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リフェノーティスと再会した翌日の夕方には、リビドム城に着くことができた。
久方ぶりに会ったというのにリフェノーティスとの会話はほとんど無かった。いろいろ聞きたい事があるから、と時間を見つけてリフェノーティスに話をかけようとしたが、リフェノーティスは「移動で疲れてるだろうから、諸々の話は王宮に着いてからにしましょ。……私も、話さなくてはならないことが沢山あるから」と、荷の代わりに怪我人を乗せた荷車を引きながら言った。お陰で何も聞くことはできなかった。
王宮――王の棲む場所であるのだけれども、それは城の敷地の中にある。そしてリビドム城は、アドルンド城よりもフォル城よりも小さかった。それは、他の二国に比べてリビドムが小さいということを象徴しているのだろうか。とにかく、王宮は思っていたよりも小さかった。広大な敷地にぽつんぽつんと建物がそびえている。一番奥にある一番大きな建物が王宮のようだったが、遠目から見てもやはり少し小ぢんまりとしていた。
すこし古ぼけたその城や王宮は、それでも有希たちにとっては希望そのものに見えた。それほどに、疲弊していた。
「リビドムに残っていた奴らはこの北側――王城の北には崖があんだけど、その崖の下にある王都に集まってる。その方が安全だしな。ユーキとセレナさん達が出てってしばらくしてからここに来て、片付けやら掃除やらしてたんだよ。――リビドム城って長いこと使われてなかったみてぇでさ、まじ廃墟だったんだぜ、廃墟。……まだ崩れた外壁とか片付けられてねぇけど、一応人は住めるくらいにはなってんぞ。みんなが手伝ってくれたんだ、感謝しろよ」
リビドム城に入る前の道中、エストがそんなことを言っていた。そんなエストにリフェノーティスが「あら、王城を綺麗にするのは国民の義務よ」と当たり前のように言っていた。それから
「リフェは掃除なんて微塵もしてなかったじゃねぇかよ!」
「あら、私は力仕事専門なの」
「国民の義務なんじゃねぇのか」
「人には向き不向きがあるのよ。いい勉強になった?」
というやりとりがあった。
二人の明るさは疲弊しきった有希たちにはあたたかかった。ところどころから忍び笑いが聞こえたりしたことに、有希は安堵したものだった。
城の入り口――城門に到達すると、わらわらと人が出てきて、人々は次々に暖かい言葉を掛けてくれた。
「さぁ、荷物はその辺りに置きっぱなしにしていいわ! 私たちが運ぶから! みなさんのお部屋に順番に通すわ。――兵士達はこの国の騎士舎に、だけれど。アドルンドより過ごし辛くても文句は聞かないわよー」
リフェノーティスが大きな声をあげて指示を出す。リビドムの人々は兵から荷物を受け取ると、順々に連れ出そうとする。兵達はどうするべきか戸惑うようにルカを見たが、ルカがこちら様の好意に甘えようと言うと、こわばった顔をほぐれさせ、それぞれ寄宿舎に向かって歩き出した。
度重なる魔物との戦闘――しかも率先して戦いに紛糾していたセレナがやってきて、とても元気そうにリフェノーティスに声をかける。
「リフェノーティス、ユーキちゃん達のお部屋はあそこでいいの?」
「いえ、賓客のお部屋を用意してあるわ。あなたとヴィーゴは昔の部屋を片付けてあるから」
「あら、気の利くこと。――ユーキちゃん、美青年王子サマ。王宮へは私が案内するから着いてきて。――ヴィーゴ! 私の荷物運んでおいてね!」
セレナが手を上げて大きな声で言うと、遠くに居たヴィーゴは手を上げて了解の意思を伝える。
「お疲れでしょうから、ゆっくり休んでください。話すべき事は沢山ありますが、せめて今日だけでも休息を取って下さいね」
「失礼ですが、俺の部屋はどこに――」
リフェノーティスはにっこりと微笑んだ。
