125
この先のことが不安で仕方なくて眠れないだろうと思っていたのに、差し込む朝日と鳥の鳴き声に起こされるまで深い眠りについていたらしい。
「朝……」
働かない頭ながらも、自分がいつの間にか眠ってしまったことを理解した。
あたりを見回し、そこが昨日自分に宛がわれたリビドム城――王宮の寝室であることを思い出した。そして、ベッドサイドのテーブルに着替えを見つけた。誰がいつ用意したのだろう、そんなことを考えながら着替えに手を伸ばし、もそもそと着替え始めた。
部屋にあった水差しと洗面器で顔を洗って部屋を出ると、洋間でルカが既に食事をしていた。
メイドが有希に気付くと挨拶をし、別のメイドが有希の分の食事も用意し始めた。
「お、起こしてくれればよかったのに」
ルカは食事を始めたばかりのようで、ほとんど手がついていなかった。
「まだ時間に余裕がある。――間に合わなくなる頃まで寝ているようだったら起こすつもりだった」
「時間?」
ルカはちらりと有希を見る。さらさらと細い金髪が揺れた。
(寝癖とか、絶対つかないんだろうなぁ)
有希は自分の頭に手をやり、後頭部にある少しだけ跳ねてしまっている毛束を撫で付けた。
「食事を終えたら、今後の事についての会議がある。――お前にも出席して欲しいそうだ」
「会議」
今後のことについて。その言葉に、有希の心は少しだけ躍った。
――確実に、少しずつではあるが、前に進めている。
有希とルカ、それからアインとナゼットは食後に合流をし、メイドに連れられるがままに大きな部屋に通された。
そこには既に人が椅子に座っていて、リフェノーティス、セレナ、ヴィーゴ、いつか国境で会ったトウタと数名の人物、それからガリアンとダンテの姿があった。骨と皮のように細かったガリアンは少し肉付きが良くなっていて、かつてよりも顔色が良かった。
「お久し振りです」
そう笑みかけると、ガリアンは仰々しく頭を下げる。
「……御元気そうで、なによりでございます」
なんでそんなに改まった口調なんだと聞こうとしたら、リフェノーティスの言葉に遮られてしまった。
「では、早速ですが――」
そう言って、皆の自己紹介をし、軽く挨拶をして話が始まった。やってきたアドルンド兵の処遇、今ある兵糧の量、兵の数。
淡々とそれらを話したところで空気がぴんと張り詰めた。そして厳かな表情を浮かべたガリアンが、ゆっくりと口を開いた。
「私どもといたしましては、日を見て……近日中にマルキーに攻め入る方向で意見が合致しております」
「!」
「先だって、マルキーには未だ十日熱が跋扈しておりますし、最近の魔物の騒動もある。アドルンドとの戦争状態が続き兵も疲弊している。――これ以上の機会はないと踏んでいます」
有希は信じられない思いで見ると、リビドムの人たちは皆頷きあっている。
「アドルンドから来てくださいました皆様には、協力していただくつもりはありませんのでご安心くだされ。――人が出払うのでもてなしがで行き届かなくなるやもしれませんが、そこの辺りは御容赦願いたい」
「ガリアンさん……?」
「我々は二十年余り、マルキーに虐げられてきた。雪辱を晴らすには、今しかないのです」
ぴりぴりと張り詰めていた空気に、怒気がはらんでくる。
許せない、赦せない、ゆるせない。その言葉は発せられることはないが、びしびしと伝わってくる。
戦争を、起こすのだ。
再びリビドムを取り戻すための、戦争を。
平和を、安寧を手に入れるための、戦争を。
わかっている。そうしたいということを耳にしていた。仕方が無いことなのかもしれないとも思った。
けれども、やはり有希にはその戦争の意味がわからない。
「どうしても、争いを起こさなきゃいけないの……」
つぶやいた声は小さいものであったが、子供の声というものはよく通るもので、皆が一斉に有希に視線を送った。
