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裕子が悪戯な笑みを浮かべて笑っている。
「ねぇ有希ちゃん。今、恋してる?」
そこは自宅のマンションのリビングのテーブルで、有希と裕子は向かい合わせに座っていた。
裕子はひじ立てして組んだ手に顎を乗せ、ひどく楽しそうな顔をしている。
(恋?)
「そ、恋」
(そんな暇、ないよ)
「あらぁ。駄目じゃない。何の為にカー君と二人でお見送りしたんだと思ってるの?」
(……だって、パパとママが言うように、あたし別に大きくなったりとかしてないし)
そう言うと、裕子は一瞬きょとんとし、次いで両手を広げて笑った。
「そんなの関係ないわよー。愛や恋に年齢は関係ないの」
(そんな事言われても……)
んもう、つまんないわねぇ。ふてくされるように言うと、閃いたよう手を合わせ、にテーブルに身を乗り出す。
「じゃぁじゃぁ、気になる人とか、いないの?」
(気になる人?)
「そう! 有希ちゃんったら誰に似たのかニブチンだから、自分の恋心に気付いていないっていう可能性もあるからね! で、どうなのどうなの? 一緒に居ると落ち着くとか、逆にドキドキしちゃって仕方ないとか、有希ちゃんに心底尽くしてくれるとか、そんな人居ないの!?」
「そ、そんなの、いないし!!」
迫ってくる裕子の顔を押しやるように両手を押し出すと、ひんやりと冷えた空気が身体に降りかかり、有希ははっと目を覚ました。
「…………ゆめ?」
目をぱちぱちと瞬かせて、左右を見渡す。見覚えの無い部屋だった。紛れも無く、自宅ではないことはわかった。
「じゃぁここ、どこ……?」
むくりと起き上がる。背中にもひんやりとした空気が当たる。それが寝ぼけた頭を覚醒に導く。
(そうだ。ここ、リビドムの王宮だ)
「……なんであんな夢見たんだろう。そんな暇、本当にないのに」
はぁっとひとつため息を吐き出し、今の自分の状況を思い出そうと辺りを見回す。
外はもうとっぷり暮れていて野鳥の鳴く音がかすかに聞こえる、夜の早い時間なのか、遅い時間なのか、見当がつかない。
昼食を食べてから、これからの事を考えすぎて頭痛がしてきたので昼寝をした。そこからの記憶が無い――ということは、そのまま寝続けてしまったのか。
「もう……みんなの所為だ」
変な夢を見たのも、寝すぎてしまったのも。皆が有希にあれこれ言うからだ。
そう責任転嫁し、もぞもぞとベッドから這い出る。途端にひんやりとした空気が体中を襲う。目が闇になじむのが待てなくて、手探りで上着を探す。上着を見つけるとさっと着込み、寒さから少し逃げられた事に安堵の息が漏れた。
目が闇の中でもおぼろげに物をとらえるようになると、扉を探して開ける。暖炉は相変わらず炎を煌々と揺らしていて、そしてとても暖かかった。
滑り込むように洋間に入る。薪の燃える橙色はまろみを帯びたやわらかさで部屋を灯す。
「……目がちょっと冴えちゃったなぁ」
有希の寝室へ伸びる扉ともう一つ、ルカの部屋の扉をじっと見つめる。――きっともう遅い時間で、ルカも起きていないのだろう。
はぁとため息を出して、ソファに座る。ふかふかと柔らかなソファの傍のテーブルには、水晶が二つ。カップの取っ手のようなものが取り付けられておいてある。――それは明かりの代わりらしい。魔術士の力が込められていて、それが人の念により力が発現する――とにかく有希にはよくわからなかったが、その取っ手を持って明かりが欲しいと念じれば水晶が蝋燭の代わりをしてくれるそうなのだ。
(外の風でも吸おうかなぁ……)
結局のところ、明日何と言おうか決まっていないのだ。昼間は考えすぎて頭が痛くなったからと睡眠に逃げたが、今度はそういう訳にはいかない。
「っし、行こう」
水晶の一つを取り、上着の袂を手繰り寄せて部屋を出た。
冬の夜は、月がコンタクトレンズのように薄い形をしていた。もうすぐ新月がやってくるのか、それとも満月に向けて大きくなっていくのか。
長いこと月を見ることが無かった有希にはわからなかった。