「えぇ、もちろん。ユーキと同じ部屋ですよ。寝室の二つあるお部屋ですので安心してください。お部屋に着きましたらばお茶でも淹れさせます」
「――ルカ、どうしてそんなこと聞いたりするの?」
振り返ってルカの顔を見上げる。すると仏頂面の眉間に皺が刻まれた。
ルカが口を開くと、リフェノーティスが笑い声をあげた。
「ふふ、騎士を助けようと魔物に突っ掛かったり、色々な事に危機感がなさすぎたり。――王子も大変な方を主人になさいましたね」
「…………お心遣い、感謝します」
「いえ。こちらも目が行き届かなかったり、変な気を起こした人間が居た場合貴方様がいてくださると心強いですから」
「………………」
リフェノーティスが意味深にふふっと微笑んだ。
「美青年王子サマー。置いていくわよー?」
セレナの声が遠くから響いた。
きっと慌てて引っ張り出したと思うから、ちょっと埃くさいかもしれないわね。でも、ゆっくりくつろいでね。
セレナは有希とルカと荷物を部屋に入れるとそう告げて出て行った。部屋はちっとも埃臭くないし、むしろ花のような良い匂いがしている。
ぱたんと扉が閉まって一拍置いて、ルカがはぁとため息を吐き出した。そして、部屋の中をあちこち検分してからもう一度ため息を吐き、甲冑を脱ぎ始めた。
有希達に宛がわれた部屋は、大きな洋間がひとつ。そこから伸びる二つの寝室の扉。洋間には重厚そうなテーブルとソファが中央に置かれ、大きな暖炉が壁に嵌められている。暖炉は薪が燃え、部屋に暖かさと明るさを与えてくれる。
有希はソファに座り込むと、くわぁっとあくびをしながら身体を伸ばす。長い長い道のりで凝り固まった背中や腰がばきばきと音を立てそうだった。右に左に身体を捻らせ、またもう一度上に伸びる。そうして身体の力を抜くと、心なしか疲労が取れたような気がする。ようやくひとごこちつけたというものだ。ルカも同様なのだろう。甲冑を外した後、肩や首をほぐしている。
「…………」
「…………」
しんとした空気が流れる。
何か話をしたいと思う。けれども何を話したら良いのか、何と声を掛けたらいいのかわからずに口をつぐむ。
魔物が出たね。疲れたね。怪我人が出たね。移動、大変だったね。死人も出たね。喉乾いたね。ここのところ地震が多いね。おなかすいたね。早く何とかしなきゃね。眠いね。焦るね。苦しいね。寒いね。
何を話しても陳腐で平べったくなるような気がしてならない。結局は気がはやってしまって何事も手につかないのだ。
「……こんな風に、休んでる暇ないよね」
「休息も仕事のうちだと思え。明日から休みたくても休めなくなるかもしれないからな。英気を養っておくんだ」
「うん……」
心ここにあらずな返答に気付いたのだろう。ルカは身体をほぐすのをやめ、有希の向かい側に座る。
「休む前にお前に聞いておきたい事がある」
「……何?」
「お前は、どうしたいんだ」
「え?」
ルカはずっと仏頂面で、人形のような顔だ。
「俺達は二国になったこの大陸を、有るべき三国に戻すためにここへやってきた。――どうやってリビドムを取り戻すか、という話だ」
「……リビドムの人に協力してもらいたいと思ったから、リビドムに来たんだけど……」
それ以外のことは何も考えていなかった。リビドムに来たら何か道ができるんじゃないかと漠然と考えてきた。危険も何もないだろうと踏んでいた。――なのに魔物に襲われ、死者を出した。
「魔物が出るって知ってたら、あんな危険冒してまでも来ようとは思わなかったのに」
「いや、リビドムに来たのが正解だ」
あまりにもきっぱりとそう言われて、有希はルカをまじまじと見つめる。
「……どうして?」
問いかけると、ルカは視線を彷徨わせて答えを探しているふうだった。
「どうして……だろうな。俺はお前に面倒が降りかかるのを知っていて、お前に背負うものが出来ると知りながら、お前を止めようとはしなかった……」
