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紫の瞳  作者: yohna
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123

 魔物には、鋭い角が一本。サイのように鼻面に生えている。フゴフゴと鼻音を立て、辺りを見回すように動き回っている。

(なんで……どうして)

 今さっきまで何も居なかったのに。どうしてそんな所にいるのよ。そう叫んでしまいたくなる。

 ルカは手綱をぐいと引き、木々の中に馬を引き入れる。

「……ユーキ。よく聞け」

 頭上から聞こえる声はとても緊迫していて、その事態の深刻さに気付いた有希の心臓が跳ね上がる。

 ――有希とルカは、孤立してしまっているのだ。

「聞け」

 左肩をぐっと掴まれる。その力強さに弾かれるように、ルカを見上げる。

「俺が引き付ける。お前は気付かれないように木々の合間を縫ってあちら側に回って、応援を呼んで来い。――できるな?」

 有希はルカの言葉を何度も反芻し、ぶんぶんと頷いた。

「――あれは突進してくる。もしお前の方を振り返ったのなら、一目散に抜けろ。絶対に追いつかれるなよ」

 そう言うと、有希に返事をさせる暇も無く手綱を握らせ、ルカが馬から降りた。

 馬の首をひと撫でして、有希と視線を交わす。青い双眸が、夜闇にきらりと光った。月の光を受けた金髪が、さらりと輝く。

 ルカは踵を返すと道に出て、そこから野営地に足を踏み入れる。足音を聞きつけた魔物が、ルカに気付いた。

(……行かなきゃ)

 有希はルカと反対方向に馬首を向ける。片手を背中に伸ばし、袋から弓を取り出して左手に握り、更に矢筒の蓋をはずし、一本矢を取り出す。

 馬も判っているのだろうか。極力足音を立てないように、のっそりと歩いている。

 伺うように野営地を見ると、ルカを狙うように魔物が頭を低く落としていくのが見えた。

(――あれは)

 有希はあの魔物の姿勢を数度見た。突進する動きだ。あれの突進を受けて、二人の兵が命を落としたことを、有希は知っている。

 その兵の顔は知っていた。初めて有希が魔物と遭遇した時に、有希を護りに来てくれた兵だった。

 もう一段、頭が低くなる。鼻面から伸びている角で、狙いを定めているのだろうか。

 ――あの角が、ルカを貫いてしまう。

「そんなこと、させない!」

 手から手綱が離れる。身体に染み付いた動作で、弓を構える。目は魔物を捕らえている。

 クラウチングスタートのように、魔物が頭を大きく下げて走り出す。向かう先は――有希の騎士。

 弦から矢が離れる音が聞こえ、次いで矢が魔物の後ろ足に突き刺さる。魔物は地響きがしそうな呻き声と共に滑って転んだ。

 いくらかその脚が空を掻いて再び立ち上がる。そして方向転換をし、魔物が有希を捉えた。

「ッなにをしている! 逃げろ!」

 ルカの声が響く。手綱を取ろうと目を遣って、はっとした。

 手綱から手を離してしまったせいで、手綱が有希では届かない程手前に垂れてしまっている。

 毟るように鬣を掴んで引っ張ったが、馬の歩みは速くならない。

 野営地を見る。――鼻面に角を設けた魔物の頭が、低くなっている。有希の方へ向かって。

「うそ」

 思い切り、馬の首を叩く。

「お願い! 急いで!」

 それでも馬は動かない。見つかるまいとゆっくり歩くばかりだ。

「もう見つかっちゃったの! お願いだから走って!」

 歯の根ががちがちと音を立てる。魔物を見遣る。また一段と頭が低くなっているではないか。

「ユーキ!」

「走って!!」

 声が裏返る。

 ――地を大きくて重いものが移動する音が、地響きになって有希に届く。

 絶望的な気持ちで視線を動かすと、紫色の魔物が有希に向かって走ってきている。それもご丁寧に、有希が少しずつ進んでいるのを判っているように、ゆるやかに弧を描いて。

「――――っ!!」

 あぁ、もうだめなんだ。

 紫色の体から伸びる象牙色の角を見て、有希は悟る。

 たとえあの角が先ず有希が乗っている馬を捕らえたとして、そこから転げ落ちる有希はどうなるだろう。

 あの角で貫かれるだろうか。

 像のように大きな脚に踏まれるだろうか。

 ――いずれにしても、有希に命があるかどうか、甚だ疑問だ。

 それならばせめて、自分に何が起きるのか見届けたい。

 しっかり目を見開いて、これからの出来事を見ること。有希にできるのはそれくらいしかない気がした。

 誰か自分を呼ぶ声が聞こえた。ルカだろうか。

 ルカには悪いことをしてしまうなぁ。と、頭は麻酔がかったようなことを考えてしまう。

 二人目の主人まで亡くしてしまうのを、心底申し訳ない。そういえば、前の主人の事を聞きたいと思っていたのに、もう聞く機会すらない。そんなことになると知っていたら、あの時ちゃんと聞いていたのに。

