118
とりあえず落ち着こう。ざわついた自分の心に言い聞かせる。
ルカはマイペースに鉄串にカルメ焼きを刺して暖炉の火にあて、そうしてまた甲冑を次々に外す。
がしゃ、がしゃ、がちっという音に混じってしゅんしゅんとお湯が沸く音がする。
とりあえず、落ち着こう。
もう一度自分に言い聞かせ、ルカにばれないように小さく深呼吸をした。
「紅茶、飲む?」
「あぁ」
甲冑を取り外す音に混じって、返事が聞こえる。
暖炉の火のそばにあるポットの蓋を開け、ミトンを嵌めて、お湯が沸いている鉄製のポットに手を伸ばす。
ゆっくり動作をし、心臓に落ち着けと言い聞かせる。
ポットにお湯を入れ蓋を置き、持ち上げてくるくると揺らす。
紅茶をカップに淹れている間に、ルカは鉄串からカルメ焼きを引き抜いて皿に乗せていた。
カップと皿をベッドサイドのテーブルに置いて、ベッドに腰掛ける。その隣に、カルメ焼きとカップを片手に持ったルカが座る。
かしゅっ。かしゅっ。と、カルメ焼きをほおばる音が聞こえる。有希もカップを持ち、湯気がたちこむ紅茶に息を吹きかける。
「なんか……大変だね」
「大変になるのは、これからだ」
ルカを見遣ると、紅茶を一口飲み、そのまま言葉を続ける。
「リビドムに着いてから、やらなければならないことが山ほどある」
ずきんと心臓が痛む。
「…………ごめん」
口をついて言葉が出ていた。ルカはその謝罪の意味がわからないという顔で有希を見る。
「だって……ルカが今こんな風に大変なのって、あたしのせいだし」
ルカの顔を見ていられなくて、カップに視線を落とす。けれどもそうすると、自分の右手が視界に入ってしまって、苦い気分になる。
ルカは何も話さない。言葉を発しない。
気まずくて気まずくてたまらない気持ちでいると、大きなため息を吐かれた。
(なによ。なによなによ)
「言いたい事あるなら、言えばいいじゃない」
ぐつぐつと煮えた思いは苛立ちになって有希を襲う。
「――それは俺の台詞だ。一体なにがどうなってそういう事になるんだ」
ベッドサイドテーブルに紅茶を乱暴に置いて、ルカを振り返る。
「だってあたしのせいじゃん!」
「なにがだ」
「なにもかもよ、ぜんぶ!」
ルカは冷静だ。冷静に有希を見つめている。少し疲れの浮かんだ綺麗な青い瞳。最後にその目をまっすぐ見つめたのはいつだろう。
「――少し、落ち着け」
眉間に皺を寄せたルカが、有希の手を引く。激昂が収まらない有希は思い切り振り払い、その手を叩き落とす。遠心力を伴って伸びた手は、ルカがもう片方に所持していたカップをも叩き落した。
カップが割れる音が耳に響く。そのつんざくような音が罪悪感と共に有希の苛立ちを助長させる。
「どうしてあたしのせいだって言わないの!? なんで何も教えてくれないの!? どうして何も言ってくれないの?」
こんな風に言いたいんじゃないのに、頭に血が昇って言葉が止まらない。
「――――あたしは、一体ルカにとって何なの!?」
言ってしまった。
聞いてしまった。
一番気になっていて、けれども怖くて怖くて聞けなかった言葉。
指輪もない、病気になったルカを助けることもできない、足ばかり引っ張ってしまっている。
それなのに、側に置いてくれる理由。
けれども、中途半端な扱いの自分。
「ユーキ」
ルカの顔が、怖くて見れない。持て余した手を、もじもじと胸の前で組んだり離したりとせわしなく動かしてしまう。
「…………あたしじゃない方が良かった」
「ユーキ」
「ルカは、あたしじゃなくて、あの人と契約すれば良かったん……」
組んでいた手を、ルカの両手に引っ張られる。反動で首がのけぞり、首が正面に戻ってくると、至近距離にルカの顔がある。
「ユーキ」
どぎまぎと後ろに下がろうとすると、有希の両足はルカの足の間に引っ張りこまれていたようで、ルカの足に挟まれる。
「ユーキ」
三度目のそれは少し語尾が強かった。
「お前、ここの所ずっとおかしいぞ」
「おかしくなんかないもん。ルカがいけないんだもん」
「――何を溜め込んでいる。いいから言え。どうしてそういう考えに行き着くんだ」
おずおずと目を合わせると、ルカは盛大にため息を吐いた。けれども、なんだかそのため息は先ほどのように不快ではなかった。
きゅっと手を引っ張られる。有希の小さな手を包むルカの手は大きくて、冷たいのに、どこか暖かい。
