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紫の瞳  作者: yohna
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 隊列は停滞していた。

 先に出た、濃い夕闇色の魔物。その魔物が残した傷は大きく、深いものだった。

 怪我人は重症軽症合わせて二十人以上。その手当てが必要なこと、この先に先遣隊を遣わせるとの事で、山の麓にごく近い場所ではあったが、そこで一泊することになったのだ。

 先の有希が隠れるよう言われていた馬車があったところよりももっと先――ルカ達の居たところで、有希は休むように言われている。あの馬車のあった場所は簡易だが、病院のような有体になっている。ヴィーゴ達医者とメイドがそこで治療をしているそうだ。

 有希はルカに負けないほどの皺を眉間にたたえ、ほぼ仁王立ちという格好でルカに相対していた。

「もっと前にも魔物が出てたってどういうこと? どうして教えてくれなかったの」

 ルカは有希と同じような顔つきで、木の幹に腰掛けている。そのため、視線が有希と並ぶ。

「言ったところで、どうすることもできないだろう。――どうせ焦ったうえに自分を責めるだろうと思ったしな」

 ルカの言った言葉はまったくその通りで、有希は一瞬ひるむ。

「だけど、あたしは知りたかった。教えて欲しかった」

 ルカの横に立っていたアインが有希とルカを交互に見て、困ったように眉尻を下げた。

「ゆ、ユーキ。でもルカ様はユーキが知ると心を痛めると思ったから言わなかった訳で……」

「あたしは、知ることが義務だと思うの」

「義務?」

「そう。――だって、今のこの状況がどうして起きているのか、知っている人はあたしとルカ、それからヴィヴィくらいしか居ないじゃない。それから、対応策を考えているのも、あたし達だけ。なのに、何も知らない人が傷ついていくのをあたしが知らないのはおかしいよ。…………みんなが傷ついたのは、あたしの責任だよ。あたしが何も出来ていない、責任。それなのに、それを知らずにのうのうと後ろにさがって隠れるのはおかしい。みんなに守られるような人間でもないのに、みんなが戦っている後ろでみんなに盾になってもらうのなんて、嫌」

 ルカは青い瞳でしばらくじっと有希を見つめると、何かを諦めるようにため息を吐いた。

「お前の言い分はもっともだが、俺にも責任があることを忘れるなよ。――一人で抱え込もうとするな」

「え」

 一瞬、ルカの顔が苦々しく曇った気がした。けれどもう、いつもの仏頂面に戻っていた。

「……お前と離れている意味もなくなったな。護衛を付ける余裕もないから、明日から俺の馬に乗れ。そうすれば俺の所に来る情報はお前の耳にも入るだろう」

「ルカ!」

「だが、お前も反省しろ。――急に魔物が振り仰いだ先に、隠れていると思っていたお前が出てきて見ろ。肝が冷えるだろ」

「……ごめん」

 ルカがもう一度、大きくため息を吐いた。

「お前は自分の身分をもっと重んじろ」

「は?」

「いい。――じきに判るだろ。俺も確信はないしな」

 そう言うと、もう言うことはないというように立ち上がる。

「今まで出た回数は二度。小柄な猿の形をした魔物が二体。狗の形をした魔物が三体。――いずれも、濃紫の霧が出た後に現れたという。もし紫の霧を見掛けたら、一目散に逃げ出して、誰かに伝えろ。わかったな」

「――わかった」

「…………成長したな」

「え?」

「あっ、ルカ様!」

 すたすたと歩いていくルカの後ろを、アインが追いかける。

 有希は自分の身体を見下ろす。もう八年以上、ずっと変わらない姿のままだった。両手を前に突き出してひらいてみても、爪も伸びていない。

 小さな手。薪一本持つのに精一杯のてのひら。

(けど、この手でだってできること、あるよね)

 ぎゅっと手を握りこむと、紺と黒。それから藍色の雲の浮かぶ空を見上げた。




 狼型の魔物が出てから二週間。白い息が出てくる時間が少しずつ増えてくるのと同時に、魔物が出てくる回数も、少しずつ、ゆるやかに増えていった。

あれから魔物に遭遇したのは五度。猪と豚を足したような形をした大きな魔物が一度出た以外は、小型の狗や猿の魔物が数体出てきただけだった。

 そして怪我人も、一度の襲撃で数人。猪の時に十余名出た。その度に足取りはじりじりと遅くなり、予定ならもうリビドムに着いているはずなのに、未だに城は見る影も無い。アドルンドを出た時には弾んでいた会話も今はもう無く、ただひたすらに足を進めるばかりだ。

 焦ってはいけないとわかっているけれども、有希をはじめ、皆がぴりぴりとしていた。

 予定よりも遅れている。まさか魔物が出没する――しかもこんなに大量の――とは思っていなかった。だからこそ、移動速度を最優先に考えて皆の負担を減らそうと荷を出来る限り少なくしていたのが仇となっている。食糧が、尽きそうなのだ。