「戦わないで、人と人とが傷つけあわないで、リビドムを取り戻すことってできないの……?」
「……無いわけではない」
あての無い有希の疑問に答えたのはヴィーゴだった。
「マルキーが取引に応じれば、の話だがな」
「取引?」
「……十日熱の薬だ。あれから更にリフェノーティスが改良し、快癒率が上がったものがある」
「それの作り方を教える代わりに、リビドムを返してって言うの?」
「そういうことだ」
「……ならそうすればいいじゃない。どうして戦いを起こそうとするの? 戦争なんて起こそうとしないで、はじめっからそうすればいいじゃない!」
立ち上がる時に椅子がガタンと音を立てた。
辺りがシンと静まる。有希は怒りで顔が赤くなるのを感じた。
「……今まで自分達が傷つけられてきたから。それが許せないから?」
返事が無い。誰も答えようとしないことが、肯定を暗に示している。
「リビドムとしてのプライド、矜持を踏みにじられたから? それが許せないの?」
その通りだというような顔で有希を見つめる顔がいくつかあった。
「……そんなもののために、また人々を傷つけようとするの? ――あたしには理解できない。あたしは、そんな事を手伝う為にリビドムに来たんじゃない。この世界がまた元に戻るようにしたいだけなの。……あたしはリビドムがどんな惨状にあったのか知らない。知らないけど、許せないからっていうだけで争いを起こすのなんて理解できない。あたしは絶対に手伝わない。たとえルカが手伝うって言ったとしても、どんな手を使ってもそんな事させないからね」
鼻息を荒くしてルカをひと睨みし、ドスンと椅子に座る。
(あたしを会議に連れてきたっていうことは、あたしにだって発言権ってものがあるんでしょう)
半ば居直り気味に開き直った有希は、ふんと鼻を鳴らした。
「……だ、そうだ。私は主人に着いて来た。基本的には彼女の意向に沿うつもりだ」
ルカの声音に少し呆れが入ってたので、もう一度睨みつけた。向かい側に座っていたナゼットが噴出すのが視界に入る。
「…………そう。ユーキの気持ちはわかったわ」
長い長い沈黙を経て、口を開いたのはリフェノーティスだった。ふわりと穏やかな顔に、有希の心は少しだけ落ち着く。しかし、穏やかな顔つきとは裏腹に、厳しい声が発せられる。
「それは、命令ととらえて良いのかしら?」
「め、命令?」
「そう。リビドム王女としての」
「……………………は?」
「私達はね、ユーキ。貴方を、いえ、貴方様を、リビドム王、ロイコ・カーン・リビドム様の娘と認めております」
「ちょ、ちょっと待って」
「カーン様の指輪を所持していたこと、そして何よりもその瞳の色が証明しているの。――ご存知かしら。紫の瞳を持つのはリビドム王家の人間以外居ないっていうのを」
――紫の瞳を持つのは、リビドム王家の人間以外居ない。
いつか聞いたことがあった。けれども自分がまさかその人物であるとは想像した事なんてない。
「ガリアン・マノタントの指輪は消滅してません。ですからカーン様はまだ存命だということは知っております。けれどもお戻りにならない。――ということは、何らかの事情があって戻れないのでしょう」
「ちょ、待ってってば……」
頭が追いつかない。
――――王女? 一体誰が王女だというのだ。
「なので、私達は貴方様に次期王となって頂きたいの」
話に付いていけない頭が、その言葉の意味を理解しようとフル回転するが、空転しているように中身を掴みあぐねる。
「……次期、王?」
あえぐような声が出る。自分を落ち着かせようと何度も深呼吸を試みるが、浅い呼吸を繰り返すばかりで、深く息を吸い込めない。
「貴方様はまだ幼いし、政や国のことに関して知らないことも多い。――けれども、リビドムにはあなたの存在が必要不可欠なの、ユーキ様」
(ちょっと待ってよ)
今そんな事を言われたとしても、思考が追いつかない。大体どうして様付けで呼んだりするのだ。よそよそしくて仕方がないではないか。