「だ、だって、ルカ、あたしと一緒にリビドムに行くから、国を捨てることになっちゃったし! ……十日熱だって治してあげられなかったし、あ、ルカは知ってたのかもしれないけど! あたしは嫌だったの! あたしは、思いが足りない、ルカのことを何も知らない、何の役にも立ててない。それに……」
指輪のこと。
言いたいけれど、言ってしまってもし『シエと契約したかったから』とでも言われてしまったら、有希は再起不能になってしまう。そう思っただけで、涙が出てきてしまいそうになる。
「言ってくれないとわからない。――聞くから話してくれ。それに、何だ?」
金色に縁取られた青い瞳が、上目遣いに有希を見る。その瞳は今までに見たことないくらいにやさしくて、甘えてしまいそうになる。
「…………」
「ユーキ」
「あたし、何の役にも立ててないし、どうしてルカの主人なのかもわかんない。――それなら、あの人と契約した方が良かったって」
「あの人?」
「――シエさん。契約の指輪、あの人が持ってるんでしょう? なら最初っからあの人と契約しておけばよかったじゃない」
「……お前、何怒ってるんだ?」
「別に、怒ってなんかないもん。あたしなんかより、シエさんに指輪持たせたかったんでしょ?」
ふいと横を向くと、呆れたのか、盛大なため息が聞こえた。
「――――いいか、一つずつ弁明する。よく聞け。まず――俺が国を捨てたっていう話だ。お前は俺がお前と契約したから、リビドムに行くと思っているかもしれないが、逆だ」
「…………」
「聞いたことがあるかもしれないが、俺はあまり王家で存在を認識されていない。――むしろ歓迎されていない存在だった。そんな俺が、他国に行ける手掛かりをくれたのは、お前だ。だからお前を責めるよりも、感謝している」
その言葉に驚いてしまう。感謝している?
「だって、国にはルカを信頼している人とか、ラッドとか……」
「俺を慕ってくれている奴は連れてきている。ラッドは、仕方のないことだ。言っただろう。とにかく――俺が国を捨てた事に関してお前が気に病む必要はない、わかったな。――それから、十日熱の事だったな。――――お前、俺と初めて会ったのがいつか覚えているか?」
「え? ……花の、季節?」
「ケーレで別れたのはいつか覚えているか?」
「花の季節の終わり……か、葉の季節の初め?」
「わかっているならどうして気付かない」
ルカは目を伏せて、呆れたようにため息を吐いた。
「俺とお前が一緒に行動していたのは実質一月足らずだろう。そんな期間で絆だのが深まるはずないだろう。もしその期間で出来上がるような軽薄なものは絆とは呼ばん。一時の気の迷いのようなものだ。そんなものがあったとして、お前、信じられるか?」
実質一月足らず。その言葉に愕然としてしまった。そんなに短かったのだろうか。中身が濃すぎた所為か、全然気がつかなかった。
一ヶ月足らず。そんな期間で、ナゼットとティータのような。セレナとヴィーゴのような関係になれるだろうか。もしそうなれたとしても、それを信じることができるだろうか。
「しんじ……られない」
答えは、否だ。
「そうだ。そんなもの、信じられない。――――これからだ」
「これから?」
ルカがふ、と微笑んで「そうだ」と言う。
その瞬間、とつてつもなく至近距離に居るという事に気づいた。いや、気づいていたのだがその近さを理解していなかった。
とてつもなく綺麗な顔――しかもいつもしかめっ面のその顔が、今目の前で、有希のために微笑んでいる。
それは計り知れない破壊力を持って、有希を圧倒する。それなのにルカはそんな有希に気づかないで言葉を続ける。
「ナゼットから聞いたと思うが、俺はどうも言葉が足りないらしい。……一生の付き合いになるんだ。それも含めて、お前はゆっくり俺という人間を知ってくれれば良い。俺が死ぬまで、お前を守り続けるつもりだからな」
『男女の契約はプロポーズみたいなモンなのよ』
『何があったとしても守る。たとえオレが死んだとしてもな』
セレナとナゼットの言葉が、呪いのように有希に絡みつく。
「で、でも! あたしとの契約は意味なく、軽はずみでしたことなんでしょ!? そ、そそそんな、それなのに一生とか!」
無理、無理だし。と、理由なく首をぶんぶんと振り回してしまう。
「…………理由はないわけではない」
「――――――え?」
(理由が、ある?)
「いつか言う。――それまで待って欲しい」
あまりにも想像できていなかったことに。今までの思いを覆されてしまったその言葉に混乱してしまい、有希はただ頷く事しかできなかった。