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からからからから。
林が奏でる歌を聴きながら、半ばスキップのように走り抜ける。
満ち足りていた。枯渇していた自信が戻ってきた。何でもできてしまえそうな程足取りは軽やかだ。
吹き抜ける風がとても冷たくて、火照った体にはとても気持ち良い。
目を閉じて走る。木々の間から洩れる光が陰影をつける。
うっすらと目を開ける。目の前にはフォルの入り口が――――。
突然、ぬぅっと目の前にマントが現れた。それは有希の視界全てを覆ってしまうほど至近距離にあった。ぶつかる。そう思った時には既にごちんという音とともに、盛大に額をぶつけていた。
「――――つぅ……」
その場で額を押えてうずくまる。どこまでも飛んでいけそうな気分はどこかへ吹っ飛んだ。むしろぶつかった反動で飛べれば軽症で済んだのではないかと、くだらないことを考えて痛みからの現実逃避を謀っていた。
「お? なんだぁ?」
痛みの元凶が金属の擦れあう音をたててふり返る。聞き覚えのある声に、有希は驚いて顔を上げた。
「…………ナゼット」
「おう、嬢ちゃん。そんなトコで座ってたら蹴られるぞ」
ひひんと馬が嘶いた。ナゼットが手綱を取って馬をなだめる。ずきずきと痛みを主張する額を撫でながら問いかける。
「どうしてここにいるの……?」
「あぁ。ルカ達とお袋を迎えにな、王都まで行ったら丁度すれ違ってたみたいでな。馬飛ばして追いかけてきたんだ」
「そっか」
ナゼットが頷いて快活に笑うと、大きな手で有希の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「ルカ達の所に行くのか? んじゃぁ一緒に行くか」
「えっあ、う、うん」
そう言うと、ナゼットは馬を引いて歩き出した。有希は慌てて馬とは反対側のナゼットの横について歩く。
(でもあたし、黙って出てきちゃってるし)
頷いたのはいいが、外に出たことがばれてしまうのではないかと考えたが、もう絶対にばれてしまっているかと苦笑を浮かべ、ナゼットに笑いかける。
「……一緒に行くから、あたしが怒られる時も一緒に怒られてね」
「お、なんだぁ? イタズラでもしたのか?」
何やったんだ、とナゼットが興味深々という顔をする。それから、今のうちにイタズラはめいっぱいやるんだぞ、とまた髪の毛がボサボサになるまで撫でられた。
「嬢ちゃん、ちょっと大人っぽくなったな。――どこがって言われたらわっかんねぇけど」
そうかな、とぐしゃぐしゃになった髪の毛を手で梳きながら歩く。ナゼットは大人っぽくなったよな、うん、と頷いている。
「無知で無力で、嫌んなっちゃうけどね」
ぽそりと言って、暗いことばっかり考えていちゃ駄目だと首を振る。心の隙を突いて進入しようとする黒くて暗いものを振り払いたい。
馬が歩いているし、有希とナゼットも歩いている。林もさえずっている。だから小さな呟きは聞こえていないものだと思っていたのに、ナゼットには聞こえていたらしい。
「何があったのかわっかんねぇけどよ、何かあったらちゃんと言えよぉ? オレもルカも、みんな嬢ちゃんの味方だかんな」
(ルカ)
その名前を耳にした途端、ざわっと黒いものに覆われる。
ルカの指輪から繋がった先に居るのは、もう有希ではなく――――シエなのだ。
「……そ、かな」
「お、なんだなんだ。またルカと喧嘩でもしたのか?」
「喧嘩っていうようなものじゃない……と思う。そもそも、喧嘩できるほど仲いいってわけじゃないもん。あたし、ルカのこと何も知らないし」
心の奥がずきずきと痛みを発している。けれども有希はそれに気づかないフリをして、なんでもないようなことを言うように努める。
