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いつか、シエが有希に落とした言葉。
『……それでも、魔女には感謝しなければならないところもありますわ。あの魔女が居たからこそ、ルカートはまた契約できるようになったんですもの』
(また……また?)
どこか心に引っかかっていたその言葉が、ナゼットの発した言葉ですとんと腑に落ちた。
「側室でもない、貴族の娘でもないただの侍女とだなんて、ってな。身寄りがなくて、王族の親戚か貴族が入れてやったらしい。あの頃はまだルカも一応、王族としての教育を受けていたから、そういうのを気にするお偉いさん達が騒然としていたなぁ。――だけどルカは自分の主人になった侍女を自分の屋敷から一歩も外に出すことをしなかったし、お偉いさん達を屋敷に入れることもしなかった。……守ってたんだろうな。実際、オレもその侍女を数回した見たことがねんだよ。あー……ちょっと嬢ちゃんに似てるかもな。華奢で髪が黒くて、目ぇ青かったけどな」
どきどきと心臓がうるさい。一体何に衝撃を受けているのだろう。ルカに自分の他に主人が居たことだろうか、それがルカの侍女だったことだろうか、その侍女をルカが守っていたからだろうか。
「恋仲だっていう噂もあったが、なにぶん年が十くらい離れていたからな。真偽はルカとその侍女くらいしかわっかんねぇな。ルカがどうしてその侍女を主人にしたのか、二人の間に一体何があったのか……」
次々と入ってくる情報に頭がくらくらする。ナゼットの発する言葉は、有希には消化しきれない量だ。けれども、有希はルカのことを知りたいと思う一心で受け止める。
(でもちょっと待って)
ふと有希は気づく。契約は一生ものではなかったろうか。主人か騎士が死ななければ、その契約は終わらない、と。
ルカは生きている。
(じゃぁ……)
「その、侍女さんは……」
ナゼットはその話をするつもりだったのだろう。小さく頷いた。
「八年前、オルガー王子に殺された」
「!! なに……それ……」
「オレも誰も、きっとルカも詳しくは知らないと思う。――王族の誰にも相手をされない中、唯一オルガー王子だけはルカに構っていたんだよ。ルカはすっげぇオルガー王子に懐いてたし、すげぇ仲の良い兄弟だったんだ。…………その相手に自分の主人を殺されたんだ、知りたくないって思うのも無理ねぇし、調べることもできなかっただろうな。その頃にはルカはもう、居ても居なくてもあんまり関係なかったからな」
またもや大きな衝撃だった。オルガとルカの仲が良かった。
有希が知りうる限り、あの二人はお互いがお互いを憎しみ合うようだった。
けれど。
ふとアドルンドの泉の前で会ったときの姿を思い出す。
『これはこの棟の一番最上階奥の部屋のものだよ。――そこに居る子も治してやってあげて』
(そこに居る『子』……)
それはルカのことだった。あの言葉は、仲が良かった頃のものなのだろうか。
『…………どうしてこうなったのか、僕も知りたいくらいさ』
そう言ったのは、紛れも無くオルガ本人だ。こうなった。というのはルカとの仲のことだろうか。けれどルカの主人を殺めたのはオルガだ。なのにどうして、オルガは知らないと言ったのだろう。
「ね、ねぇ。その侍女さんを殺したのがオルガだって、どうしてわかるの!?」
「………………その侍女が殺された部屋ってのが、オルガー王子の私室だったからな。オルガー王子は返り血を浴びてたし。疑いようもねぇだろ」
有希は絶句した。
母親が殺され、自分の主人も殺された。その事実だけで、何も言葉が出てこない。
「オルガー王子は不問だった。たかが侍女一人手打ちにしたからって罪にはならないんだと。――ルカはそれから荒れ始めた。……丁度、マルキーとアドルンドが戦争を開始した年でな、ルカは最前線で後ろも見ずに戦ってた。自分を殺すために戦ってたようだった……」
心臓が痛い。本当に痛かったのはルカなのに、有希が泣きそうになる。
「オヤジがルカに剣術を教えていてよかったよな。もしルカが剣をたしなんでいなくとも戦場に出されそうな空気だったかんな。……むしろ、ルカが功績を挙げたのが誤算だったとでもいうような顔だった……まぁ、そのお陰でルカは騎士として名前を上げて、王族から除け者にされてもカッコたる地位を持ってたんだけどな」
ぼす、と頭にナゼットの大きくて暖かい手のひらが乗る。わしゃわしゃと頭を撫でられる。