「驚くのも無理はないわ。ユーキ様、姫だって知らずに育ったんでしょう?」
「ちょ、ちょっと待って…………」
突然に突きつけられてしまった。この世界にやってきてから、考えないように考えないようにとしていた事を。
「…………」
リビドムが再び手に入るとするならば、自分にできることなら何でも手伝いたいと思っていた。しかしそれは一時的なもので、それがずっと続くものだと考えないようにしてきた。
――だって有希は、この世界の人間ではないのだ。
この世界にやってきてから考えないようにしてきた。
自分自身が、この先どうなっていくのかを。どうするべきかを。
この世界に留まり続けるのか、それとも快斗があちらの世界に渡ったように、同じ轍を踏んで帰るか。
考えてもわからない。わからないから考えないようにしていた。それなのに今こうやって唐突に選択を迫られてしまった。
「……ごめん。ちょっと、時間をください……」
リフェノーティスは慈愛のこもった笑みを浮かべる。
「――では今はここまでにして、ユーキ様に考える時間を差し上げましょう。ユーキ様、後で貴方様が選ぶことでどういう利点悪点が発生するかお教えいたします」
リフェノーティスがそう言うと、皆が賛同するように頷く。
「あまり時間を設けられなくて申し訳ないけれど、明日の朝には答えを出して欲しいの。――私達は攻め込みたいけれど、貴方様がそうするべきではないと仰るのでしたら従います。では」
リフェノーティスが散会の挨拶をし、皆それぞれ席を立つ。
「…………ルカは、知ってたの」
「そうだろうな。という程度にはな」
「…………そう」
どっと脱力感に襲われる。まだ頭は先ほどのリフェノーティスの言葉を噛み砕けていないようで、ぼうっと霞がかったようだ。
「お前は考えたことがなかったのか。父親がこちらの人間なんだろう」
「そんなの、ないよ……」
そんな事、考える余裕すらなかった。
幾人かが部屋を出て行く。そんな中、セレナが有希のもとへ駆け寄ってきた。
「ごめんなさいね、ユーキちゃん。リビドムに着く前には言おう言おうと思ってたんだけど、いろいろあって言えなくて、驚かせるようなことになっちゃって」
いろいろ。というのは魔物の存在のことだろう。そういえば魔物騒動の辺りから、セレナ達と接する機会はほとんどなくなってしまっていた。
「……あたしが、この国の、王女…………?」
顔を上げる。ルカ、ナゼット、アイン、リフェノーティス、セレナ、ヴィーゴがそれぞれ有希を見つめていた。
(あたしの言葉で、これからのリビドムの行動が変わる)
ぞわりと背筋が粟立つ。
(そんな責任の重いこと…………あたしに決断なんてできないよ)
「だってあたし」
皆に言い訳するような言葉が出る。
「あたしはただの学生だし、何が正しいのか、何が正しくないのかすらわかんないし」
リフェノーティスは教えてくれると言った。けれども、有希が正しい選択をできるかと問われれば、是とは答えられない。
「ロイコ……なんとかっていう名前の人、知らないもん」
責任転嫁はなはだしいとわかっていても、愚痴がこぼれる。
「あたしのパパの名前は、春日快斗だもん」
「カイト?」
「そう、カイト。春日快斗」
セレナの声が降ってきたので顔を上げる。セレナは両手を口に当て、数歩あとずさる。橙色の目には驚愕の色が浮かんでいる。
ヴィーゴとリフェノーティスが何か感付いて、しまったという表情を浮かべる。
「カイト………………リディー………………」
「セレナ? ……セレナ!! 落ち着きなさい!」
セレナがぶるぶると震えだす。ヴィーゴが伸ばした手が、セレナによって叩き落とされる。
「いやぁあああああああああああ!!!!」
ぷつんと何かが切れてしまったように壊れたセレナは、つんざくような悲鳴を上げて暴れだした。