎士ってルカ君に決まってるじゃない!」
「お? ――おぉ! そうだな、そうだよな…………えぇ!?」
突然興奮しだした二人に、有希はえ、え。と戸惑う。
「でもあのルカが、まさかまた契約するはずはないだろう」
「だけどそうしたら、誰がユーキの騎士だっていうの? アインは騎士にすらなれそうにないけど」
討論をする二人は有希を見る。
「で、ユーキの騎士はルカ君なの?」
人形のように綺麗な顔ですごまれると、それはそれで迫力が出る。ぶんぶんと有希は首を縦に振った。
「ほらね! ――でもよかった。これで毎晩酒屋に行く地獄から解放されたわ」
「酒屋?」
「そう。昔から言うでしょ?酒のあるところに情報は集まるって。だから、ルカ君たちも同じ町にいるなら酒場に行けば会えると思ってたの。でももうユーキがいるから大丈夫ね」
「あ……でも、あたし泊まってる宿とかもわかんなくて」
広いこの町で、文字も読めない有希は、迷子同然だ。ルカ達の探し人に会えたとして、どうやって合流できるのだろうか。
「ユーキ。何言ってるの? ルカ君の居場所なんてすぐわかるでしょ――お兄ちゃん、騎士証出して」
ナゼットが懐から銅のような色の騎士証を出してティータに差し出す。
大人のこぶし大の大きさのそれは、ルカも持っていなかっただろうか。金色に光っていたが、それは紫色にも見えた気がする。
「はい、ユーキ」
ティータがチェーンを有希に渡す。意味がわからず戸惑っていると、微笑んで説明してくれた。
「ユーキは何も知らないのね。あのね、この指輪は引き合っているの」
ティータが自分の指輪を有希に見せる。それは有希のものよりも茶の色味が強い気がする。
「騎士証を持ってね、指輪を銀の鎖に繋いで垂らすの」
有希の右手中指から指輪を抜いて鎖に通す。そして端と端を合わせて、ティータが持つ。
指輪はしばらく揺れていたが、ぴたりと止まる。じっと見つめていると、今度は指輪が淡く光りだした。
「そうすると――ホラね。あっちの方にルカ君がいるわ」
指輪は光ったまま、扉の方に浮いていた。
この指輪に、そんな効果があったのか。と、一人で驚いていると扉を叩く音が聞こえた。
三人で顔を見合わせる。ナゼットが頷いて扉の方へ歩いてゆく。
ティータは無言で有希を奥に促す。ティータと有希はベッドの脇に屈み、扉の様子を伺った。
「さっきの人たちかしら」
「ナゼットさんが縄で縛ってたからそれはないと思うけど……」
ナゼットがランプの灯りを消す。ふっと薄暗い闇が落ちる。
用心深く扉が開く。しんとした部屋の中に、誰かが入ってくる気配がした。
「っ!」
ナゼットが動いて侵入者の首を取ろうとする。しかし、幾分早く剣を抜いていた侵入者が、ナゼットの首に剣を突きつける。
「……よぉ。久しぶりの再会に、えらい挨拶だなぁ」
そこには金髪の騎士――ルカがいた。
「ルカ君!」
有希の後ろにいたティータが走って駆け寄る。
「ティータ」
少しだけ驚いたような顔で、ティータを見る。次いでベッド脇の有希と目が合うと、すっと冷めたような目で見られた。有希はどことなく咎められているような気分になった。
ルカの後ろからひょっこり顔を出したアインが、ナゼットとティータの名を呼ぶ。
ルカは小さくため息をついた。
「――どういうことか、説明してもらおう」
連れ去られた事を怒られるんじゃないだろうかと思うと、気が重たくなった。