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オレが思うに、ルカも嬢ちゃんも、言葉が足りなさ過ぎるんだよなぁ。まぁ、ルカが何も言わなさ過ぎるのが悪いのかもしんないけどな。
馬がカポカポ、パカパカと音を立てて歩く。その背に跨った有希とナゼットは、秋晴れ空の下でこんな会話をしていた。
昨晩水差しに水を入れている有希の元に、眠れなくて水を飲みに来たというナゼットが現れた。こんな夜更けにどうしたと聞かれ、有希がルカとアインに茶を淹れるのだと告げると、そんなことはオレがやるから寝ろと有希はナゼットに寝室まで送られたのだった。ソファで座っていると、ルカと再び顔を合わせなくて済むという安堵感と睡眠不足とでいつの間にか寝入っていたらしく、気が付いた時には窓の外は白くにごった水色をしていた。
あわただしく準備を整え、有希は自身に宛がわれた馬車を荷馬車にしてもらい、有希自身はアニーやメイ達ルカの使用人と同じ馬車に入り、力尽きたと言わんばかりに倒れこんだ。
気づいた時には昼休憩時間だったらしく、煮炊きの匂いが鼻をくすぐってきた。掛けてある毛布を退ける。ひやりとした空気が気持ちよかった。のっそりと馬車を出ると、メイが有希の食事をてきぱきと準備してくれた。食事を頂いて、ごちそうさまでしたと両手を合わせて呟いたところで、ナゼットの声が聞こえた。
「おう、嬢ちゃん、メシ食ったか?」
顔を上げてナゼットを見ると、相変わらず快活に笑っていた。
「うん。今食べ終わったよ」
ナゼットは有希の向かい側に座ると、頭をわしゃわしゃと撫でて満足げに微笑んだ。
「うし、じゃぁこっから先はオレと馬にでも乗って行くか!」
「え、いいよ。馬だって疲れちゃうし、ナゼットだってあたしが乗ってると気使っちゃうでしょ?」
「なぁに言ってんだよ! …………何かあったんだろ? ルカと」
「!?」
「それに、聞いたぞぉ。嬢ちゃん、ずーっと馬車だったんだろ? たまには変えてみんのも楽しいぞ。――そろそろ出発すんだろうし、オレの馬に向うか」
そう言うと、ナゼットは有希を立たせ、腕を引っ張った。引っ張られるがまま連れて行かれ、あれよあれよという間にナゼットの両腕の中にすっぽりと収まっていた。
ナゼットの乗馬は少しだけ荒い。豪快なナゼットに合う、豪快な手綱さばきだ。そして身体が大きいから、少しだけ窮屈だった。けれども、ナゼットの胸に当たる背中が温かくて、秋風は全然身体にこたえなかった。
そして今、ナゼットの両腕に挟まれて馬に揺られながら、ナゼットが思う有希とルカについて話されている。
「な、ナゼット、どうして急にそんな話するの?」
「あん? あー……えー……あぁ! そうそう、今朝方な、アインがこぼしてたんだよ」
「アインさんが?」
「お、おう。えーとだな、「ルカ様とユーキ、何かあったんかなぁ」って」
「……そう」
「ホラ、今なら誰も何も聞いてないぞ。言うなら言っちまえって」
「だ、だから、言う事なんて特にないし」
「んな意地張るなって。オレでできることがあればなんだってしてやるぞー」
「ありがとう」
その続きの言葉が出てこない。
(だって『関係ない』んだから)
前後からは移動しながら人々が話している、ざわついた音と、馬の足音が聞こえる。馬に揺られながらぼんやりとその音を聞いていると、ナゼットが「あー……」と気の抜けた声を発した。
「あのな、ルカは昔っからあんなんなんだよ。自分の中でいろんな事を勝手に決めて、勝手に実行してる。オレらはそれに振り回されてばっかりでよお。……そんでよ、アイツはなぁーんも言わねぇんだよ。昔っから。騎士寄宿舎に入った事も、幼馴染のオレが傍付きになる事も、戦争に駆り出される事もな」
そんで、そう言ってナゼットは押し黙る。振り向いて顔を見ることが出来ない有希は、その声音からナゼットがどんな顔をしているのか推し量るしかない。
「ルカはなにも言わねぇんだよ。大切なことでもそうじゃねぇことでも。……でもよ、オレは嬢ちゃんにそれを知ってて欲しいって思うんだ。だからよ、オレが教えたってぇのはヒミツにしてくれな」
「……え?」
思わず振り返りそうになる。一瞬だけ目が合ったナゼットは快活に笑って、有希の頭を掴んでぐるりと正面に向かせた。
「まぁ、こうやって二人で馬ん乗ってれば、何らかの話したって事がルカにバレそうだけどな」