 秋――枯葉の季節であれば、少しは良かったろうが、今は木の季節。冬だ。葉はすべて落ち、枝々の隙間からほの暖かな陽光を与えるばかりだ。

 馬が苦しそうに喘いでいる。アドルンドを出る直前に替えはしたが、寒さの厳しい長旅に参っているのだろう。

 宥めるように馬の首を撫で、身体に巻きつけた毛布を整える。

 ――今日、リビドムの町に寄れる予定だった。

 有希は数時間前の出来事を思い出す。

 食糧に余剰が有るかどうかもわからなかったが、少しでも怪我人が休める所が欲しかった。

 けれどもその町には人も、家畜も、なにも無かった。襲われた形跡もない、ただの――廃墟だった。

 皆町に寄れる事。自分たち以外にやっと別の人間に出会えることを少なからず頼りにしていたのだろう。落胆の色は濃い。

(食糧もない。怪我をしていないっていう人も殆ど居ない)

 リビドムに行く。それがこんなにも大変な事だと誰が思ったろう。アドルンドから誰か差し向けられるのではとびくびくしていたのに。まさか魔物が出てくるだなんて、誰が考えたろう。

(それでも、あたしたちはリビドムに行かなきゃいけない)

 行って、リビドムを建て直す手伝いをしなければならない。そうすることを、選んだのだから。

 再び、吐く息が白んできた。空はもう紺色に染まりはじめ、月がうっすら存在を主張している。けれども、歩みを止める事は無かった。――ヴィーゴが連絡を取ったので、リビドムの人間がこちらに向かってきているというのだ。今日明日中には合流できるだろうとの事だった。

 明日――本音を言えば本日中に出会いたい。

 寒さも次第に厳しくなり、防寒対策も十分だとは言い難い。有希たちは文字通り、ぼろぼろだった。

「……見えないね」

「あぁ」

 見過ごさないように、ちらりちらりと左右を見渡すが、明かりはもちろん、人影すら見えない。

「もうそろそろ、野営の準備に入らなきゃね」

「この先に、少し開けた場所があるらしい。前を行っている連中が見つけたらそこで立ち止まるだろう。――そこに居てくれたらいいが」

「うん、そうだね」

 有希のその声は、人の叫び声でかき消える。

 馬が嘶き、止まる。

「居たのは違うものだったらしいな」

 ルカが忌々しげな声を出す。

「先に行くわ!」

「ルカ、お前は嬢ちゃんを守る事に徹しろ!」

 馬の蹴爪の音が聞こえ、両脇をセレナとナゼットの馬がすり抜けていく。

「ユーキ、降りろ」

 ふるふると首を振ると、冷たい声が降ってくる。

「――わかるだろう。人が居ないんだ。お前を護りきれるかわからない。降りろ」

「いやよ。わからない。――――遠くから見ているから。絶対近くには行かないから、連れてって」

 待つこと、数秒。ため息が聞こえた後に、舌を噛むなよという、ルカの声。

 馬で駆けること数十秒。周囲に馬がちらほら乗り捨てられている姿が見え、それから、狗の姿の魔物が三体。

「手綱を持っていろ。馬から降りるなよ」

 道からそれて木々の合間に入ると、有希が手綱を取るのを確認したルカは、馬からひらりと降りて、魔物に向かって駆け出す。

 武器を携えた兵たちの足音が聞こえる。ルカを追いかけるように走る兵たちの顔には、隠しようもない程に疲れがにじんでいる。

「…………っ」

 狗――大型犬ほどの大きさのそれに、セレナが振りかぶった刃がぶつかる。そのまま首はあらぬ方向に飛びそうになったが、かろうじて繋がっていた皮が、首を留める。

 一体目が倒れた。それと同じくして、ナゼットが横ばいになっていた狗に剣を突き立てる。――これで二体目。

 二体より二回りほど大きな狗に、ルカが剣を振るう。――契約騎士は治癒能力が高いからと、率先して殲滅を行っているのだ。

 肩から掛けた袋の紐をきゅっと握り、魔物を睨み付ける。

 ――結局のところ、有希は何も出来ない。

 こうやって遠くから、皆が戦い、傷ついていくことを見ている事しかできない。たとえ何ができなくても、見届けると言ったのは自分だが、やはり何もできないのは、歯がゆい。

 程なくして、三体の狗は皆殲滅された。ルカとナゼットが声をあげて、怪我人の確認をしている。狗の近くには、襲われたのだろう、馬が二頭、絶命している。

 有希は手綱を取って、ルカのもとへと馬を進める。それに気付いたルカは自身の返り血を検分し、大雑把に拭い取ると馬に乗り、ナゼットに声をかける。

「前方の確認をしてくる。お前はここを頼む」

 ナゼットが返事をしたのを見て、ルカは馬を走らせる。

 狗が出たのは道の途中だった。開けた場所というのがあとどれくらい先にあるのかという確認だとわかった。

 いくらも行かないうちに、両脇に開けた場所を見つけた。人が来るたびにそこで火を付けたのだろう。地面が黒ずんだところには、こげた薪がちらほらと置いてある。

「……ここなら、すぐだな」

「だね」

 開けた場所から少し先まで行き、安全かどうか確認する。

「大丈夫そうだね」

 有希は自分自身を安心させるように呟く。ルカもそう思ってくれたのだろうか。馬首を翻す。

 そうして見えたものに、眩暈を起こしてしまいそうだった。

「…………うそ」

 空気がいっそう冷えた気がした。それとも、有希の血の気が引いたせいで寒いと感じたのだろうか。

 月は金色に輝いている。辺りは闇に染まっているのに、どうしてだろう。

 今来た道。開けた野営地――そこだけ切り取ったように紫色に変色していた。

 霧が晴れると共に、先ほどまでは何も居なかったその場所に、猪とも豚とも言えない魔物が現れた。

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