「なんだかしんみりしちまったな。あんまり話しても気持ちの良い話じゃないよな……まぁ、そんなルカが嬢ちゃんと契約したんだ。何の意図があってのことかはオレも正直わかんねぇ。――わかんねぇけど、あれから人形みたいに上の命令を聞いてたルカが、国を捨てて主人に尽くすっつってんだ。――だからよ、ルカの事嫌いにならねぇでやってくれな」
「べ、別に嫌いなんかじゃないよ! ただ……」
「ん? ただ、何だ?」
「…………」
ルカと契約したのは、シエじゃなくて有希なのに、どうしてシエが有希の指輪を持っているのか。
どうしてシエはルカの婚約者なのに契約しなかったのか。
(そんなこと、聞けないよ)
ナゼットの話を聞いた後だと、自分の悩んでいたことがちっぽけで仕方が無い。悩んでいた事自体が恥ずかしくてたまらない。
(そうだ、シエさん)
今の話には、微塵も彼女の名前が出てきていない。――そもそも、話を聞いている限り、ルカに婚約者が居るということ自体、失礼かもしれないが信じられない。
(でも、婚約者だっていうのはアインさんが教えてくれたんだし、アインさんが嘘をついているとも思えないし……)
ううんと考え込んでいると、その考えを霧散させるかのようにナゼットが有希の頭をぐるぐる回す。
「あんまり考え込むと、禿げっぞぉ」
「いたたたた、首! 首取れるって!」
「おお、わりぃわりぃ」
(聞いても、だいじょぶかな……)
首をさすりながら、少し小さな声になる。
「し、シエさんってルカにとってどんな人なのかなって」
おまけに早口にもなった。
「ほら、ルカの婚約者だっていうけど、それならあたしじゃなくてシエさんが契約すべきだったんじゃないかなって、そう思うからさ」
しかも言い訳じみている。
けれどもナゼットは有希のそんな機微には気づかず、「あぁ」と鷹揚に笑った。
「アインのねーちゃんな。あの人はなぁ、昔っからルカの事を好いているんだよ。あのねーちゃんの愛情表現はキッツかったぞ、ルカが様付けで呼ぶ女が居ないからっていう理由だけで、自分を様付けで呼ぶようにルカに強要したりしてな。ま――ガキの頃の話だけどな。それからもまぁいろいろやらかしてたぞ。ルカの正妃候補に自分がなりたいからって他の貴族の娘に断るように言いに言ったり、ルカよりも年上だっていうだけで正妃候補から外されたことを談判したりなぁ……」
ナゼットがどこか遠い目をしている。
「……ルカが荒れている時、ずっと傍に居たのはあのねーちゃんだったな。ルカもガキだったからよぉ、ねーちゃんに八つ当たりしてたりなぁ。あんまり酷かったんで止めに入ったことも何回かあったなぁ…………ま、ルカにとっちゃ消したい過去を今もってずーーーっと覚えている人だな。何されてもルカが好きだっつってんだから、すげぇ人だよ」
「…………そっか」
荒れているルカの傍に居た。その言葉がひっかかってしょうがない。
有希は右手を空にかざし、その中指を撫でる。
「あたしは本当に、ルカのことを何も知らないね」
(ここにあった指輪の大切さも)
「……ルカは、どう思うかな」
「それでいいと思ってたんじゃねぇか?」
半ば独り言だったそれに返事があって驚いてしまう。ナゼットがすぐ後ろにいて、馬の手綱を引いているのだから返事があるのは当たり前なのだけれども。
「嬢ちゃんはよ、何にもとらわれてないじゃんな。それがいいんだよ」
「どういうこと?」
「ルカの事を何も知らないから、ルカに好き勝手モノを言えていたじゃんよ。オレ達はルカの家臣だからな、どんなに意見を言ったとしてもルカが命令だと言うのならそれに従うしかない。王族だしな。命令は絶対だ。――けど嬢ちゃんは嫌だと言える。主人だから命令できる。実際、オレはルカが困っている姿なんて初めて見たぞ」
「それは呆れている、の間違いじゃないの?」
「どっちでもいんだよ、ルカにはそういう存在が必要なんだよ」
「そうなのかなぁ……」
「だからよ、ルカは言葉が足りねぇから、嬢ちゃんは前みたいにもっとルカにずけずけ言っていんだぞ?」
「え?」
「嬢ちゃんはまだまだ幼いかんな、めいっぱいワガママ言ってルカを困らせてやんな」
「…………ナゼット」
「そんな子供のうちから遠慮とか覚えるんじゃねぇぞぉ」
そう言って、頭をわしゃわしゃと撫で回される。
頭を撫でる腕を取って、ぐるりと振り返る。
「だからあたし、十八歳な・ん・だっ・て・ば!」
「そうそう、気になってたんだけどよ、嬢ちゃんの国では一年って何日くらいあんだ? 変わった暦の読み方してるよな」
「…………は?」
「こっちの国、つぅか大陸だな。アリドル大陸で十八っつったらアインくらいだぞ?」
けろりと言ってのけるナゼットに、有希はがっくしと頭を垂れた。
「もぉ、ナゼットがそう思ってるなら、それでいいよ……」