どこから話せばいーかな。そう言って、ナゼットは長い話を始めた。
「ルカの生まれから、話した方がいいかもしれねぇな。――嬢ちゃんも疑問に思うだろ、一国の王子がこんな簡単に国を捨てちまうこと、んでもって、アドルンドがそれを止めないこと」
「……うん」
「ルカはな、母親が平民なんだよ。王の他の側室はみぃんな貴族なんだが、ルカの母親一人だけ。城下に降りられた王が気に入っちまって召し上げてたんだと。他の男の子を身篭っていた妊婦をな。……王も王だよなぁ、その男から奪い取ったんだと。そんで生まれた娘は、ルカの母親に宛がった家で、王族の側室の娘として育てられてた。――確か、ルカの生まれる十年くらい前の話だ」
「……なんか、すごいねぇ……」
「だな。凄く噂になったもんで、有名な話らしいぞ。オレも生まれる前の話だかんな。オレが詳しく知ってるんだってんだから相当だぞ」
そう言ってからしばらく、ナゼットは黙る。
「……ルカが七歳の時だったかな。ルカの母親が殺された。オレも詳しくは知らねぇが、王妃やら側室やらから嫌がらせを受けてたらしい……嫌がらせって言葉でおさまらねぇことをされたんだろう、醜聞だからって公にできねぇが。――ルカの姉ちゃんも、王とは直接血縁があったわけでもなし、ってことでどっかに嫁がされたらしい」
母親が殺された。その言葉に頭をガツンと殴られたような気持ちになる。ルカの母親の話は今までに一度も出てきたことが無かったのは、こういうことだったのかと思い知る。
しかも、ナゼットの口ぶりはその犯人がわからずじまいだと物語っている。母親が殺されたのに、犯人を見つけられなかった――見つけなかった人に対して何を感じたのだろう。そしてその人たちとは、変わらず顔をつき合わせて生活しなければならない。
幼い頃のルカはどう思ったろう。悔しかっただろうか、悲しかっただろうか、憎かっただろうか。
(ルカが、二重人格じみてるのも、ひねくれてるのも、そのせいなのかな……)
「ルカが簡単に国を捨てようって気になったのはそういうこった。母親の身分が低いのと、その母親の件があってからってのとで……まぁ、ルカは、居ても居ないような扱いだったって訳よ。でなきゃオレがアイツの傍付きになる訳ねぇからな」
「……そうなの?」
「あぁ、元々傍付きっつぅのは貴族がやるもんだ。――まぁ、オレも一応貴族だけどよ、戦災孤児で拾われたから直系ではないわな。……アインも、アイツはイイトコのぼっちゃんだが、末っ子だしよ。まだまだ傍付きとしては未熟なのに宛がわれたんだ」
まぁ、幼馴染を傍付きにしたオエライ方には感謝してるがな。暗くなった雰囲気を払拭するようにナゼットが明るく言う。
「そうそう、その母親の一件の後、ルカが突然、オヤジの元に来たんだよ。騎士になりてぇって。それがオレとルカとの出会いなわけだがな。あぁ、嬢ちゃんは知らねぇかもしれねぇけど、王族ってのはな、剣術は習っても騎士にはならねぇんだよ。王族は間違いなく主人の立場だからな。だけどルカはんなもん知るか、守りたいものを守るための騎士制度だろう。王族だろうが守りたいものだってあるんだっつってオヤジを説き伏せてよ――元々、オヤジはアドルンドに籍を置いていたがリビドム出自ってのを見越してたんだろぉなぁ。ヤなガキだぜまったく」
ナゼットは言葉を続ける。
「オヤジも、ルカの立ち位置を案じて剣術を教えた。アイツは優秀でな、その年の内に白の騎士になった…………」
幼い頃のルカを想像する。――一体、何を思って騎士の称号を得ようと思ったのだろう。考えても想像がつかない。想像がつかないけれど、有希よりもずっとずっと、苦労してきたことだけはわかる。
「…………嬢ちゃん」
「え?」
ずっとナゼットの話を聞いているだけだった有希は、突然呼びかけられてきょとんとする。
「嬢ちゃんは、知ってるか?」
主語のないそれの意図がつかめない。
「え? 知ってるって、何を?」
「あー……そうだよな、知らないよな、誰も言うわけないもんなぁ……」
「? ナゼット、何のこと?」
「……けど、いずれは知ることだもんなぁ」
そう言うと、気を取り直したようにナゼットは言った。
「――ルカはな、騎士の称号を取るとすぐに屋敷に戻って、自分の侍女と契約をしたんだ」
「え?」
有希は思わず、ナゼットに振り返っていた。