 自分が死ぬと、この指輪はなくなってしまうのかと思うと、無意識に右手を胸元に遣っていた。

 あぁ、もう数メートルもない。

 魔物の息遣いすら聞こえそうだった。それほど、有希の感じるものは鋭敏で、恐ろしくスローモーションだった。

 そしてその止まったような時間は、ひとつ瞬きをした瞬間に終わった。




 激しい音が聞こえた。

 硬いものと硬いものがぶつかる音。

 がぃん。有希の耳にはそう響いた。耳に響いた音は脳髄を直撃し、くらりと眩暈がした――眩暈はしたが、身体の異常はそれ以外なかった。

 うわんうわんと余韻を残した音とは別に、けものの叫び声が聞こえる。

 ――離れた所に魔物が倒れていた。鼻面から伸びていた角は根元近くで折れ、角の失せた鼻からは暗い色の血が流れていた。

 視界の手前側で、深い緑色がゆれた。

 すこし癖のある長い髪には見覚えがあった。

「リフェ……」

 恐怖に硬直していた喉は動き方を忘れたらしく、かすれたような音しか出なかった。それでもリフェノーティスは有希のかすかな言葉に反応して振り返る。

 相変わらず、虫も殺さないような綺麗な顔をしている。その顔とは似つかない筋肉が浮かぶ腕には、有希のふとももよりも太い鉄の棒を持っていた、バットのように取っ手は細くなっているが、バットと違いそれは表面がでこぼこしている。

「間に合ってよかったわ」

 そう言うと、リフェノーティスはバット――棍棒を掴み上げると、倒れて足掻いている魔物の元へ行って魔物の首へ振り上げ、振り下ろした。

 ひしゃげる音が聞こえ、魔物は肉塊に変わった。

 ふぅと一息吐いて振り返ったリフェノーティスは、振り向いてにっこりと微笑んだ。

「久し振りね、ユーキ」

「――――っリフェぇえ……」

 魔物の奥からルカが駆けて来る。その姿に、顔がくしゃりと歪む。

「彼がユーキの騎士ね」

 リフェノーティスがルカのことを確認するように振り返り、有希の手に握られている弓を見て苦笑いを浮かべた。

「……だめじゃないユーキ。彼が囮になってくれていたんでしょう? 私が気付かなかったらどうするつもりだったの」

「あ、だ、だけど……」

「ユーキ!! 何をやっているんだ、お前は!! 俺は応援を呼んで来いと言ったはずだ。いつ、誰が俺を助けろと言った!」

 ぎくりと身体がすくむ。ルカの青い双眸が月光を受け、冷ややかな光を放っている。

「お前が自ら危険な目に遭いに行ってどうする」

「ご……ごめんなさい……」

「謝るくらいなら最初からそんな行動は取るな。……俺にもう二度と、主人を失くさせようとしてくれるな」

 そう言うと、リフェノーティスに向かって目礼をする。

「――――彼女を助けて頂いたこと、感謝します」

「あら。当然の事をしたまでですのでどうかお気になさらないでください。こちらこそ、遅れてしまって申し訳ないわ。――日が暮れる前には合流できるかと思ったんだけど」

「では、貴方が」

 リフェノーティスはやわらかに微笑み、棍棒を杖のように地面に突く。ずんと小さく地面が揺れる音が聞こえた。一瞬、それを見たルカが驚いたようにちらりと見る。

「えぇ、リビドムから迎えに来たの。――生憎人員が割けなかったから、こちらは二人よ」

「ふたり?」

「そうよ。エストと二人――もっとも、ユーキを見掛けてから一目散に走ってきちゃったから、エストは荷車の前で立ち往生していると思うんだけど。エストには運べないからしょうがないわよね。――ということで、また魔物に出られても困るから荷車のところまで戻るの、付き合ってもらってもいいかしら?」

 ルカはそれに頷き、有希の乗っていた馬の手綱と有希の手にある弓を有希から奪い取ると、リフェノーティスの後を歩き出す。

「……知り合いか?」

 有希の方を向かないルカの視線は、リフェノーティスに注がれている。

「あ、うん。ヴィヴィに会った後、ブイブイに刺されたんだけど、その時に助けてもらって。あたしがアドルンドに行くって言ったら、セレナとヴィーゴさんを紹介してくれたの」

「そうか」

 いくらも歩かないところに、荷車――馬車の荷台のような大きさのそれと、荷車にもたれかかっているエストを見つけた。

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