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日はもう高く、秋口らしいひんやりと柔らかな空気が心地よい。
ラッドの屋敷の前は変にざわついている。馬が三頭おり、荷があちらこちらに置かれている。
その荷物の中に立っている人物を見つけて、有希は声を上げ、ルカを追い越して走り寄る。
「セレナ!」
呼ばれたセレナは訝しげに振り返る。そして有希を見てぽかんと口を開ける。
「ユーキちゃん?」
(あぁそっか)
身体が元に戻ってしまったのだと気づいて、どう説明しようかと逡巡する。
(でも、ヴィヴィがあたしだって気づけるようにまじないしてくれたみたいだし……)
セレナのすぐ前に立ちしどろもどろしていると、わきの下を持ち上げられ、身体がふわりと浮いた。
「え? うわっ」
「っ可愛いわぁ! ユーキちゃん、ちっちゃいわ! あぁ、ちっちゃいユーキちゃんも鼻血が出るほど可愛い……」
両手で有希を持ち上げてうっとりとしている。
「身体はもう大丈夫なの? 元気に走ってきてくれたところを見ると、大丈夫みたいだけど……」
そう言って、高さを下げてセレナと同じ目線になる。大丈夫だと告げて笑むと、セレナが「いやだ」と真顔になる。
「ユーキちゃん、瞳の色紫なのよね。どうして気づかなかったのかしら」
有希をゆっくりと降ろして、首を捻る。
「でも、ユーキちゃんはもうちょっと大きい姿をしてて……その時は黒く見えてて、でも本当はユーキちゃんが小さくて瞳の色だって紫だってわかってたのよ」
「せ、セレナ?」
「でも紫だってわかってたなら、もっと早くコトも片付いたはずなのに、どうしてわからなかったのかしら」
ぶつぶつと呟くセレナを見上げる。有希の視線に気づいたのか、ニコッと笑って有希の頭を撫でた。
「まぁ頭を使うことはヴィーゴに任せましょ。――――そ・れ・よ・り・も!」
「わぁ!」
がばりと抱きつかれる。
「本当に、ほんっとうに元気そうでよかったわ! あぁもう、ユーキちゃんに何かあったらどうしようって気が気じゃなかったのよ! それなのにユーキちゃんったら帰ってこないし、あのスカした男も夜遅くに帰ってきたと思ったら『寝てました』なんてふざけたことのたまった挙句ユーキちゃんのことわからないって言ったのよ!? もぉ信じられないでしょぉお?」
痛いほど抱きしめられ、放り出された腕でセレナの背中を叩く。
「そしたら今朝は今朝でいきなり絶世の美青年が訪ねて来たのよ! 誰かと思ったらユーキちゃんの騎士だっていうじゃない! もーにやけっぱなしだったの、私。ユーキちゃんは元気だって教えてくれたし、事情も詳しく聞いてないだろうにリビドムに向おうって言ってくれるし、もぉね、ユーキちゃんがとってもとっても会いたがってたのも納得してお釣りが来るくらいよ!」
その絶世の美青年は有希のすぐ後方から歩いて来ているのだけれども。そう言おうにも苦しくて息が出来ない。
「その辺りで許してやれ。ユーキが窒息するぞ。それにその絶世の美青年にその所業見られてるぞ」
昨日会ったはずなのに、ひどく懐かしい声が聞こえた。そして腕の力が緩み、有希はおおきく呼吸をした。
(ヴィーゴさん!)