「それよりも、あたしにはやんなきゃいけないこと、あるし」
にへらっと笑うと、ナゼットは眩しそうに笑って、有希がつぶれるんじゃないかと思うくらい、有希の頭を撫でまわした。
街は地震の影響で、時折店屋の棚が崩れていたり、商品が壊れたりしていたのを幾度か見たけれど、それ以外、怪我人も特に見当たらず、祭の活気は損なわれていなかった。ほっと安堵して街を抜けると、城が少しだけざわついていた。
何事かとナゼットと顔を見合わせて、慌しく走っている兵士を捕まえると、兵士は有希をみて声を上げた。――どうやら有希を探していたようで、ナゼットが「なんだか大事になってんなぁ」と頭を掻いていた。ナゼットは馬を兵士に無理矢理預けさせられ、有希と共に城の奥に案内された。
「どういう事か、説明してくれないか」
ルカは椅子に座って、頭痛でもするのだろうか、眉間に指を当てている。
(なによ。あたしが出ていくの見てて知ってたくせに)
つんとした表情のまま、大根役者のように棒読みで謝罪の言葉を述べる。
「勝手ニ飛ビ出シテゴメンナサイ」
ルカは顔を上げて有希を見て、盛大にため息を吐いた。
「あー、ルカ、あれだ。嬢ちゃんはな、オレを迎えに来てくれたんだ、な? そうだよな、嬢ちゃん」
「ナゼット、そんな見え透いた嘘はいらない」
ため息まじりにルカは言う。ナゼットはばれちまってるかと大仰に笑っている。
「まぁ、細かいことは気にすんなって! 嬢ちゃんも無事、オレもフォルにたどり着いた。それでいいじゃんか」
ルカがまた有希を見る。相変わらず鉄面皮だが、その目に疲労が浮いているような気がするのは気のせいだろうか。
「――ハァ。いい。ユーキ、お前は部屋に戻れ。そして一歩も外に出るなよ」
「イヤ」
ぎろりと青い瞳が有希を睨む。負けるもんかと睨み返す。
「外に出るときはメイか兵士さんの誰かを呼ぶ。それでいいでしょ」
また一つ、大きなため息を吐いて手で顔を覆った。
「ルカ」
「……何だ」
片手で顔を覆ったまま、面倒くさそうな声が返ってきた。その手に嵌っている指輪に、心がぎゅっと締め付けられる。有希は、あれをもう持っていないのだ。
「――っ地震が起きたね」
「だから何だ」
「あたし知らなかったんだけど、地震って『凶事の予兆』なんだってね」
手を外して、有希を見る。
「――あぁ」
「ねぇルカ。フォルはいつ発つの?」
「明後日の予定だ」
「明日にして」
ルカが値踏みするような目で有希を見る。有希も挑むようにルカを見つめる。瞬きを数度するような時間が経ち、何を思ったのだろう。ルカは口角をくっと上げて微笑んだ。その笑顔に有希の心臓はどきんと跳ねた。けれどもそれを顔に出さないように、挑むような目でルカを見る。
「――わかった」
「ありがとう。あたしにできることがあったら言って。なんでもやるから」
「メイは今、アニーと馬車の荷作りをしている。兵達も祭で忙しい。だから外には出るな」
(それは、余計なことするなって事? ……いやでも、それならメイとアニーの仕事を手伝えばいいじゃない)
二人の仕事のうちに有希ができること。うぅんと数秒唸り、できることを思いついて有希はにんまりと笑む。
「――わかった。じゃぁ、お茶の用意をするね。あたしが無理言ったから、これから明日の分の仕事もしなきゃいけないんでしょ?」
(ホラ、こういうことでも、あたしにできることがある)
それは小さなことかもしれないけれど、できる事をできる時にやることが大切なんだ。ぎゅっと手を握り締めて、部屋を出た。
「…………外で一体、何があったんだ?」
「? ユーキは元々あんなんじゃなかったか?」
ルカは能天気そうに佇んでいるナゼットを睨み、また盛大にため息を吐いた。