まるで独り言のようにつぶやく言葉は半分ほどしか聞き取れない。
「え?」
「いや……きっとそれが最善だったんだろう」
歯切れの悪いルカの返答に違和感を感じたけれども、リビドムに行くと決めたことを肯定されたようで安堵した。
「そうだね。……あたし、マルキーに行って王様にお願いしたい」
「リビドムを返してくれ、と?」
「そう。難しいかな」
「だろうな」
「…………だよね」
あまりに無計画だ。そう言ってはいそうですかと返してもらえているならとっくの昔に返してもらっている。
「だけど、今のこの世界の現状を説明したら……」
「それとリビドムの事とは関係ないと言われて終わりだろ」
「……だよね。だけど、そうしたいと思うの。――ルカは、反対?」
「いや、お前がそう望むのなら、最大限叶えられるように努力しよう」
その言葉に、有希は目を瞬かせた。
有希が望むのなら、叶えられるように努力する。
一体、どういうことなんだ。
有希の行く道を示してくれて、有希のこの世界にいる理由を与えてくれたのはルカなのに。
どうして有希の望みを叶えようとしてくれているのだ。その言葉がどれくらい重たいものなのか、ルカは理解しているのだろうか。
「……どうして、そんな簡単に言えるの」
「……?」
「だってあたしは、ルカに何一つ利益の無いこと言ってるんだよ? しかも無茶な事言ってるって事も自覚してる。――なのにどうして、そんな事言えるの?」
「そういう問題ではない」
「じゃぁどういう問題なの」
「……………………」
「ルカ」
焦れて問い詰めるような口調になる。ルカの仏頂面の眉間に皺が一本入った。
「お前もだろう」
「え?」
「お前は、リビドムの人間でも、アドルンドの人間でもない。――そもそも、この世界の人間でもないんだろう? どこかの世界の、ニホンという国に住んでいた。そして予期せずこちらに来てしまった。そうだろう?」
「!!」
突然のことに言葉を失う。
もしかしたら覚えている、気付いているかもしれないと思っていた。いや、聡いルカならわかっているということを知っていた。知っていて、何も問わずにいてくれているルカに甘えていたのだ。
だって、どう説明したらいいのかわからない。正直に話しても大丈夫だと理解していても、どうにも踏ん切りがつかないのだ。
あちらの世界の話をしてしまうと懐かしんでしまいそうで、懐かしむと帰りたくなってしまいそうで。
――帰るにしても、今の有希には帰りたくない理由がある。
(だって、この世界を……終わらせてしまうのは、嫌だ)
パーシーと約束したことだってある。パティメートにまだ謝っていない。ヴィヴィにももう一度会ってきちんと話をしたい。
「え、と……あたしは」
「別に無理に言わなくてもいい。お前が言いたがらないのは知っている。何の理由があるのかまでは判らないがそういうことだ」
(そういうこと?)
「俺はお前が平和な世界に居たであろうに、どうして危険を冒してまでこの世界に居るのかは知らない。お前も俺がどうしてお前の酔狂に付き合うのか理解ができない」
「……おあいこ、っていうこと?」
「そういうことだ。……俺の場合は――お前が何も知らなさ過ぎるだけだがな」
「え? なにが?」
話の続きは、扉がノックされて途絶えた。侍女が食事の載ったワゴンを押して入ってきた事で、完全に中断されてしまった。
「失礼します。お食事をお持ちしました」
「そこに置いてくれ ――ユーキ。焦ってもどうにもならない事なのだから、今は飯を沢山食ってしっかり睡眠を取れ」
あたしはまだ聞き足りない。聞かないとすっきりしなくてきっと眠ることもできないだろう。
食後にもう一度話をしようと思ったのに、湯に浸かって出てきた頃にはうつらうつらとしてしまって、いつともどこともわからない間に眠ってしまった。
久方ぶりのベッドだからだろうか。ふわふわと心地の良い眠りだった。