昼間とはまた違った雰囲気だ。昼間は廃墟みたいだったが、その中にもどこか暖かみがあった。それなのに今は、吹く風は突き刺すように冷たく、欠けたり、崩れ落ちている壁やあちこちに散らばる枯葉や枯枝が有希を拒絶しているようだ。
はぁと息を吐き出すと、吐いた分だけ白く染まる。
丸みを帯びた大きな岩に座り込む。岩も有希を拒絶しているのか、冷たさを強調してきたが無視をして座り込む。
それからいくらか考えたが、やはり昼間ルカと話をした時から進展はない。
やはりこちらの世界にずっと居続けるだなんて考えられないし、かといってこちらを放り投げてあちらに帰るだなんて事も考えられない。
「……ホント、超宙ぶらりん」
自嘲の笑みを浮かべて、冷えてきた耳を暖めるように両手を添える。
「しかも王女の命令なら仕方ないって何? あたしがリビドムを建て直しませんって言ったらそうするの?」
わかっている。そんなことを言ったってそんなことにはならない事を。――所詮お飾りなのだ。
「例えお飾りだったとしても――こんな宙ぶらりんのあたしが、王になんてなっていいはずがないのに」
はぁっとため息を吐き出す。少し大きな白い塊が有希の前にほわんと出来る。
「この目が証明してる。かぁ。――どうしてパパ、そんな重大なこと教えてくれなかったのよ。いや、この目が珍しいっていうのも、リビドムの王家くらいにしかいないって事も聞いてたけどさぁ……まさかパパが王様だったとか信じられないでしょ」
夜空を見上げて快斗に向かって文句を言う。――ガリアンの指輪は空を指したという。それなら、この空は有希の居た地球――日本と繋がっているのだろうか。
「ホント、あたしが決めていいことなの……?」
岩に体育座りで夜空に問いかけるように呟くと、手元がきらりと光ったような気がした。つと視線を手元に遣ると、別段変化はなく、ただ右手の中指に指輪が嵌っているだけだった。
おもむろにその指輪を外して、月にかざす。
玩具のように小さなそれは、確かに有希がこの世界に居て、この世界の人間と繋がっている事を示している。
『お前がそう望むのなら、最大限叶えられるように努力しよう』
『なら、それでいいだろう』
『お前は今やりたいことをやって、やりきってから考えればいいだろ。無理なら無理と言えばいい』
「…………本当に、いいのかなぁ」
『だからそう考え込みすぎるな。――お前はただ、笑っていろ』
ルカの言葉が響く。どきんと心臓が高鳴ったような気もするが、知らないふりをする。
指輪を付け直す。不思議と指輪は冷えておらず、まるでそこにあるのが自然だというように有希の中指にすっと馴染む。
この指輪の繋がる先――ルカは、有希のしたいようにしろと言ってくれた。誰が否定しようが肯定してやると。有希の願いを最大限叶えてやると。
それならば、有希は。
ルカの言葉に、どう応えられるだろう。
「……あたしは、リビドムのみんなにも、マルキーやアドルンド、この世界のみんなにも笑っていて欲しい。みんなが笑える世界になったのなら、あたし、心置きなく日本に戻れる気がするのに」
そう呟いてはっとする。
耳元にあてていた手を離し、思いっきり頬に向けてたたきつける。手と頬はぶつかってべちんという音とじんと広がる痛みを生み出す。
痛みに顔が歪むが、それでもにへらっと笑顔を浮かべる。
「――なんだ、決まってるんじゃん」
ぴょんと岩から飛び降り、両手をぎゅっと握り締めて自分に気合いを入れる。
「ルカがそれでいいって言ってくれたんじゃん。やりきってから考える! だからもっと自信持ちなさいよ、春日有希、アンタにならできるんだから!」
水晶の取っ手を乱暴に掴み、ずんずんと歩き出す。
「お飾りはお飾りでも出来る事、あるじゃない! リフェだって言ったもん。あたしの命令なら聞くって。――――あたしは、絶対に争いなんて起こさせない。絶対、この世界を元に戻してやる!」
そう息巻いて、ふと脳裏によぎった人物に思いを馳せる。
「パパも――カイトさんも、きっとリビドムが平和であることを願ったんだと思うし」
しんみりと息を吐いて、水晶の取っ手を持つ手に力を込めなおして、もう一度歩き出した。