天の助けだとばかりに、セレナの後ろに佇むヴィーゴを見遣る。ヴィーゴは有希と目を合わせると一瞬驚いたような顔をしたが、やれやれという顔になり馬に荷を積み始めた。
「出られそうですか?」
「この荷物を積めば終わりだ」
「そうですか――私の兵達もそろそろ準備が終わる頃ですので、迎えに参りました」
「あら、王子様直々に迎えに来てもらえるだなんて、イイ身分になった気分だわ」
セレナはそう言うと有希から離れ、麻袋を有希に手渡した。
「ハイ、ユーキちゃんの荷物。感動の再会をもうちょっと味わいたいけど、急がなきゃね」
「あ、ありがとう」
麻袋をきゅっと抱きしめる。
にこりと笑うと、セレナも荷積みを再開する。一緒に過ごしてきた時から思っていたが、二人は本当に荷物が少なく、そして荷積みもすごく早い。
あっという間に荷物を積んだと思うと、乗馬していた。
「乗るぞ」
「え」
「あれは俺の馬だ」
一頭だけ青黒馬が繋がれている。
「え、だってラッドの馬じゃないの?」
「――オレは行きませんよ」
屋敷の玄関から、ラッドがゆっくりと歩いている。
「お見送りにと出てきたのですが、丁度良いタイミングでしたか」
ラッドはルカに頭を下げる。
「っラッドはどうして? あ、後から来るの?」
パタパタとラッドに駆け寄る。馬がちいさく鳴く。
ラッドは肩膝を付いて跪くと、首を振った。
「オレは――――ご一緒できません」
「え…………どう、して?」
中低音の酷く甘い声が、酷く心をざわつかせる。
ラッドは目を細めると、頭を垂れた。
「今までの数々のご無礼、お許しください」
「無礼だなんて、そんな事思ったことない。 ねぇ、どうして?」
「――オレはですね、ルカ様の家臣です。けれども、それはルカ様が王族であるからであって、オレ……メンデ家はアドルンド王家に代々仕えております。だから、ご一緒することができかねるんです」
「……言ってる意味が、わかんないよ」
「つまりですね、オレはルカ様の家臣でもあると同時に、オルガ―様の家臣でもあるんです。それで、ルカ様が国を捨てるというのなら、ルカ様はオレの主人じゃなくなるんですよ」
「…………は?」
(ルカが、国を捨てる?)
「ルカ様が王子として、オルガ―様と戦われたりする分には、ルカ様を支援しようとメンデ家では思っておりました。けれども、ルカ様がそれをせずに居なくなるのでしたら、ルカ様側に着く理由がないんですよ――貴族とは、そのようなものです。お嫌いになりましたか?」
つまり、ルカが国を捨てる。国を捨てるルカには興味がない。そういう事だ。
「メンデ家の次期当主はオレです。――オレは、屋敷の皆を、家族を守るために、行きません」
灰色の瞳が有希を見つめる。
「…………ないと思うけど、もし……アドルンドとマルキーが一緒になってリビドムを攻めることになったら」
「勿論、ユーキ様やルカ様に剣を向けます」
きっと思うところも沢山あっただろう。ラッドはルカのことをとても心配していた。とても慕っているように見えた。
けれど、そのラッドが家のため、家族の為に決めた事を、どうして嫌いになれるだろう。どうして責められるだろう。
この迷いの無い目を見て、どうやって一緒に来てと言えるだろう。彼が家族を守るために、有希に何がしてやれる。
「……わかった」
ラッドがもう一度頭を垂れる。踵を返す。
ルカがもう乗馬していた――ルカは知っていたのだろう。何を考えているのか分からない顔で、有希の手を掴んで引き、有希はルカの腕の間にすっぽり嵌るように座った。
手綱を捌く。すぐさま馬が歩き出す。ちらりと見たラッドは頭を垂れたまま微動だにしていなかった。
「……ルカはいいの?」
きっと有希よりも長く、そして濃密な時間を共有してきただろうに、ルカは平然としている。
「あぁ」
(…………本当に?)
国を捨てる、と聞いた。
(それは、あたしのせい?)
もしも有希と出会わなかったら、ルカは一生リビドムと関係ない生活を送っていただろう。
有希と出会ってしまったが為に、ルカは十日熱に掛かったり、国を捨てなければならなくなったのではないだろうか。
「…………ごめんなさい」
謝る事しかできない。けれどリビドムに行くのをやめないでとは言えない。
(最低だ、あたし)
「――――何がだ?」
謝罪の言葉を口にしていた事に気づき、はっと我に返る。
「え、あ。その、ラッドを止められなくて」
「あれは誰にも止められないだろう」
「そう……なの?」
「あぁ。アイツの家は歴史が長いからな。しかも唯一の後継者だ」
仕方が無いとでも言うような言葉が胸に刺さる。きっと本当は一緒に来て欲しかったのかもしれないと思うと、心臓がきゅっと痛んだ。
何か話題を変えようと、色々考える。
そしてふと、まだ謝らなければならなかった事を思い出した。
「そ、それから、えと、十日熱……あたしの想いが足りないから……感染させちゃって……ごめん」
ルカにどう答えて欲しいかなんて、考えてなかった。
ただただ自分が懺悔をして、少しでも楽になりたかった。
申し訳ないと想っている事を、ルカに知っていて欲しかった。
あわよくば許してもらえるかもだなんて下心も持っていたかもしれない。
なあなあに済ませておけば、白黒はっきりさせなければ、このままうやむやにしたままでいられたのに。
「あぁ。――わかっていた事だ。気にするな」
心のどこかが、ミシリと音を立てた気がした。




